その82 35mmで長編を見る会
月例上映会が順調に回を重ね、様々な企画が可能になってくると新しい欲求もまた芽生えてきました。
私たちの世代は一口で言うと東映長編世代です。幼い頃から映画館で慣れ親しみ、共に育ってきた東映動画の長編漫画映画が原点にあり、精神的な核になっています。その東映長編を、16ミリでなく公開時の映画館と同じ35ミリ版で見たい、上映したいという思いが高まってきたのです。
16ミリと35ミリのフィルムの違いを簡単に言えばフィルム幅の差です。図書館等の映像ライブラリやレンタル業者のリストにも載っていて比較的借りやすく、学園祭等の自主上映会で上映される作品のほとんどは16ミリ版です。これはフィルム幅が16ミリで、16ミリ映写機の操作講習を受けて資格を得れば誰でも映写することができます。
35ミリ版はフィルム幅が35ミリ。映画館で上映されるフィルムのほとんどがこのサイズで、通称サンゴー。大型の映写機が必要で専門の映写技師でないと扱えない上、映写設備のある会場も限られています。
映画の原理は、フィルムに映写機のライトを当てて1コマずつを断続的に拡大投影し、残像効果によって動いているかのような幻影を見せるものです。だからその元が16ミリか35ミリかによって視覚聴覚に得られる情報量には格段の差があります。またライブラリ等にある16ミリフィルムはどうしても使用のたびに傷んでいき、経年劣化も加わって特に長編は満足な状態のものは少ないのです。35ミリだから必ずしも状態がいいと決まったわけではありませんが、私たちがそれまで見てきた16ミリの東映長編に満足のいくものは余りにも少なかったのです。
さて、懸案の35ミリフィルムは本家東映動画から拝借できることになり、栄えある第1回目の上映は『わんぱく王子の大蛇退治』と決まりました。1963年公開の『わんぱく』はその当時、私たちはほんの子供だったこともあり、映画館での記憶は薄らいでいました。私自身は公開時には『わんぱく』は映画館で見てはいません。おそらくその年には別の映画を見ていたのだと思います。同年の『鉄腕アトム』の成功によって本格的なTVアニメ時代が始まる直前、映画はまだ家族ぐるみの娯楽の王様で、子供にはどの映画を見にいくかの最終決定権はなかったのでした。『わんぱく』は、その後TV放映も何度かされていますが、いずれもカット版な上に、現在のような額縁放送という考えは全くなかった頃ですから、シネスコの左右は当然画面に入りません。公民館、ホール、学園祭等もこまめに探しては足繁く通いましたし、アニドウ自体でも上映会を開いています。が、そのいずれも満足のいくものではなかったのです。フィルムの傷や傷み、不明瞭な音響、何より画面の暗さ等で。
『わんぱく』のクライマックスであるスサノオとヤマタノオロチの決戦は夜が舞台です。ただでさえ暗い色調のナイトシーンに、オロチの出現をはっきりとは見せない演出。あちこちの機会に目にし、オロチには複数の形態と色の違いがあるらしいと分かっていましたので、どうしてもこれらをもっと明るいスクリーンで、鮮明な画面で見たかったのです。
願望は実現の母です。こうして1976年1月、お茶の水全電通ホールで「第1回35mmで長編を見る会『わんぱく王子の大蛇退治』」が開催され、何しろ主催者陣が乗りに乗っているのですから、その熱気は当然観客にも飛び火し、大変な興奮と感動に包まれて大成功のうちに上映会は終了しました。闇の中でうごめくオロチの出現シーンも、それぞれの形と色の違いもはっきりと目にすることができ、大音量の伊福部メロディを全身で堪能しました。16ミリ版だと巻の替わり目に当たるためにリールに巻き取られてしまったり、傷みが激しくなってカットされていたりすることがままある高天原でのスサノオの耕作シーンがそのまま見られたのも収穫のひとつでした。強い願いが様々なことを可能にしていくという私の人生の姿勢は、こうした事例の積み重ねから生まれています。
『わんぱく』についての評はすでに何度も書きましたので、自著『アニメーションの宝箱』をお読みいただければと思いますが、華麗にしてダイナミックでありながらも全体に流れる伸びやかなムード、東映動画で育った若きスタッフたちが斬新なアイディアを出し合い森康二さんがまとめ上げたキャラクターの優美な上品さ、場面ごとに工夫された背景と美しい色彩、これが唯一の東映長編参加となった伊福部昭さんの素晴らしい音楽、それら全てが溶け合って東映長編史上空前にして絶後の独特な魅力を放つ大傑作です。俗に串団子形式と呼ばれる、舞台ごとに新たな出来事が起こる作劇法がこれほどプラスに働いた作品はないのではないでしょうか。
そして『わんぱく』は私にとって格別な、不思議な作品です。欠点も何もかも承知の上で、見るたびに、年齢を重ねるほどに、好きな度合いが増していくのです。この上映会当時は興奮したり感動したり、じんとしたりこそすれ泣くことはなかったのに、今『わんぱく』を見ると、心の琴線に触れるというのでしょうか、もう、ほんの何でもないところで泣けてしまいます。船出のシーンやスサノオとクシナダの空中デートは言わずもがな、ハヤコマやアカハナのちょっとした仕草にも涙があふれてしまうのです。他の作品ではここまでのことはないというのに。
その83へつづく
(10.05.21)