アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その95 増刊号を挟んで

 「1/24」第18号は1977年8月発行。28ページ。アヌシー'77特集として、川本喜八郎さんを団長とするアニメーション作家・評論家等約40名が大挙して参加したアヌシー・アニメーション・フェスティバルの様子を伝えています。表紙はウィンザー・マッケイの『リトル・ニモ』ですが、裏表紙にはアヌシーのスナップが載っています。この年のアヌシーは、久里洋二さんの『マンガ』、木下蓮三さんの『ジャポネーズ』、小出ひでおさんの『ストーンゲーム』、川本喜八郎さんの『道成寺』の4本が入選し、『道成寺』はさらに大衆賞とエミール・レイノー賞を受賞するという快挙を成し遂げた年だったのです。ちなみにこの年のグランプリはコ・ホードマン作『砂の城』とポール・ドリエッセン作『ダビデ』でした。現在、広島のフェスティバルに近隣国から団体で参加している様子を見かけることがありますが、それはその国のアニメーションが文化として発展していく最中の姿なのかも知れません。
 特集の記事は古川タクさんの「アヌシーごろごろ旅日記」、鈴木伸一さんの「アヌシーで逢った人」、藪下泰次さんの「アヌシーに参加して思う(談話)」に、本誌特派員(?)黒巻郷成(=クロマキー合成、その実体は会員の吉沢亮吉さん)による簡単なスケジュール表入りの「アヌシー'77レポート」等です。藪下泰次、鈴木伸一、峰岸裕和、大迫照久(同志社大OBで学生時代からよくアニドウに出入りしていました)、吉沢亮吉の各氏には写真等の資料提供をしていただき、川本さんからも特別な協力をしていただきました。
 この頃からするとアヌシーは日本人にとって随分と近しいところになりました。1993年の宮崎駿監督『紅の豚』、1995年の高畑勲監督『平成狸合戦ぽんぽこ』の長編グランプリ、2003年の山村浩二監督『頭山』の最高賞グランプリ、2007年の細田守監督『時をかける少女』の長編特別賞、2008年の加藤久仁生監督『つみきのいえ』の最高賞グランプリと目白押しの受賞で、普段積極的にアニメを見ない人々の口の端にもアヌシーの語がのぼるのは嬉しいことでした。と言っても飛行機が苦手な私にとってアヌシーは相変わらず遠くにありて想う場所なのですが。
 スタジオ見学はOHプロダクション。オープロともOHプロともOH!プロとも書く、この辺の自由さが実にオープロらしいところです。なお、この号の奥付では編集が富沢洋子(私)/並木孝と併記になっています。長らく手書きを続けてきた読者のお便り欄もこの号から活字に改まりました。手書き文字を担当してくれた武荒恵さんたちには今さらながら感謝しています。

 この号の前、1977年6月にアニドウでは「1/24」の特別増刊号「JAPANESE ANIMATED Films」を発行しています。前述のアニメーション作家陣のアヌシー参加を機に日本のアニメーションを世界に紹介するために作られたもので、ASIFAの関係者エドワード・ヘルスコビツ氏(通称エドさん)が並木さんに持ちかけてきた企画です。体裁は通常の「1/24」と同様で28ページ。内容は日本のアニメーションの歴史と作家一覧、ASIFA加入の呼びかけになっており、そのほとんどが英文で記されています。編集は並木さんとエドさん、レイアウトに牛込恵子さん、壺内英昭さん、私は他の常連と一緒に編集協力に回っています。
 このエドさんは後になってから分かるのですが簡単には言えない人物で、アニメーションに対する善意や熱意で動いていたとは言いかねる部分があり、ここには書けないようなお金の絡んだトラブルも引き起こしていたと聞きます。この号は私が中心になって手がけたものではないので余計な言及は避けますが一見して特異な号です。これは現在では所有している人も少ないかもしれません。

