板垣伸のいきあたりバッタリ!

第178回
職人でありたい。

 『戦国BASARA弐』もあと1本処理を残すのみ。普段業界では「処理」と呼ばれる仕事——テロップ上は「演出」と記される仕事ですが、業界人でない方には理解されづらいと思います。「コンテ」とかはカットのつなぎなどの絵面の事なので分かりやすいのですが、こと「演出」となるとなかなか説明が難しく、俺個人としてはスタッフ表記上とはいえ「演出」という名前がすでにその仕事内容にふさわしくないのではないか? とも思うんです。だから自分の場合「演出」ではなく「処理」と呼ぶし、業界的にもコンテを描かず「演出」をメインに仕事してる方を「処理屋さん」と呼ぶ事があります。それはそのワークスタイルの良し悪しではなく、実写の世界ではカット割りを決めて役者さんの芝居・動きも含めてシーンの構築にこだわり、フィルムを仕上げてゆく作家を「演出家」と呼ぶのに対し、アニメ界ではそのフィルムの演出プランはコンテマンに委ねられた上、そのプランどおりに事を進める人を「演出家」と呼ぶ——本当にそう呼んでよいのか? という抵抗が「処理屋」と呼ばせるんだと思います。杉井ギサブロー監督なども「コンテが演出なんだからね!」とハッキリ仰られてました。今回『戦国BASARA弐』を受けた話を先輩のアニメーターに何気に言ったら

え? 処理(演出)もやるの? 偉いねぇ〜!

と感心されました。自分がそれに対して「なんで?」と訊くとその方いわく

だって監督とかになると普通コンテまでしかやらなくなるのに

だそうです。俺はそれがイヤなんです。たしかにコンテだけの仕事を月3〜4本とかでつないでいった方が断然儲かります。ヘタをすると監督よりも……。けどそれ面白くないし、絶対自分の思ったフィルムにならないんです。それと自分が監督やると、自分でコンテ切る本数が多くなったりするのも、できるだけ演出家を3人にしたくないからで……。つまり、監督とコンテマンと演出(処理)をすべて別の人がやると、その話数はかなり無責任が横行するんです。例えば、原画マンが演出さんに質問すると、その演出さんから「コンテがこーなってるからなあ〜」と答えられたりするわけ。監督が演出さんに「こーゆー感じでお願い」と言えば「じゃ、コンテで直しといてくださいよ」と。そしてコンテマンはというと「作業するのは俺じゃないから好きに大暴れしてやろ〜」です。
 せめて自分でコンテ切ってれば、演出さんに明確な意図が伝えられるし、質問にもハッキリ答えられます。そのかわりコンテ・演出で受けてくださる方がいれば自分はガッツリお任せします。逆に「コンテだけをやりたい」って言ってくる方に対しては「処理(演出)までやっていただけませんか?」と必ずお願いします。実現するかどーかはともかくとして。
 ま、話はいろいろと飛びましたが、自分としては今やってる『戦国BASARA弐』は一演出職としての仕事で楽しんでるってわけです。で、すみません。これからガイナックスへ行かなきゃならないのでここまで……! 短い——ゴメンナサイ!

(10.07.29)