アニメーション思い出がたり[五味洋子]

その97 トルンカ特集号

 劇場版『宇宙戦艦ヤマト』を経てアニメブームは加熱の一途を辿っていましたが、『1/24』の編集は世間の波とは無関係にマイペースで続いていました。
 1978年1月には再び合併号として68ページの第20+21号を発行。特集は「イルジー・トルンカの藝術 Art of Jiri Trnka」。表2と関連記事を入れて36ページ、通常号よりも良質の紙を多用した、当時としては豪華な作りで、特集ページには通常の読者の一言コーナーも入れないという真摯な姿勢で臨んだ入魂の特集です。表紙は兵士シュベイクの人形を手にするトルンカの横顔に『電子頭脳おばあさん』等のスチルを散りばめ、裏表紙はセットに自ら仕上げの手を入れるトルンカのショットを大きく載せ、落ち着いた茶系の濃淡で重厚な感じに仕上がった、これも好きな表紙のひとつです。余談ですが、チェコ等東欧のフィルムに使われているアグファカラーは歳月を経て褪色すると赤と緑だけになってしまうのですが、それはそれで味わいがあって私は好きです。この表紙はどこかそんな趣きもあります。特集タイトルの「イルジー・トルンカの藝術」は並木さんと2人で考えました。特集号のタイトルというとストレートに「特集○○○」や「○○○の世界」等が浮かびますが、トルンカに関しては「藝術」の語しかないと一致しました。ほとんど即決でした。藝術と古い文字を使っているのも芸術の文字ではまだ重みが足りないという思いからです。私にとってトルンカは18歳の頃に出会った『バヤヤ』に魅せられて以来、特別の作家であり続ける存在でした。このトルンカ特集に関しては、この日のために『1/24』を活字化写真入りにしたと言っても過言ではないほどに思い入れもひとしおで、特集扉に企画・富沢洋子と私には珍しく名前を載せてあるのもそのなせるものです。
 資料の面では川本喜八郎さん、渡辺泰さん、岡田英美子さんたちに大変お世話になりました。おかげで各ページに作品スチルや制作中のショット等を配することができ、見た目にもかなり満足のいくものになっています。アニメーションはとにかく実物を見なければ分からないものですが、人形アニメーションはその人形のスチルを見るだけでも、そのまとう雰囲気をはじめ、伝わるものは多いと思います。地方に住む、上映会に参加の叶わない読者たちにも少しでもトルンカの魅力に触れてほしいとの思いも強くありました。強く願えば必ず叶う、それがその頃の私の信念でしたから。
 巻頭には川本さんの「トルンカ先生の思い出」。川本さんは今年惜しくもお亡くなりになりましたが、『鬼』や『道成寺』をはじめとするいくつもの秀でた作品の作家として、また日本のアニメーション作家を取りまとめるリーダーシップと人望の持ち主として、また好ましくない事柄に対しては誰はばかることなく指摘し教え導いてくれる英知の人として、なくてはならない方でした。そして私たちにとって特別な存在であるもうひとつの理由が、日本でただ1人の直弟子として師イルジー・トルンカとそのスタジオについてを伝えてくれる方だったことです。私が『バヤヤ』でトルンカの存在を心に焼きつけたその時には、すでにトルンカはこの世を去っていたのです。私たちは川本さんの言葉を通してトルンカの人となりや人形に対する思いを知り得たのでした。
 川本さんに続いて、人形アニメーションへの愛では人後に落ちず『人形〔パペット〕アニメーションの魅力』の著書(河出書房新社、2003年)もある、おかだ・えみこさんの「〈トルンカの夕べ〉へようこそ」。この1月に2日間に分けて行う予定の上映会「トルンカの夕べ」の解説を兼ねての文章です。この上映会はのべ1000人の入場者を集め、大成功を収めました。この号も上映直前に印刷が上がり、会場で頒布することができました。ありがたいことです。
 渡辺泰さんによる詳細な「トルンカ,人と作品」は新聞記事等の引用を駆使しつつ、渡辺さん所蔵の参考文献リスト入りで貴重な文です。そしてフィルモグラフィとトルンカ略歴、電通の『季刊クリエティビティ』から抜粋転載した川本喜八郎さんの「チェコの人形映画製作の現況」、『チェコスロヴァキア映画』より転載の映画評論家ヤロスラフ・プロシュ「人形映画作家トルンカとの対談」と読み応えのある記事が続きます。その後、読者代表として中目まり子さん、下村千早さん、富沢洋子、大越和子さんらそれぞれの「トルンカと私」。そして再び、おかださんによる「まだまだトルンカの話そのほか」で一応今回の特集は幕を閉じます。編集後に私はトルンカと夢の中で対話するという経験もしました。こんなことは後にも先にもこれ一度で、それほど入れ込んでいたのでしょう。
 この時点でトルンカの作品はまだほんの一部しか見られませんでした。洋書等にあるまだ見ぬトルンカ作品のスチルを前にどれほど想像を膨らませたことでしょう。その後、様々な機会を通して少しずつベールを脱ぐように作品が現れ、宝珠を集めて環を編むようにそれらを味わう日々が続きました。その全貌が明らかになったのはずっと後、川崎市市民ミュージアムでの特集上映でした。その頃は東京を離れていた私をはじめ、全国から同好の士が集い、さながら同窓会の趣きがありました。さらに後、愛知県刈谷市美術館での素晴らしいトルンカ展、『バヤヤ』等代表作数本の劇場公開、チェコブーム、DVDの発売と今思っても信じられないような展開が続きました。NHK-BS「世界わが心の旅」で放送された師トルンカの墓所を訪ねる川本さんの姿も忘れることはできません。この合併号の当時からすると、文字通り隔世の感があります。私はといえば、この号の編集後記で必ずもう一度特集をと誓っていますが果たせず、後におかださんのお誘いを受け、雑誌『夜想』(ペヨトル工房)でトルンカへの溢れる思いを文章にすることができました。誰よりもご自身で書きたかったに相違ないのに、おかださんの配慮には感謝してやみません。
 今の人たちにトルンカの作品はどう受け止められているのでしょうか。願わくは、たとえソフトでの鑑賞であったとしても、心を澄まし、雑事を排して対峙していただきたいと思います。トルンカの作品は見る者の心を映す鏡でもあります。心を澄まし、耳を澄まして向かい合わねば決して聴こえて来ない魂の言葉が、その寡黙な、人形だけの世界にはあるのです。

