第205回
2人で1人
藤子不二雄(4)〜まだまだ『プロゴルファー猿』

 せっかく20数年振りとかでアニメ版『プロゴルファー猿』を観たわけなので「しつこいっ!」と言われるのを覚悟で、今回は

「アニメ」として観直した『プロゴルファー猿』

というかたちでまとめてみたいと思います。
 まず改めて『プロゴルファー猿』1982・2時間スペシャル版ですが、正直これに再会できる事は嬉しくもあり楽しみでもあり、そして恐ろしい事でもありました。なぜかと言うと、皆さんもあるでしょ? 子どもの頃にメチャクチャ大好きだったアニメに、大人になってビデオやDVDで再会して「あちゃ〜、こんなショボかったんだ……」と心底ガッカリした事って。1982年版『猿』もそうなるのかと思ったんです。ところが冒頭のあまりにカッコいい「俺は……猿さ」(第203回でも紹介しました)でそんな不安はブッ飛びました。

文句なし! 当時感じたワクワクがちゃんと健在でした!

 なんと言ってもまず1982年の作品としては撮影の光がイイ! ゴースト(光源とは違った位置にできる光の輪や玉……現在はCGやデジタル撮影でわざと作ったりします)も綺麗だし、カット内で露出を合わせてゆくとか——ちゃんと光を演出してるんです。何せ撮影監督が後に大監督になるアノ方なので。そして、キャラクターデザインが原作者・藤子不二雄先生とトキワ荘仲間の鈴木伸一さん(ラーメン大好き小池さんのモデルとしても有名)鈴木伸一さんで、これが後の1985年版(TVシリーズ)より原作に近い画でまとめられてます。それを『怪物くん』の本多敏行さんの作監でやや劇画タッチにアレンジされてて、可愛くて野性的な原作初期の画にますます近づけてる感じがうかがえます。でも1982年版でいちばん語るべき点は、監督の福富博(現在は福冨博)さんでしょう! 記念すべき劇場版『ドラえもん』シリーズ第1作『のび太の恐竜』(1980年)や同じく劇場版『怪物くん 怪物ランドへの招待』(1981年)、『怪物くん 怪物デーモンの剣』(1982年)の監督さんで、どれも子どもの頃劇場で興奮した覚えがあります。もちろんその頃は「藤子マンガ」としてで、「藤子不二雄ってスゲー!」でしたが……。おそらく自分が福富さんの名前を認識したのはそのずっと後の『ついでにとんちんかん』(1987〜88年)のオープニング、エンディングアニメーションとかだったと思います(そのあたりからアニメ誌を買うようになったので、スタッフの名前を見て自然と憶えるようになりました)。『とんちんかん』のOP、EDは華やかでオシャレで好きでしたね。つい最近DVDで観た、昔の『はじめ人間 ギャートルズ』(1974〜76年)の福富演出話数は、傑作揃いでした! で、今回改めて観た福富『猿』。何がいいって、フィルムの頭から尻まで、

「アニメならではの演出で面白く観せる」という事を探ってる感じ!

が好感もてるんです。これ1980年代(特に前半)ならではだと思います。なんて言うんですかね、出崎統監督らが1970年代に築き上げてった技法——前述の撮影による光の演出や、3回繰り返すカメラワーク、ストップモーションなど、もともとは実写から取り入れた表現が、1980年に入ると「それらの演出をやってると逆にアニメっぽく見える」くらいの定着を見せる事になったようです。「ようです」って言うのはリアルタイムで感じたのではなく、大人になってから観たバックナンバー(?)より読み取れた歴史だからです。ま、歴史の話は置いといて、つまりその1980年に入ってのアニメっぽく見える技法・表現を何も考えないルーチンワークで使ってた演出家が多かった(はず)中、福富監督の『猿』は本当に闇雲なまでの「アニメで表現できる面白さの探求」をした痕跡がありありと残ってるんです。
 例えばT.U(トラック・アップ……被写体に寄る)やT.B(トラック・バック……被写体から離れる)を単純に同じ方向に3回繰り返すのではなく、「T.U→T.U→T.B」(2回寄ってラスト1回離れる)だったり、どーって事ないアクションを背景動画(背景をセルで描いて動かす)でグワーンと回り込んでみたり、「何もそこまで割らなくっても」くらいの分割画面だったり。いろいろ視聴者を喜ばせようとする「演出パフォーマンス」の連続で、それが正解かどーかなんてこの際関係ありません。それは少しでも権威のある先輩から演出講義を受けて、それを根拠にしてしか演出できなくなってきてる昨今の演出家よりも、実際のフィルム上で「あーでもない、こーでもない」と楽しんで演出する姿勢の方が「本来の演出」だと思うからです。その試行錯誤から作られるフィルムはある一定の力強さがあるし、時代に流される事はないと信じてます。実際その結果って現在如実に表れてるでしょ? どれだけDVDが売れたって1年で人々の記憶から消え去る作品もあれば、その時売れなくっても向こう10年人々の記憶に残る作品もあるんですから。まあ、1982年ではソフト売りより視聴率なんでしょうが、少なくとも福富監督の『猿』は、28〜29年間、板垣の記憶に残ってた! という結果でした。「あ、やっぱり俺の記憶どおり猿たち標準語だ!」とか、「たしかここでメインテーマ曲が……あ! かかった!」とか、「旗包みがキマった時、猿のみアブノーマルになってたぞ……ホラやっぱり!」とかって自分でも呆れるくらいよく憶えてて。つまりそれだけ記憶に残る作品になってたってわけだし、月並みだけど「演出ってバカにならないな」と今回観て思いました。今までソフト化に恵まれなかった(1985〜TVシリーズ版は全話ではないけどビデオ化はされてますが、1982・2時間スペシャル版は今回が初ソフト化なんです)作品だけに、もう一度皆さんに観てほしいと切に願います。

