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COLUMN
板垣伸のいきあたりバッタリ! 第145回
シナリオを書く理由

 今、とある作品のシナリオ書いてます。『戦国BASARA』第13話を制作中にプロットとシナリオ第1稿は上げて、現在は修正中で第2稿になります。これは来春予定の新番なのでまだタイトルは発表できませんが、『戦国BASARA』同様の“1本監督”です。だから「どーせなら、シナリオも……」というわけで、『この醜くも美しい世界』以来久々のシナリオ作業。本当は『黒猫』『Devil May Cry』の時だって、もちろん書きたかったんですよ、シナリオは。でもいくら言っても書かせてくれないわけです。なぜなら、自分に監督を依頼してくださる方たちは、監督業を頼んでるのであって、シナリオを書いてくれ、と言っているのではないからですね。それはそれでありがたいので全力でやらせていただく一方で、ずっとシナリオ書きたかったんです。
 自分には、文章を書く行為に対してコンプレックスが激しくあって――まずそれは、「境遇」に端を発するんだと思います。例えば、日本が世界に誇るアニメ監督の方々皆さんが異口同音に

 アニメといえど映画。映画を作るのに「学」は必要。本をたくさん読み、勉強して大学には必ず行くべき

 とインタビューにあるのをよく目にしましたが、仰る事は正しいと思います。本を読むのは本当に大切だし、大学も出るとよいでしょう。しかしその、本を読み大学を出る事を提唱しておられる大監督の方々と俺の両親は同世代。あの世代で「本だ大学だ」と言えるのは、ご実家が裕福だったからだと思うんです。だって、自分の父も母も学問よりも家(農家)の手伝いを強いられてたようで、2人とも当然中卒。さらに2人とも「中学なんて数日しか行かせてもらってない」らしいです。そんな両親――俺が物心ついた頃から本を読んでるどころか、マンガを読んでるトコすら見た覚えがありません! そーゆー境遇で育った自分が子どもの頃から本ばっか読んで大学を目指すはずもなく……。だって父親などは俺の通知表すら見た事なかったんじゃないでしょうか? でも誤解のないように、だからといって、両親をバカにしてるのではありません。

 ちゃんと感謝してるし、今の自分があるのは父親のおおらかさと母親の優しさのおかげだと思ってます

 ただ、少なくとも俺が本の面白さに気づいたのが高校に入ってからで、勉強の楽しさを知ったのが高校卒業して上京してからやっとだった……というのは、両親と家庭環境が少なからず関係してるとどーしても思えてならないんです。で、そんな境遇の中、せめてアニメだけでも、少年少女たちが戦争に巻き込まれる高尚なメカSFものでも観て育てばまだましだったものの、残念ながらその手のアニメにはまったく興味がなく(だいぶ以前に書いたように)、マイコンでゲーム作ったり、マンガ描いたりばっかしてた俺が、ろくな文章が書けるはずもないでしょう。国語の授業で書いた作文の採点はかなりキビシかったです、はっきり言って。特に中学2年の時、担任だった先生(国語教師でもあった)に言われた一言は今でも突き刺さってます。


 ――なわけで、中学の時点ですでに「俺、文章書くの下手」って思うようになってて、実はこのコラムの連載もいまだに後ろめたい、ってのが本音。読者の皆様には本当に読みづらい上にコラムの体を成していない文章で申し訳なく思ってます(それが分かってて敢えて引き受けたのも、30過ぎて人様に読ませる文章のひとつやふたつ書けるようになりたいと……恥はかき捨て(?)的向上心からでした)。
 でも、高校の時ただの一度だけ、文章で表現する事の面白さの一端が見えた瞬間もありました。いや、正確に言うとだいぶ後、演出とかをやるようになってから再確認した、という話ですが。
 あれはたしか、高校1年生の週1回1時間のクラブの時間、ありますよね? 放課後の部活動とは別に授業のカリキュラムの一部としてあった選択授業が(愛知はあった)。その選択授業で俺、「作文クラブ」なるものを選びました。もちろん少しでも読める文章が書けるようになりたかったからです。その作文クラブの初日(初めての授業)で、今はもう顔も名前も憶えてない先生がこう言いました。

「作文が苦手だと思ってる人、出だしは、誰かの台詞から始めてみなさい」

 これ、言われた時は大して考えもしないで、台詞で始めた作文を書いて次の週の作文クラブに持っていったんです。すると別の先生がやってきて、

「○○先生は産休に入りましたので、今週からこの時間は自習にします」

 と言いました。ナンノコッチャ? こうして作文クラブは1週間で自習クラブとなって、この時台詞から書き始めた作文と自分の文才コンプレックスはホッタラカシになってしまったのです(なんだったんでしょう、あれは? 産休なんて最初っから分かってたんじゃなかったのでしょうか?)。
 ところがそれから10年経って演出やらせてもらうようになって分かったんです、この時「台詞から書き始めてみなさい」と産休先生が言った意味が。要するに

 文章も演出。ボキャブラリー(語彙)の豊富さも大事だけど、それ以上に読み手の興味をいかに引くか?

 ということで、例えば最初に「きゃー、たすけてー!!」って台詞で始めると、必然的にそれ以降は、その台詞に至るまでの経緯を説明しなきゃならなくなり、お客さんの気を引いて導入できるわけです。コレ、アニメのコンテを切ってても頻繁に使われるあたりまえのテクニックですよね。実に単純で実に何を今さら的な話。だから、コンテを何本か切った時(たぶん10本以上)恥知らずにも、

 シナリオ書いてみたい! 小説はムリでもシナリオは書けるようになりたい!

 と思い、まったく後先考えず『この醜〜』の時、「シナリオも……!」と手を挙げました。

 これが面白かったんで、間はずいぶん空いたものの、また書かせてもらってます

 『この醜〜』の時と違って、シリーズの監督を何本か経験してからシナリオを書いてる今回。あらためて思ったのは

 シナリオって、文学ではなく音楽だ!

 という事。つまりぶっちゃけ言うと、自分も監督としてシリーズやってみると、このキャラの登場はこの方がインパクトあるとか、この子はこーゆー口癖がとか、いわゆる小ネタって、皆が集まるホン読み(シナリオ会議)で話し合ってればそのうち出る、ってのが分かってきます。はっきり言って自分はそーゆー小ネタは本職のライターさんに頼りきりです。でも、俺だって数十本コンテ切ったし、監督としてシナリオやコンテをチェックしたりしてきて、それなりに、ちゃんと芯のあるシナリオか、それとも小ネタを外してみるとまったく芯がないシナリオかは見分けがつきます。

 実はテレビの1本分(20〜21分)って「アレがああなる話」って一言で言い切れるくらいしか内容ブチ込めない

 んです。時間的にそーなんです。似た話が原画(アニメート)にも言えて、

 1〜2秒のカットでは「アレがああなる芝居」(つまり1アクション)で、3〜4秒のカットでは「アレがこうなってアアなる芝居」しか表現できない

 と思った方がいい、とよく新人のアニメーターに言ってました。つまり、

 読むテンポ(情報を認識するスピード)を受け手に委ねる小説やマンガと違って、映画やアニメ――フィルムは、受け手に対して脳内で整理する時間(尺)を作り手が一方的に決めつける強制力を持っている

 のです。ね? これって音楽と同じですよね? 文学というより。
 ――疲れたので続きは次回。



(09.11.19)

 
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