アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その73 私の「1/24」

 手書き時代の「FILM1/24」第3号(1975年12月1日発行)は全20ページ。巻頭は10月の上映会「謎の短編U・P・A」特集。総会で見たUPA傑作集に感銘を受け、静岡のアニメサークルしあにむの協力を得ての上映会でした。上映会のタイトルは私の大好きなSFドラマ「謎の円盤UFO」と掛けてあります。洒落や語呂合わせは、並木さんだけでなく、私も大好きなのです。UPAはユーピーエーと読みます。なぜ「謎」かというと、UPAの作品は、海外のアニメ文献でスチルとタイトルだけは知っているものの、実態は長く不明だったからです。百聞は一見にしかずの言葉がこのくらい当てはまるものも、そう多くはありません。アーティスティックなリミテッド・アニメーションというスタイルを生み出したUPAについて書くと長くなるので、別の機会に回しましょう。この第3号では、おかだえみこさんに詳しい解説をお願いしました。
 他には11月上映会「パペット・アニメ・ばらえてえ」の後記。自分で書いた「コボタンの頃を知る人もほんの数人となり、時代の流れを感じさせる」の一文に感慨深いものがあります。ユニークな自主作品で知られた京都のお坊さん川口蓮(はちす)さんへのインタビューの寄稿、『長靴をはいた猫 80日間世界一周』完成レポートに混じって、「ファントーシュ」第1号発行のお知らせも載っています。「ふらんす日記」には川本喜八郎さんの『詩人の生涯』がアヌシーで上映された様子が書かれています。

 第4号(1976年1月1日、全22ページ)は、1月上映会のお知らせとして、22日の『わんぱく王子の大蛇退治』と29日の『バッタ君町に行く』(当時は「町へ」の表記)のふたつのカットが並んでいるという感涙ものの表紙です。12月上映会の「ザ・ビギニング〜アニメーションの誕生」が杉本五郎さんの生解説つきで行われ盛況だったというレポートも懐かしいです。
 中心記事は「大ワイド特集 50年(注・昭和50年=1975年)をふりかえって」で、アニドウ関係10大ニュース、月例上映会リスト、並木会長、会員代表、編集者(私)それぞれの同年回顧等です。他に1月新番組の『母をたずねて三千里』の紹介特集。ニュースも様々で、東京文化会館で上演されたラベル生誕100年記念オペラ「子供と魔法」にメアリー・ブレア夫妻によるカラースライド120枚が使われたニュース、北米でアイマックスシアター次々誕生のニュース、「帰って来たベティーちゃん」と題する読売新聞の記事の再録等。コピー記事の再録は「1/18」の頃からの念願でもありました。ベティーはアメリカの流れを受けて日本でもブームになり、ちょうどこの頃、私もベティーの顔を散りばめた可愛いブラウスを買って上映会にもよく着ていったものです。
 ちょっと面白いのはアニドウの集会場であった伽藍洞のニュースで、石川、甲谷、黒崎、平出、私の5人しかいない日に、会員の高野宏さんが自主作品を持って現れ、早速上映をとなったのですが、映写機のコードとランプがなかった時のことです。すかさず電機大生の甲谷さんが店の接続コードを借りて電線を直接映写機につなぎ、元映写技師の黒崎さんが細めの電球をランプの位置に下げるという応急措置で見事に映写はなったのでした。決してお勧めはしませんが、当時のアニドウの臨機応変さと人材を語るエピソードだと思います。

 第5号(2月9日、全32ページ)では初めて表紙に目次が入りました。中心は『わんぱく王子の大蛇退治』35ミリ上映会の大特集で、20ページ近い分量を割いてあり、長年の夢であった「35ミリで長編を観る会」の実現に号全体が沸き立っています。「会場全体が一種の連帯感に包まれ、心底やって良かったと思える上映会、こんな気持ちのよい上映会は生涯にそう何度もないだろう」と私も感無量です。内容はアンケートの回答、感想文、公開当時の新聞評の再録等々で、キャラ表のコピーがあちこちに散りばめられて賑やかです。原画パートごとのフィートつき担当アニメーター一覧表は、これが日本初となると思います。オロチの担当を大塚康生さん1人しか書いてなかったり、まだ研究半ばではあるものの、貴重な資料と自負しています。この号が後の活字版「1/24」第10号の『わんぱく』特集号へと発展していくと思うと、思い出深いものがあります。
 他には新聞再録、『三千里』感想(ペンネームで私の担当)、会員の投稿等。

 第6号(3月1日、全24ページ)は1月の『バッタ君』、2月の『ベティー・ブープ』の上映会を受けてのフライシャー特集。『バッタ君』は森卓也さん提供の8ミリ版で、当日配布のプログラムは渡辺泰さんの協力を得て貴重な日本初公開(昭和26年)時のもののコピーという豪華版です。第6号には公開当時の野口久光さんのキネマ旬報の評のコピー再録、おかだえみこさんの書き下ろし評「フライシャーの哀愁」、読者の感想文等々を収録しており、私も「フライシャーは今後のアニドウにとって最も魅力ある作家といえよう。すべてはここから始まるのだ!」とフライシャーという作家を発見途上にある興奮を綴っています。
 ただ、ベティーの上映会の日程を情報誌『ぴあ』に19日と誤って伝えてしまった結果、並木会長は当日の高円寺会館で75人もの来場者に謝り続けたという悲しい裏事態もあったのでした。
 他の記事は会員の吉沢亮吉さんによる海洋博カナダ館のアニメのルポ、会員による『わんぱく』感想文の続き等。

 第7号(4月12日、全24ページ)は3月に行われた「第2回35ミリで長編を観る会」の特集「よみがえる『どうぶつ宝島』」。今ではメインスタッフの1人、宮崎駿さんの存在で有名になっているでしょう同作ですが、公開当時はすっかり冷遇視されていて、その復権をとの挑戦的プログラムです。「これだけ文句なく楽しめ笑え、しかも品位を失わず、アニメーターにとっては凄い勉強になる作品というのは東映長編史上ちょっとないのではあるまいか」と私も熱くなっています。内容はこれもキャラ表のコピーを散りばめたアンケート回答、感想文、スタッフ一覧等々。感想文には大阪在住の萩田憲司さんも参加しています。
 他には海洋博のルポの続きで、海洋文化館での岡本忠成さんの作品『水のたね』のマルチ上映という特殊な上映方式について。小松沢甫さんの『マッチ売りの少女』他の評2本立て、私(富沢)の『少年ジャックと魔法使い』評等。
 ニュースコーナーで注目されるのは3月発売の「別冊テレビランド」8号の「テレビまんが20年の歴史」特集の紹介。前年5月の「週刊少年マガジン」25号の「日本の傑作アニメ50年展」との併読を進めていますが、この「別冊テレビランド」こそ後の「ロマンアルバム」「アニメージュ」へとつながっていく徳間書店のアニメ路線アプローチの第一歩だったのですが、この時はまだ知る由もなかったのでした。

 さて、私の手書き時代の「1/24」はこの第7号が最後となり、次の第8号から写真入りの活字化、定期購読者を募っての全国頒布、一部書店売り、と怒濤の展開をしていくことになります。が、私がワラ半紙1枚の「1/18」からここまでに、どれほど精魂込め手塩にかけ、私財も時間も投じてこれを育ててきたか、どれほどの思い入れがあるかは分かっていただけるものと信じます。

その74へ続く

(10.01.15)