 第19号は1977年10月発行。少し増ページして32ページになっています。表紙は大塚康生さんが演出と作画監督を担当された『草原の子テングリ』の連続写真。幼いテングリを背中に乗せた子牛の走りを真横から捉えたショットで、頭から尻尾まで生き生きとした子牛の走りと、背に乗ったテングリが子牛の動きに連れて軽くバウンドする様子が単純な繰り返しではない様々なフォルムで描かれていて勉強になります。
 この号のトピックは当時中央大学経済学部の学生だった森雅章さんの自主制作人形アニメ『CMシリーズ/森永チョイス』の紹介です。8ミリ、カラー、3分半の作品で、アニメーション'77サマーフェスティバルでお目見えして話題を独占、急遽ベルバラヤにお招きして話をうかがったものです。手のひらに乗るほど小さなドラゴンがビスケット(森永チョイス)をもらって食べ、叱られてはうなだれ、やがて丸まって寝てしまう愛らしい作品で、PAFでも全国縦断上映されましたので覚えている方も多いと思います。「ウダウダ言う前に作らなくちゃあ」と語った森さん。アニメートの技術も造型も抜群で素人離れしており、本誌でも「天性の才能」「先行き楽しみな才能の出現」とベタ褒めですが、この方が現在、アニメ作家として大活躍の森まさあきさん。とんねるずの番組のオープニングを飾った『がじゃいも』や『ガラガラヘビがやってくる』のクレイアニメを手がけたり『みんなのうた』や各種CMでも活躍されていますので日本人でその作品を見ていない者はいないのではと思われます。ご本人は面倒見がよく行動力があり人望厚く、相手によって差別しない(男の人でこれができる人は案外少ないものです)善き性格の方で、私もことあるごとにお世話になっており、ありがたい限りです。
 また、この号から大型連載「アメリカにおけるアニメーションのルーツ」が始まりました。これはモントリオールEXPO'67でのアニメーション映画の回顧展の際にシネマテーク・カナディエンヌによって発行されたアンドレ・マルタン著「アメリカ漫画映画の源流と黄金時代」と題するジャンボサイズの図表を「1/24」用にアレンジし注釈をつけたもので、企画・構成は並木さん、制作はしあにむ(伴野孝・望月信夫さん)の労作です。第1回は「J・R・ブレイを源流とする人々」。左から右へページをまたいで人名とスタジオから派生する作家たちを矢印でつないだ横書きの系図です。これがやがて大冊「世界アニメーション映画史」へと発展して行くルーツのひとつと言えるでしょう。執筆も大変だったと思いますが、編集的にも非常に苦労したページで、慣れないロットリングで引く線、小さい枠の中に貼り込む人名とスタジオ名、校正の煩雑さ。その労力の割りに誤植その他のミスが多く内容も難解で、一部の熱心な読者の支持は得ましたが労多くして……なページでした。
 読者ページには「人形アニメとウルトラ怪獣」と題して原口ともお(原文のまま)さんが登場しています。現在では特殊メイクの第一人者であり特撮監督としても名高い原口智生さんその人です。
 また、この頃からアニドウではベティ・ブープの絵の入った専用封筒と、定期購読の期限切れを該当者に知らせる紙片を作っています。封筒は市販のものを買うよりも印刷に出した方が安く上がる印刷マジック(?)が働くのでした。お知らせ紙片はヒルダのキャラ表からのカットを小さく入れたコピーを短冊状に裁断して使いました。「1/24」を開くと中からヒルダがにこやかに期限切れを告げ、定期購読の延長を勧めるという趣向で、これは評判になりました。ヒルダのほほえみに負けましたという声や、早く自分のところにもヒルダが来ないものかという声さえありました。これはお金を預かる私のアイディアで、色々な事柄をただ事務的に済ますのでなく、こんな風にあらゆる場面で読者と共にあることが私の理想だったのです。だから手紙はよく書きました。読者からのちょっとした質問等にもまめに答えており、今からするとどこにそんな時間があったのだろうと思うほど日に何通も手紙を書いていました。「1/24」を送るための宛名書きも私の仕事でしたが、封筒に宛名を書きつつ、裏のベティのイラストに手描きで吹き出しをつけてちょっと一言つけ加えるなどということもやっていたものです。

その96へつづく

(10.11.19)