その98 1977年の出来事
劇場版『宇宙戦艦ヤマト』に沸いた1977年、TVアニメはまだ『合身戦隊メカンダーロボ』『超合体魔術ロボ ギンガイザー』等の巨大合体ロボットものが多くを占めていました。といっても1974年の『ゲッターロボ』以来続いてきたブームですので作品タイトルにも苦心の跡が見られます。
そんな中で注目は10月から放映開始した富野喜幸(当時)監督の『無敵超人ザンボット3』です。巨大ロボットの存在が社会に及ぼす影響、戦闘に巻き込まれた市民の被害感情と主人公たちに向けられる敵意、視聴者にとってトラウマとなった敵方の人間爆弾作戦、戦いの意味に悩み無力感と孤立に苛まれる主人公たちと、従来の巨大ロボットものにはないリアルな視点が導入され、宇宙に舞台を移してからは親族が次々と我が身を犠牲にして散っていく非情のドラマ。そして敵から語られる戦いの真相の衝撃は富野監督の前作『海のトリトン』最終回の強烈な善悪逆転劇をさらに押し進めた、全てを相対化する理念。これらハードSFタッチを金田伊功さんとスタジオZのインパクトとユーモアを兼ね備えた作画の力が支え、稀有の作品に押し上げました。たった1人で地球に帰還した勝平を人々が迎える光景とそこに効果的に流れる第2番の歌詞の主題歌。勝平が辿り着いたラストシーンは人間への希望にあふれ、アニメ史上に輝きます。『ザンボット3』はリアルロボットアニメの嚆矢であり、この成果が後の『機動戦士ガンダム』へと結びついているのです。
同じサンライズ制作では、もう一方の雄・長浜忠夫監督の『超電磁マシーン ボルテスV』が6月から放映開始。長浜ドラマティックロボットアニメの頂点を極めたと言っていい作品で、数奇な絆で結ばれた主人公と美形敵役プリンス・ハイネルの宿命の対決に紅涙を絞られたファンも多かったことと思います。現在だったら舞台劇として上演しても充分にいけるのではないかと思いますがどうでしょうか。
東映動画ではブームの流れに沿った『惑星ロボ ダンガードA』の一方、そうした熱い流れを横目で見るような『超人戦隊バラタック』を制作。脱力ギャグタッチのストーリーと小松原一男さんのカッチリしたキャラクターのミスマッチが同作の魅力を高めています。
東京ムービー制作、出崎統監督の『家なき子』は立体アニメと大々的に宣伝されての放送でしたが、これは現在流行の3D立体映像とは違って、多段に組んだ背景の前景と後景、あるいは動画を逆方向にずらしつつ撮影することによって生じる視覚の誤差を利用したもの。『家なき子』はそうした要素を外して、旅する少年のビルドゥングスロマンとして素晴らしく、レミの師匠ビタリス老人の「前へ進め!」の言葉は出崎作品全てを象徴する重みを持っています。名優・宇野重吉による重厚なナレーションも効果的でした。
異色なところでは日本アニメーション制作の『女王陛下のプティアンジェ』。アニメマニアにはスタジオZが手がけたOPが話題になりましたが、吾妻ひでおさんが自分のマンガの中にたびたび吾妻流美少女アンジェを登場させたことでマンガファンにも注目され、ロリコンブームのきっかけともなりました。
私はといえば日本アニメーションの名作もの『あらいぐまラスカル』と『くまの子ジャッキー』の動画をやっていた年です。『くまの子ジャッキー』は森康二さんがキャラクターデザインを手がけられた作品で、インディアンの少年と2頭の子熊の可愛らしさが絶品でした。森さんの手になるキャラクター表をうっとりと眺めながら少しでも森さんの絵の持つ雰囲気に近づけようと頑張って動画を描いたものです。
またこの年1月からタツノコプロの『ヤッターマン』も始まっています。先の『あらいぐまラスカル』と共に今も根強い人気を持つ作品で、実はあまり好みではない私でもキャラクターやギャグ、メカ等は記憶に染みついており、先年の実写版も(TV放映で)楽しんだのですから人気のほどが知れようというものです。
この年は特撮ものも当たりの年で、宮内洋主演の痛快アクションもの『快傑ズバット』、ハードな設定で始まり途中のテコ入れで宮内洋演じるビッグワンの参入による路線変更と1作で2度おいしいスーパー戦隊シリーズ第2作『ジャッカー電撃隊』(スーパー戦隊という括りは後年のもので当時はシリーズというより独立した作品)、巨大ロボの大胆な変形ギミックと必殺技グラビトン発射の描写がたまらない『大鉄人17』と三者三様の作品が出揃い、毎週実に楽しみだったものです。この3作の燃える主題歌はいずれも、当時は徹夜時の、今では長距離ドライブの友であり続けています。
映画界は来年夏日本公開と決まった「スター・ウォーズ」の話題で盛り上がっていた頃で、公開を待ち切れずひと足先に渡米して「スター・ウォーズ」を見るためのツアーが組まれたり、先に見てきたSF関係者たちの世にも面白そうな見聞録が喧伝されてさらに熱気を煽るという狂騒状態にあり、7月にニュージーランド沖で発見されたいわゆるニューネッシー騒動も輪をかける形でSFブームが巻き起こりつつある時でした。劇場版『ヤマト』の成功はこの時流を上手く先取りしたという要素もあったと言えるでしょう。邦画各社はとにかくこの波に乗れとばかりの勢いで、東宝はいち早く「スター・ウォーズ」の当初考えられていた邦題をそのまま頂いた『惑星大戦争』を製作、12月に公開しましたが、古代ローマのガレー船型の金星大魔艦、リボルバー式の戦闘機発射口、チューバッカもどきの宇宙獣人と、その時点でも時代遅れの発想と噴飯ものの描写で、伝え聞く「スター・ウォーズ」と比較して溜め息をつく出来でした。この溜め息が実際の「スター・ウォーズ」公開を経てどう変わったかはまた後の話です。
アニドウでは通常の上映会を続ける他に、バラエティ系新興SF雑誌「奇想天外」の編集者と親しくなり、上映会の案内を掲載してもらったり、同誌と協力してアニメだけに限らない上映会「奇想天外シネマテーク」を企画・開催したりと発展の一途を辿っていた頃でした。また合併号等で発行間隔が空きがちな「1/24」を補うために私の手書きの情報紙「FILM1/18」を復活させたりもしています。私にとっては仕事とアニドウの活動以外何もない、そんな充実の頃でした。
その99へつづく
(11.01.07)