 この号は他の記事も充実しており、大塚康生さんのアルバムを拝借しての「東映動画スタジオの記録(2)」もあり、杉本さんの連載「映画フィルムはなぜ?」は「立体映画のはなし」。最近にわかにブームの立体(3D)映画ですが、実は古くからあったことがよく分かります。画面が立体に見える原理から赤青メガネ方式、ポラロイド(偏光板)メガネ方式等の説明があり、今読んでも意味がある文です。高山弘さんの連載「モデル・アニメーション・ノート」は「恐龍を創る男デルガド」。ウィリス・オブライエンの「ロストワールド」や「キングコング」等に出て来る恐龍(注・龍の字は高山さんの表記に従っています)を制作し、後世に多大な影響を残したマルセル・デルガドについて紹介しています。読者のページでは須羽満夫さんの8コママンガが私のお気に入りです。『パーマン』の主人公と同じこの名はもちろんペンネームで、今や誰もが知る実力派演出家さんがその正体ですが、ここでは種明かしはしないでおきましょう。須羽さんはこの後も常連としていい感じのコママンガを投稿しては楽しませてくれました。
 ただ……『1/24』が様々な記事を同時に掲載するという意味での雑誌である悲しさもこの号にはあります。詳しく記すことは避けますが、読者の質問に答える形で書かれた1ページ半の文章の内容は現在の目で見ると信頼性に欠けるもので、もしこの号をお持ちの方はそのことを念頭において読んでいただければと思います。私も加担してしまったこの文章には今、悔いが募ります。

その98へつづく

(10.12.17)