その74 1975年のアニメ
時代を1975年に戻しましょう。1975年1月のTVアニメは『宇宙戦艦ヤマト』がちょうど中盤を迎え、裏番組は『ハイジ』から制作方式を踏襲した『フランダースの犬』に変わっていました。
『ハイジ』が始まった頃、固定のメインスタッフで毎週放送の作品を1年間続けて行くという作り方は業界の常識破りだったのですが、それが完走され、世間的にも高い評価を受けたことで、業界内でも「これで行ける」という意識が生まれていました。『ハイジ』のスタッフ編成は作品の質を守るためのものでしたが、製作を司る側にとっては短期間の小編成で制作可能という保証がついたようなものだったでしょう。『鉄腕アトム』が日本のTVアニメ界に毎週放送の30分のストーリーアニメという道を拓いて以来10余年、『ハイジ』は制作方法において、さらにその奥の扉を開いてしまった作品と言えると思います。しかしそれはあくまでも高畑さんをはじめとする優れたメインスタッフの超人的な先導あってのことでした。
『フランダースの犬』では制作途中でスタジオも実質的な社内スタッフもほとんど変わらないまま、ズイヨー映像から日本アニメーションへと会社自体が変更になり、社長も代わりました。この間の事情は今も明らかではなく、下請けの私たちにも伝わってはきませんでした。『フランダースの犬』は日本アニメーションによる名作劇場の第1作ということになります。
『フランダースの犬』では森康二さんがキャラクターデザインを手がけ、その愛らしさに期待もありました。その頃すでに眼を悪くされていた森さんは制作初期は自らキャラクターに修正を入れていましたが次第にそれもなくなり、実質的に作画をまとめるのは羽根章悦さんになりました。
私はオープロで動画をやっていましたので、森さんの原画修正を見るのがとても楽しみでした。その頃の森さんの修正はデッサンのように細かい線をデリケートに重ねたもので、そこから最適な線を拾って動画として清書するのは神経を遣う仕事でした。ネロやアロアの柔らかなふくらみを持った頬のライン、微妙なカーブで描かれた口、アロアの帽子の立体感。昔から森さんの東映長編の絵が好きで模写やなぞり描きをしていたことが、ここで役に立ちました。自分で言うのも何ですが、私は随分頑張れたと思います。人物ばかりか犬のパトラッシュや、金物や牛乳缶を積んだ荷車を動かすのも大変でしたが、『ハイジ』の1年間で動物や馬車をたくさん描いて鍛えられていましたので、さほど苦にはなりませんでした。
その当時のことですが「千枚アニメーター」という言葉がありました。動画1枚あたりの単価が120〜130円の頃、月に1000枚の動画を描けば人並みの暮らしができるという一種の目標数値でした。私は毎月この数字をクリアするように頑張って仕事に臨んでいました。もちろんアニドウの様々な用事も同時にこなしながら手を抜くことなく。
『フランダース』の第15話では高畑、宮崎、小田部さんらが応援として丸々1本参加し、ネロとアロアが子供らしくひたすら遊ぶ話を作り上げ、作品に温かい風を吹き込みました。が、それはほんの特殊な事例で、おおむね貧困と差別といじめが横行する暗い話が続き、一スタッフとしても満足できるものとは言えませんでした。アロアが勉学先でホームシックに罹るエピソードなど、『ハイジ』のそれをなぞったようで見ていていい気持ちはしませんでした。それでも視聴者は哀れな話が好きなのか視聴率は好調で、終盤にはネロの助命嘆願運動も起きましたが、現場は冷めていました。
最終回の放送は12月の末でしたが、スケジュール的にもギリギリで、オープロの日本アニメ班は日曜出勤を重ね、最終回も皆で会社のTVを囲んで見ました。現在もアニメ名シーン特集等の番組で必ず流れる、ネロとパトラッシュを天使たちが迎えにくるあたりは最後の仕事で、班の皆で手分けして動画をやりました。今もあのシーンを見るたびに、当時の一刻も早くと頑張っていた室内の様子や仕事仲間の姿が浮かんできます。一般の人は涙で見たでしょう悲劇の最終回も、私たちにとってはこれでこの気の滅入る仕事から解放されるという気分で迎えたのでした。
『フランダース』の話が長くなってしまいましたが、1975年は私たちアニメファンにとってはむしろ、『勇者ライディーン』『ガンバの冒険』『ゲッターロボG』『宇宙の騎士テッカマン』『鋼鉄ジーグ』『元祖天才バカボン』『UFOロボ グレンダイザー』の年です。
中でも『ガンバの冒険』はアニメ史上の大傑作です。原作の児童文学、斉藤惇夫さんの『冒険者たち』も面白いのですが、ネズミたちの個性を上手く整理統合して造り出されたキャラクターは実に生き生きとしており、集団劇としての『ガンバ』の魅力をさらに高めていました。チーフディレクター出崎統さんを頭に、実質的な制作を担ったAプロを中心にしたスタッフ編成、レイアウト=芝山努、作画監督=椛島義夫、原画=近藤喜文、小林治ほか、美術=小林七郎、音楽=山下毅雄さんらの力が見事に重なり合い、主役のガンバ=野沢雅子さんをはじめとする声のキャスト陣もハマリ役揃い。乾いた声で嘲笑う白イタチ・ノロイ(大塚周夫さん)は史上最恐。ノロイに単なる敵役でない内実を与えた点も素晴らしく、全体が出崎統さん最大のテーマである「旅」であることも含め、全ての要素が奇跡的なまでに結びつき結晶化した作品です。ことに第1話の緊張感あるレイアウトを見た時の衝撃は忘れがたく秀逸で、今も学ぶべき点が多大です。
『ガンバ』について語っているとそれだけで連載数回は軽く費やしてしまうので、自著「アニメーションの宝箱」を読んでいただければと望みつつ割愛するとして、そのスタッフがほぼそのまま移行した『元祖天才バカボン』もまた異色の傑作です。
そのすごさはOPの雄大な回り込みを見るだけでも伝わってきます。回り込みというのは上手くいくと大きな画的快感があって、アニメーターにとっては挑戦のしがいがある技法です。古くは政岡憲三さんの傑作短編『すて猫トラちゃん』でも、思わず声を上げてしまうほどに見事な回り込みがあります。
また原作者の赤塚不二夫さん自身が作詞したED曲の一節でバカボンのパパが41歳ということが分かり驚いたものです。当時は見る側にも作る側にも遥かな年上だったパパでしたが、今では皆その年齢を越してしまいました。赤塚さん自身も、当時のスタッフの何人かも世を去り、それでも永遠に年をとらず不滅のパパの姿に、なんだか少ししんみりしたりもするのです。
その75へ続く
(10.01.29)