自分がテレコムの新人だった頃の大塚(康生)さんは、しょっちゅう社内をブラブラして、俺らアニメーター達に色々なアドバイスをしてくださってました。前述したと思いますが、自分は動画マンの時から自宅で勝手に遊びで描いた原画の習作やスケッチブックなどを大塚さんに見せにいってたせいもあって、正式に原画マンになってからはこんな感じでした――
板垣が記憶する大塚さんの話(2)――水面にカメラ?
これは東京ムービー(現トムス・エンタテインメント)制作、『モンスター・ファーム』(1999年)をテレコムがグロス受けしてた時の事。第何話かは忘れましたが、コンテが田中(敦子)さんだったのは憶えてます。当時まだテレコムだった田中さんが大好きな『大陽の王子 ホルス〜』の怪魚のイメージで描いたオバケ魚を、モッチーが退治するシーンを俺が原画にしたんです。そしたら、その原画をチェックした演出さん(処理は田中さんではありませんでした)が俺に確認にきました。
演出さん(以下、演)「板垣君。ここ、画面動(地震の時などに使う画面のガタガタ)要る?」
板垣(以下、板)「ダメですかね?」
演「うーん、あんまり見た事ない……」
板「……」(ムムムッ)
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そう。俺、オバケ魚が水面(池? 湖だったか?)にドッパーン! と突っ込んだタイミングで、タイムシートにでっかくギザギザ〜と「画面動(大)」って書いたんです。そこに演出さんがクレームをつけたわけ。今じゃ珍しくないでしょーけど、その時のテレコムではあまりやってなかったんでしょう。
と、モノローグしてると、そこへブラブラと大塚さんが通りかかりました。すると、その演出さん、「困った時の大塚さん」と言わんばかりに俺のカットについて相談しました。
演「(板垣の原画を大塚さんに見せつつ)この水面に巨大魚が突っ込む時、画面動、要りますかね〜、大塚さん?」
大塚さん(以下、大)「要らないね!」
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と、あっさり即答した大塚さんに、俺も間髪入れず吠えたんです。
板「要りますよっ! 水面にカメラが浮いてたら震動するに決まってるじゃないですか! だから画面動なんです!!」
演「……」
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そしたら大塚さん、
「ははは!(笑) いーんじゃない? 失敗したら笑ってやるから」
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ってニコニコして去っていき、無事、画面動ありでオンエアされました。ま、それだけの話ですが、新人原画マンの自分にとっては「いーんじゃない? 失敗したら笑ってやるから」と言って、おおらからに画面にしてくれるのは嬉しいもんだったんです。テレコムはある程度信用されると、結構そのまま通してくれてたので、完成画面で実感できてホント勉強になりました。あと、こんな風に通り過ぎた事も――
板垣が記憶する大塚さんの話(3)――あやとり?
これはテレコムで制作した合作『CYBER SIX』(1999年)の際。この作品、日本ではソフト化されてない上、自分の手もとにもビデオすらないので、これも第何話か確認できませんが、とにかく、
少年(名前忘れた)が黒ヒョウ(名前忘れた)に得意のあやとり3連発で気を惹いてスキを見て逃げる!
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というシーンでした。リアルに(プライベートでも)あやとりが得意な俺(子供の頃の遊び相手が姉貴だと、あやとり、折り紙、ゴム跳びなどの女の子遊びは上手くなるもので)がやる事になったんです。コンテ・作監は師匠の友永(和秀)さん。その時、コンテであやとり3連発の技(?)が、まず両手でひとつ、次に両手+口、最後にまた両手のみ……となってるのが、どーにも気にくわず、
と勝手に変えて原画を提出したんです。つまり――
こんな感じに……。すると案の定、友永さんとその話数の処理(演出)の間で問題になり、クイック・アクション・レコーダー(原動画の簡易再生機で、当時は今みたいにパソコンでなく)に入れたうえで、呼ばれました俺……。友永さんは俺に、
とツメよってきました。その時の板垣、別にただ意味なくコンテに逆らったわけじゃなく、理屈があったんです。それは、その時友永さんにも言いましたが――
「『未来少年コナン』の2話でおジイが死んだ時だって、コナンが投げる岩はドンドンデカくなっていくでしょ? つまり、このあやとりでも3回やるならドンドンエスカレートしていかないと面白くないハズですよ!」
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んな感じで俺が喚いていると大塚さんがプラプラやってきました。友永さんは大塚さんに
と尋ねると、大塚さん、
と即答したので俺……
と、吠えました。
でも、この“足あやとり”も友永さんはフィルムにして下さいました。凄く感謝してます。てゆーか、テレコムの気質なのかもしれませんね、こういうおおらかさって……。