あっ、忘れるとこでした——紅蜂!

 1982・2時間スペシャル版は紅蜂が原作よりもクローズアップされるんです! 福富監督もインタビュー(某藤子FC会誌)でそう仰ってました。あれはよかったです。紅蜂から見たら猿は「自分にないものをすべて持ってる存在だ」と。つまり「男の子で家族がいてとてもあたたかい環境で……そして自由で……」と涙を流し、だからこそ「猿にミスターXの組織に入ってほしくない」わけです。この描かれてないスキ(あくまでいい意味で)を原作から導き出した脚本と演出の勝利でしょう!
 そして1985〜TVシリーズ版『プロゴルファー猿』! これは1982・2時間スペシャル版より鮮明に憶えてます。まず1982年版から2年半後のシリーズ化という事で、スタッフは総入れ替え。

CD(監督)/西村純二、作画監督/本橋秀之、制作協力/スタジオディーン

 いや、こちらもカッコよかったですよ! 原作よりもシャープな本橋デザインの猿も俺大好きで、演出面でも西村監督自らコンテ・演出のローテーションに積極的参加型で3年間に渡る長期シリーズを実にハイクオリティで作りきってましたね。リアルタイムで毎週楽しんだ作品には違いないのですが、後半は自分も中学生になって何かと部活やら遊びやらで忙しくなってちょくちょく観逃したはずです。それに1987年には例の藤子不二雄解散もあったし、やや興味が薄れたのでしょう(スミマセン)。
 このシリーズの見所は迫力ある演出・作画でしょう! やはり日本のアニメ史的に見て80年代中期は「演出・作画の安定期」(に見える——板垣の独断です)。この頃になると前述のアニメ的演出技法がある事前提で事が運んでるかんじです。例えばストップモーションの止め画も出崎・杉野以外のチームでもカッコよく描けてるし、入射光(フレーム外から射し込む光)なども高橋プロダクション以外の撮影会社でも頻繁に見られるようにもなり、3回繰り返しのカメラワークに「カ! カ! カーン!」と効果音が入ったり、つまりは様式化してます。それらが2011年になった今でもテンポよく映えても見えるって事は、1982年版同様、優れた作品だって事の証明でしょう。あと1985年版『猿』の忘れちゃいけない魅力は

紅蜂をはじめ美しい女性キャラたち♡

 これはリアルタイムで小・中学生だった自分などは完全ノーマークでしたが(当時の俺からすると神聖な藤子不二雄作品を女キャラ目当てで観るなんて不謹慎な事でしたから)、今観返してみると、数は少ないれど本橋さんの描かれる女性キャラ……紅蜂以外にもアニメオリジナルキャラの若葉ちゃん(おっちゃんの娘)や猿のお姉さん。そして媟可燐(#19)やレッド・スコルピオ(#58〜61)などの各話ゲストキャラもそれぞれ華麗です。特に猿のお姉さんは母親とともに一家を切り盛りするしっかり者で、弟たちにとてもやさしい美人さんです。ちなみに1982年版と1985年版ではキャストが総入れ替えの中、なぜか猿のお姉さんだけが替わらず鵜飼るみ子さんです(本当になぜか分かりませんが、とてもお姉さんぽくていいです、鵜飼さん!)。あ、いいタイミングなのでまとめておくと、1982年版と1985年版で共通のスタッフ・キャストは以下のとおり

スタッフ
原作/藤子不二雄A(当然です!)
脚本/城山昇
音楽/筒井広志
録音監督/浦上靖夫
効果/松田昭彦・フィズサウンドクリエイション
編集/岡安肇

キャスト
猿丸の姉/鵜飼るみ子(いい♡)

 ——で、スミマセン。また仕事に戻ります。『猿』編は次回で終わり。

(11.02.17)