――とは言うものの、俺はアニメーターを目指して業界に入ったわけではないんです。あくまで演出になるための通過点のつもりでした。
もちろん、絵を描くのは子供の頃から好きで、人並みに(?)“パラパラマンガ”くらいやってはいたけど、それを仕事にする気はまったくなかったし普段何気なくアニメを観てても原画を描きたいなんて1秒も思った事がなく、俺がやりたいのは“演出”! と一貫して思っていました。
ところが、専門学校(東デ)で、小田部(羊一)先生の“動画構成”という講義を受けたり、友人とアニメの作画話をしたり(この時、金田伊功というスーパーアニメーターがこの世にいる事を知りました)、アニメを作ったりしていくうちに――
と思い始めたわけです。それでその学校を卒業する際、“とりあえずアニメーターでいいからアニメ業界に入るか……!”と思い、テレコム・アニメーションフィルムに入りました。
そこで、自分にとって2人目の先生・大塚(康生)さんの研修を受けて、本番の動画を描き始めたら、すぐに作画の面白さに魅せられ、6年と10ヶ月もテレコムに居座ったわけです。当時のテレコムは完全に給料制だった事もあり、大半の人達が「キツイ・辛い・面白くない」と嫌がる動画マン時代も、自分の場合は凄く凄く楽しい2年半でした。そこで思い出してみましょう――
アニメーター・板垣伸の思い出の作品(動画編)
その(1)『ルパン三世 くたばれ! ノストラダムス』(1995)
ラストの超高層ビルが横倒しになる「真俯瞰」の大判を担当しました。キャラのアップは外注に出して、社内は爆発・崩壊・洪水の大スペクタクルシーンの動画ばかり残って大変でした。
その(2)『耳をすませば』(1995)
『ルパン』前後に動画やりました。つまり、“さすが天下のスタジオジブリ作品”、テレコム『ルパン』の倍の制作期間というわけです。内容的にもわりと好きなジブリ作品かな……と。『耳……』の思い出と言えば、そう――
「俺と結婚してくれないか……!?」
……って聖司君の台詞で、
……と、まさに膝を叩いて大笑いしてた男がいた事。います! ジブリ作品や押井守監督作品を劇場へ観に行くと必ずいます!!
「お前ら(監督)の考えてる事は俺だけがすべて知っている!!」
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――的、インテリファンが!! 一体全体、アニメを観てるだけの人がなぜそんなに監督を見下ろせるのか? まあ、そういう一般のお客様に優越感という幸せを与えるのも作家の仕事ですかね?
その(3)『バーチャファイター』(1995〜96)
東京ムービー(当時)からのグロス請けでテレコムは4本(?)ほどやりました。とにかく劇場作品の動画と違ってチェックがルーズだったので、いろいろ遊べました。もう時効なので白状すると、勝手にタイムシートをイジったり、作監修正をトレスしなかったり、原画に描き足したり、原画マンによる動画修正(当時、テレコムは動画作業が終わったら、そのカットを描いた原画様にチェックを受けるシステムでした)を破り捨てたり……本当にゴメンナサイ。
その(4)『もののけ姫』(1997)
最後の動画! とハリキリすぎて、ヒロイン“サン”の胸を動画の中割りで揺らしたら、ジブリの動検様から注意をされた事を思い出します。
……ゴメンナサイ!
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……というわけで、動画も面白いんですよっ! じゃ、次回は“原画編”。