第189回
コンテ用紙に向かう勇気
〜「映画的」って?

今、出崎統監督作品劇場版『AIR』を観つつ、この原稿を書いてます

 だいぶ以前にも書いたと思いますが、コンテって本数切れば切るほど次が不安になってゆくもんで……あ、自分だけかもしれませんが。やっぱり8〜9割がルーチン・ワークでも残り1割〜2割は「何か新しいモノを……新しいがムリならせめて変なモノを!」と考えて試行錯誤するのがコンテ作業です。すべて(10割)をルーチンで描ける方は月4〜5本ペースでコンテ切って家でも建つんでしょうが、自分はそれほど器用じゃないし、1〜2割の「新しいモノ、変なモノ」を生み出す事は苦しくもあり逆に楽しくもあるわけで、その部分はどーしてもとっておきたいんです。でも、それが観る人に受け入れてもらえるかもらえないかは、回が増すほど不安もつのるばかり。

そんな時いつも繰り返し観るのが出崎作品

です! 出崎アニメはコンテ切る云々の勇気だけではなく、生きる勇気も与えてくれますから。つまり、そろそろ次の作品のコンテにかかろうってこの時期、またまた出崎作品を観て勇気と元気をいただく日々へ!——な感じで、劇場版『AIR』の話。

 劇場版『AIR』は2005年2月公開の出崎統監督作品で、原作は、ゲームブランドKeyが制作した恋愛アドベンチャーゲーム、らしいです。「らしい」というのは、自分はまったくゲームに詳しくないからで、もちろん原作のゲームはプレイした事もなく、申し訳ありません。ま、とにかく原作がゲームだろうが漫画だろうが小説だろうが出崎統監督作品には違いないんですから映画として楽しみましょう!
 俺個人はもっともっと評価されるべきだと思います、この映画。そもそもいまだに「出崎といえば止め画だ、ハーモニーだ、3回PANだ……」と言ってる人たちが自分のまわりにもいる事が残念でなりませんね。さらにいまだにそういった画面処理を目にした方たちが、「あれはTVアニメだ」「漫画だ」など勝手に格付けしてるのにはただただ閉口します。そんな画面作りのテクニックよりもよ〜く観て、そして感じてください。

この作品がいかに映画的な素材で埋め尽くされているのかを!

 アニメの流れ的な話をまずすると、1970〜80年はやっぱりTVアニメの時代。ところが80年終盤になってジブリやらI.Gやらが「アニメで映画が作れる」事を証明して以来、90年代は、TVアニメやOVAが増える一方で、一部の劇場アニメがムック本やらレイアウト集やら出して、やれ「アップが多いのはTVアニメ的だ」とか、やれ「地面で足もと切るのは映画じゃない」だのと「映画」と「TVアニメ」を一般のお客さんまでが格付けする風潮がありました。もちろんジブリ作品やI.G作品の功績は大きいし、「アニメでもちゃんと実写の映画に対抗可能な映画が作れる」と認めさせてくれたのはハッキリと嬉しい事ですが、さらにハッキリ言っておきたいのは、

もう2000年に突入した上、何年も経ってるんですよ!

って話(いつまでも90年代に築き上げた美意識で語るのはどうでしょう?)。そこで改めて出崎作品を観てください。70年代〜今現在までそんな世間の美意識に流される事なく自分のフィルムを貫き通した上で、映画の根っこ・本質に近づいてってるような……いや、確実に近づいてってます! つまり映画の本質とは画作り的な表面に見えてるものより、そこに

時間の流れをいかに美しく組み立ててるか?

でもあるという事で。そういう観点で観てみると出崎作品ってどれほど映画的でしょう! この劇場版『AIR』も

雨、風、波、夕陽、現在と過去の交錯、そして祭り

すべてが時の流れを描くアイテムとして充分すぎるほど機能して、まるで詩のように美しく並んだ90分ですから!

で……

(10.10.21)