アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その81 PAF

 第1回のPAF(パフ)が開かれたのは1975年6月から7月にかけてのことです。
 PAFとはプライベート・アニメーション・フェスティバル、つまり自主作品の上映会です。私たちより前の世代には草月ホールのフェスティバルが有名でしょう。また日本アマチュア・アニメーション協会という社会人中心の自主制作サークルでは毎年、新宿の安田生命ホールという大会場を使った立派な上映会を開いていました。
 ここへ来て私たちの手でも自主作品だけを集めた上映会が開けるほどになったのは、コマ撮りのできる8ミリカメラが比較的安価で買えるようになったことが大きな力になっています。個人や学校のサークルで8ミリカメラを持ち、それでアニメを作れるようになったのです。さらに余裕があれば16ミリでの制作も可能でした。
 全国総会でも各地のサークルの力作、傑作が多く持ち寄られるようになり、これをこの場で映すだけでは余りにももったいない、何とかして他の、この場にいない人たちにも見てほしい、見せてやらねばという熱い気運が盛り上がってきたのです。
 こうしてサークルの総意としてPAFが動き出しました。各地のサークルやマスコミを通して参加者を募り、第1回のPAFには約30本の作品が集まりました。もちろん全てフィルムです。手法は当時の自主制作の主流である紙に描いた動画をそのまま撮影するペーパーアニメを中心に、フィルムに直接絵を刻むカリグラフなど様々。セルアニメもありましたが、一般にはセルはまだ買うにも使うにも気軽に手を出せるものではありませんでした。
 アニドウからは以前の連載でも書いた『つる姫じゃー』『駆宙大王子予告編』に『蛮剣100万年予告編』を出品しています。また当時すでに個人の上映活動を行っていた相原信洋さんも傑作『妄動』で参加してくれました。

 上映は6月13日の東京に始まり、14日静岡、15日名古屋、16日大阪、飛んで7月5日函館、同20日沖縄と日本を縦断する6ヶ所で開催され、東京では事前にTV、新聞等のマスコミ各社で報道されたこともあって400人という大入りを記録しました。
 応募作は年を追うごとに増え、サークルと参加者双方の情熱に支えられてPAFは10年続きました。私自身はとある出来事を切っかけに途中でPAFとは距離をおいてしまうのですが、それは後の話。
 PAFでは応募作は全て上映が基本でしたので、その間、様々な作品がスクリーンを賑わせました。余りにも多彩で膨大な上に玉石混淆で、今となっては記憶もおぼろです。
 そんな中からいくつか上げてみると、8ミリの小さなコマの中に精緻で繊細な世界を刻んだ二木真希子さんの『思いつくまま』他のカリグラフ。二木さんは現在はスタジオジブリのアニメーターとして活躍されている他、絵本やイラスト等も手がけています。
 現在は司会もこなす歯科医として各イベントに欠かせない存在である愛知県在住の、はらひろし。さんのペーパーギャグアニメ『セメダイン・ボンド』シリーズ。これは後にNHKでも新作が放送されたほどの大評判となりました。もちろん「デジスタ」などない頃の話です。
 現在はパズル作家として活躍中の甲谷勝さんの『Film No.6』。これは神田沿線の風景をカメラが進み続けるペーパーアニメで、今も神田近辺を通るたびに私はこの作品を思い出すのです。
 ある晩突然、当時のアニドウの事務所に作品を持ち込んできた男性2人組が見せてくれたのが人形アニメの可愛い恐竜が出演する、技術も造形も抜群の『森永チョイス』。抜群なのも道理で、実はこの作者の1人こそ後に日本を代表するクレイアニメの雄となる森まさあきさん。ハリーハウゼンを信奉するだけあって恐竜の出来の素晴らしいこと。そしてもう1人が後に脚本家としてアニメ、特撮作品で健筆を振るう武上純希さんだったのです。
 他に、作者名を失念してしまいましたが、POPな歌声と見事にシンクロして可愛い女の子と宇宙人が追いかけっこを繰り広げるセンス抜群の『I Wanna Knock On Your Door』。
 シネカリグラフとピクシレーション(人間コマ撮り)というマクラレンの手法を生かした大爆笑もの『もじゃもじゃ』『コークマン』等を次々と発表して会場を沸かせたTACの自主制作グループ、ペロペロキャンディ。同じTACの『新バビル2世』は高校教師となった作者が校内で生徒と一緒に撮り上げた爆笑編。この後、シネカリ光線が大ブームになり、早稲田大学の大隈重信の銅像までが目から怪光線を放っていたものです。

 PAFの特色のひとつに、観客として訪れた人が刺激を受けて作り手に回るということがありました。
 その代表が庵野秀明さん。竹熊健太郎さんによる庵野さんへのインタビュー本「パラノ・エヴァンゲリオン」(太田出版)によると、庵野さんは大学浪人中の1979年に上京して参加したPAF5でセルアニメ以外の様々な技法、特に、はらひろし。さんの作品に触れたことが目からウロコ的な刺激となってグループSHADOを結成、1980年のPAF6に『じょうぶなタイヤ』を出品するに至ったそうです。この伝説的な作品は島本和彦さんのコミック『アオイホノオ』(小学館)3巻17章にも登場しています。今や日本を代表する作家である庵野さんの原点のひとつにPAFがあったということに感動を覚えます。

 さて、今やすっかり時代は変わり、8ミリもフィルムも過去のものとなりました。プロからアマチュアまで広く門戸が開かれたアニメーションの公募先は広島国際アニメーション・フェスティバルをはじめ全国に数多く存在します。NHKには「デジタル・スタジアム(デジスタ)」という作品紹介番組があります。また応募などせずとも自作品を直接ネットに上げるという発表方法もあります。ニコニコ動画等の動画サイトなら反応は即座に返ってきます。アクセス数が伸び評判になればソフトとして販売される道も開けます。一世を風靡した『ほしのこえ』でネット出身作家の先鞭をつけた新海誠さん、フラッシュアニメの手法で映画にまでなった蛙男商会のFROGMANさん、最近では『フミコの告白』でプロ顔負けの上手さを見せた京都精華大の石田祐康さん等々、新世代は着実に生まれ成長しています。ツールが鉛筆からタブレットに変わっても、その先も、アニメーションの魂=アニマはずっと健在なことでしょう。

その82へつづく

(10.05.07)