板垣伸のいきあたりバッタリ!

第162回
やみくもアニメ話

今、またコンテ切る生活へと突入しました!

 で、まー忙しいは忙しいに違いないものの、たまには自分の身のまわりの近況報告や「特捜最前線」以外のアニメスタイルらしいアニメ話を書かなきゃって気になりました。なぜなら今年から来年いっぱい、海外向けシリーズを監督する予定——つまり契約上、作品内容や状況報告をこのコラムで書く事がなかなかできないため、ネタがひとつ(つーかほとんど)が使えず、下手すると連載の存在意義すら危ぶまれます。だから、来年に向けて慣れるためにも今回はいきなりやみくもにアニメ話を。

 でもねぇ〜、アニメアニメと言っても

俺にとってアニメ=出崎統監督(またか!)

 なんですよねえ。いや、けしてオーバーな話でも何でもなく、出崎アニメ以外のアニメがなくなっても俺、究極困らないと思うんです。これはだいぶ以前にも書きましたが、別に自分は、3回PANや止め絵(ハーモニー)が好きなんではありません! むしろ嫌いです。ただ、

止まってようが動いてようが、はたまた大判(大きな絵)を引っぱって動いてるように見せようが、要は“絵で作ったフィルム”がアニメだ!

 って考えは好き。出崎さんて、70年代ですでにそれを本能的に演出してた人でしょ? つまりTVアニメって制約だらけの作品作りの中、

枚数が使えないから止めました。どーせ止めるならこーやって、あーやって〜

 な演出家は昔っから普通にいたと思いますが、出崎作品って、最初から止めるプランで演出してるとしか見えないばかりか、動画枚数が何万枚……いや何十万枚使えても『ジョー』は『ジョー』だったと思うし、『バカボン』は『バカボン』だったと思うんです。たとえば劇場版『あしたのジョー2』、あれがもし、TVシリーズの総集編でなくオール新作であったとしても、作画が多少丁寧になるだけで、基本ああなったと思うんです。なにせ、オール新作の劇場版『エースをねらえ!』をああした監督なのですから。普通の人は「劇場なんだから」枚数を使ってゴージャスに(枚数を使う=ゴージャスという考え方も、もうやめてほしいけど)と考えるのでしょうが、出崎さんはTVも劇場も基本撮り方は変わらないです。これ、いわゆる「映像インテリ」たちは「劇場とTVを一緒にするな!」と残念にも怒ったりすると思うんですが、じゃあそういう方は「ロングの長まわし(引きの画でカットを割らない)」をやって動画枚数を使えば映画だと? これこそ映画を馬鹿にしてると思います。つまり「TV」だ「映画」だ程度では揺るがないものこそ出崎演出の真髄なんでしょう。そして自分はそれが当たり前のアニメだと信じてきたし、これからもたぶん信じてゆくつもりです。さらに、

宮崎アニメと出崎アニメ!

 テレコムに入ったばかりの頃、先輩たちは俺によく訊いたモンです——「板垣君の好きなアニメは何?」と。すると自分はよくこう答えました。

宮崎さんの『(未来少年)コナン』と出崎さんの『宝島』や『(あしたの)ジョー2』かな〜

 で、先輩たちは

ええ? そんな対極(正反対)なっ!

 などと返してきて「?」でした。そりゃもちろん、テレコム・アニメーションフィルムはかつて宮崎アニメを作ったスタッフで構成されてたからでしょうが、一ファンであった自分にとって宮崎アニメと出崎アニメって大差ないし……と言うか、よく似てると思ったからです(今でも)。だって、原作ものだオリジナルだの違いはあっても、御二方とも

男はこーゆーのがカッコイイ!
女はこーあるべき! こーゆー女ってグッとくるよね!

 を、力の限り精一杯それぞれのキャラになりきってその主観でコンテ切ってるでしょ? 少なくとも板垣にはそう見えるんですが。違うのかな? まあいいや……。

(10.04.01)