第206回
2人で1人
藤子不二雄(5)
〜『猿』終わらなかった……

スタッフ
原作/藤子不二雄A(当然です!)
脚本/城山昇
音楽/筒井広志
録音監督/浦上靖夫
効果/松田昭彦・フィズサウンドクリエイション
編集/岡安肇

キャスト
猿丸の姉/鵜飼るみ子(いい♡)

 ……がアニメ『プロゴルファー猿』の1982・2時間スペシャル版と1985〜TVシリーズ版共通のスタッフ・キャストです。普通アニメのリメイクは、10年前後経ってがほとんどだし、最近よくある「好評につき第2期シーズン決定」だって普通半年〜1年くらいで実現させるのが当然でしょう。ところが『猿』は1982・2時間スペシャル版から1985〜TVシリーズ版まで2年半空いてます。確かに1980年代前半は1回きりの1時間半〜2時間TVスペシャルアニメが最も増えた時期で『猿』がいきなり2時間スペシャルで登場する事自体は何の不思議もありません。ただ、それの「好評を受けてのシリーズ化」にしては2年半は空き過ぎ。……って事はおそらく1985年のシリーズ化は番組構成上『猿』が「抜擢された」んじゃないか、と思うんです。つまり1985年の『猿』は前代未聞のマンガ家個人名が冠についた1時間レギュラーワイド番組「藤子不二雄ワイド」の枠内での放映。ま、こんな番組ができたのも藤子不二雄が2人だったからだと思うんですがその話は後にして、結局1時間のゴールデンタイムの番組が低視聴率では絶対困るわけで。そのため、毎週観てもらえるように「連続もののドラマ」が番組の構成上不可欠。そこで「藤子不二雄作品の中で連続ものは?」と言うと、そう——

藤子不二雄(F先生もA先生も含む)作品は驚くほど連続ものが少ない!

んです。特にF先生の作品はごく一部を除き9割以上が1話完結の単発ものです。一方A先生の作品はザッと思い出せるだけでも「まんが道」「少年時代」など連続ものがいくつかあります。その中で子ども・ファミリー向けにできる連続ものって『プロゴルファー猿』だけだった、と。以上憶測ですが、それほど外れてないと思います。
 それでやっと話を1982年版と1985年版の共通スタッフの話題に戻しますが、今回ひととおり観て思い知ったのが

何より音楽の偉大さ!

です。『猿』の音楽は1982年版も1985年版も筒井広志さんです。『怪物くん』(1980〜82)の音楽も筒井さんで1982年版『猿』は『怪物くん』からの続投でしょう、たぶん。そのせいで『怪物くん』のBGM(劇伴)がいくつか1982年版『猿』でも使われてます。そしてさらに

1985年版『猿』のBGMは1982年版『猿』に+αしたもの

で1982年版と内容的に被る1985年版シリーズ初期の名場面、

・猿、登場!
・紅蜂戦前、新ドライバーの始球式

などで、1982年版、1985年版ともそれぞれ同じ曲が貼られてます。これは音響(録音監督)が同じ(1982年版、1985年版とも浦上靖夫さん)だからでしょう。アニメ業界人ではない方には意外と知られていない音響監督の仕事の一行程に「選曲」というのがあります。単純に言うと、その場面に合った曲を貼る作業ですが、この仕事を「音楽監督」や「選曲」として切り出して別の職人さんに委託する場合もあります。演出家・監督がMラインを引く(コンテや台本に選曲指示をする)場合もあったりしますが、基本は音響監督の仕事です。つまり、『猿』は1982年版と1985年版で作画・演出はまったく別スタッフなのに

音楽が同じだけで1982・2時間スペシャル版が1985〜TVシリーズ版の一部にさえ思えた

んです。自分らが普段おだを上げている作画や演出などの個性の差を打ち消すくらいの力が音楽にはあるって証明でした。あと城山昇さんの脚本にも同じ事が言えて、1982年版とストーリー的に被る部分の脚本は1985年版でもすべて城山さんが書き直してるようで(ていうか1985年版シリーズは7〜8割城山脚本ですが)、それぞれが新解釈で面白く膨らまされております。例えば1982年版でも触れましたが、紅蜂の扱いもドラゴン(竜)との戦いに自分の陰の組織脱会を懸け、一度ミスターXのもとを去るも、今度は猿を陰から育てるためにまた組織に戻るドラマにしたのもいいし、ドラゴン戦ラストで間欠泉に救われる猿を原作どおりにやった1982年版に対し、1985年版はその「間欠泉を猿は待っていた」と変更して、最後に運に頼らない展開にしたのもまた「ウマイ!」と思いました。これもまた1982年版と1985年版両方に参加されてるライターならではの改変です。

やっぱり、監督とキャラ・作画以外のスタッフの力もシリーズには欠かせません!

 てとこで、また仕事に戻ります(汗)。次回もう少し1985年版『猿』とF先生の作品についても……。

(11.02.24)