アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その96 『ヤマト』ブームの頃

 前号まで「1/24」のバックナンバー紹介を続けてきましたが、実はこの1977年は日本のアニメ史にとってターニングポイントとなった年です。この年の8月に劇場版『宇宙戦艦ヤマト』が公開されたのです。これは劇場版といっても1974年放映のTVシリーズを再編集したに過ぎないものでした。元々は海外輸出向けの企画から転じたと聞いていますが、低視聴率のために打ち切られたシリーズを再編集して2時間10分の長編映画にして全国公開まで持っていった西崎義展プロデューサーの力は大したものだと思います。
 私の劇場版『ヤマト』についての感想は「1/24」第19号に書きました。以下、簡単に抜き出してみます。まずはTVシリーズのダイジェストとして戦闘シーンを主として再編集されていることからくる問題点の指摘。TVシリーズの主眼はあくまでもメカの中の人間に向けられており、ガミラスの繰り出す機械兵器に対し、最後にそれらを打ち破るのは必ず人間の手である点で『ヤマト』は先行諸作と根本的に違っており、それはそのまま高度経済成長と公害を経た当時の社会状況を反映していること。劇場版ではこのメカの中の人間を描くという視点をほとんど切り捨てており、古代進など、その影響を一身に受けて性格的に問題のある人物になっていること。決定的に気になるのは第二次大戦の感覚をあまりにも引きずっていること。空を飛べない戦艦だったばかりに大敗した大和というナレーション。そしてすぐに空飛ぶ宇宙戦艦として甦って戦いに赴くヤマトに何か肌寒いものを感じてしまう。以上。現在でもこれに付け加える点はありません。私はTVの『ヤマト』本放送時には裏番組の『ハイジ』を見ていましたが再放送で全話見ています。その上で認めるべき点と批判を見極めていたのでした。『ヤマト』はその後次々と続編が生まれ誰のものか散華の思想が顕わになり、私としては感心しない軌跡を描いて航行していきました。今でこそ宣伝上の都合もあってか不朽の名作と称されている劇場版『ヤマト』第1作ですが、公開当時の評判は私に限らず芳しいものばかりではありませんでした。特にTVシリーズのファンにとってはそのツギハギに過ぎない内容に不満が高かったようです。
 『ヤマト』の残した功績を挙げるなら、素晴らしい歌と音楽、そして優れたクリエーターを多く業界に呼び込む契機となったということがあるでしょう。『ヤマト』の持つSF性やロマン、当時のスタッフたちが見せた一部の優れた画面、そして何より大きいのは『ヤマト』は多分日本のアニメ史上初めて明確にターゲットを中高生層に絞り込んで作られたことで、ワープ時の森雪のヌードはその象徴とも言えるのではないでしょうか。『ルパン三世』など青年向けアニメは存在していましたが、『ヤマト』はもっと明確にターゲットに照準を合わせ目配せを送っていたのです。それゆえ、これは自分たちの番組だと感じた人は多かったと思います。その影響下に育った才能が業界を目指す、それは当然の結果だったと思うのです。しかし、映画界がTVのダイジェストでも人気アニメなら興行が成り立つと知ってしまったことで、次々と再編集作品の公開が続くという負の遺産も『ヤマト』は残したのでした。
 『ヤマト』の公開は8月。入場者プレゼントのセルを目当てのファンが映画館に詰めかけ徹夜行列ができたりと社会現象にもなりました。その公開に先立って「月刊OUT」第2号が行った『ヤマト』特集は情報に飢えていたファンに熱狂的に迎えられました。それは元々サブカルチャー雑誌として創刊された同誌の進路をアニメ寄りのものに変更させ、アニメ雑誌が読者に求められていることを実感した出版各社によるアニメ特集号の発行やアニメ誌創刊へとつながります。それまでは産業廃棄物扱いで制作が終わると処分されたり、スタジオ見学者や希望者にタダで配っていたセルに商品価値が認められ、絵ハガキやキャラクター等のアニメグッズを扱うアニメショップが生まれ、LP等の副次商品が発売され、キャラクター人気と共に声優さんがそれまで以上に注目を集め、いわゆるアニメブームが始まりました。アニメーション全般を扱った「文藝春秋デラックス」10月号「アニメーションの本」が発行されたのもこの頃です。
 アニメブームは地面の下で充分にたまっていたアニメファンの熱に『ヤマト』が決めの一撃を打ち込み、一気に地熱が噴き出したようなものです。新しい商業形態が生まれ、それによって潤うところもあったようですが、かといってスケジュールが緩むでもなく単価が1円でも上がるでもなく、現場のアニメーターたちにとってはほとんど関係ないことでした。むしろ増加する一途のスタジオ見学者の相手で作業が滞ったり、制作途中のセルや原画の盗難といった事件が相次ぐなど迷惑を被っていたのも事実です。
 こんなこともありました。前述の「月刊OUT」1977年11月号67ページ掲載の「アニメ貴族登場!!」という記事です。副題に「あなたもアニメーターになって、スーパーカーに乗ろう!!」とあり、誌面に登場するのは『メカンダーロボ』の原画を描いていたという片瀬ミツ子さん。本名か仮名か、実在するのかは不明です。「アニメは私にとって娯楽以外の何ものでもないわよ」と語る彼女は3匹のアルビニョン種の猫と共にマンションに住み、スーパーカー、マセラティを乗り回すという女性。『ヤマト』の熱狂的ファンでファングループ出身、『メカンダー』は「1カ月で1話分ぐらいの原画を描いて20万ぐらい」の収入だそうです。この記事には当然ながら業界内での反感も強く、私も「1/24」第19号の編集後記で怒りの文を書いています。インタビュー構成は聞き手がある意図をもって記事に仕立てあげるものと理解した上で同誌の編集姿勢に異議を唱え、TVアニメを金儲けと心得て描きとばして荒稼ぎする人物は珍しいものではないが、そういう人は必ず軽蔑されていること、作画の中で遊ぶのと遊びで仕事をするのは天と地ほども違うこと、アニメファンが誰でもアニメーターになれて高収入のような書き方をされては困ると。
 この頃の私はよく誌上で怒っていて、同じ号の編集後記でも、再放送の『ハイジ』がCMを多く入れるために本編の一部を1分間ほどカットして放送されている件に作品冒涜と怒りの声を上げています。マスコミからはアニメブームと持ち上げられても、その実態はこのような作品無視の寒々しい状況であると。当時の私は実際に会った人たちが、この体のどこにこんなパワーがと驚くほど華奢で小柄(身長150センチ足らず、服のサイズは5〜7号でした)で、見た目も大人しく実際無口でした。そんな私が、実は戦闘民族の末裔ではないかと思うくらいの激しさで様々な理不尽な事柄に怒りの声を上げていたのです。自分から喋らないぶん、言いたいことは全て文字を通して吐き出していたのでした。

その97へつづく

(10.12.03)