小学生の時、まるで何かの抗議表明であるかのごとく、毎日宿題をやってこないHという同級生がいました。何度叱っても宿題をやってこないHにマジギレした先生がある日クラスの生徒全員に対し、
これは連帯責任です。Hが宿題をやってこない時はクラス全員が「全文書きとり」をやってくる事ね。
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「全文書きとり」とは、その時国語の授業でやってる章、何十ページを全文書き写すというまったく無意味で理不尽な時間潰しの刑です。興味がわいた方はやってみてください。これ、小学生がやったら、部活動休んで学校から帰ってソロバンや書道などの習いごとを休んで飯と風呂以外の時間、書きとりに書きとりまくっても確実に夜11時はまわりますよ!
ところが皆さんご想像のとおりクラス全員が寝不足で登校してきたのに対して、Hの奴は全文書きとりなどやる気モートーなく、たっぷり10時間以上寝て登校してきました。当然、先生は大激怒。再び連帯責任のクラス全員全文書きとり……。そしてまたHはやってこない!――これを3〜4回繰り返して、先生は遂に根負けしたんです。
Hは宿題やんなくていい! そのかわり先生はHを生徒だと認めないよ!!
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「Hを生徒だと認めない!」とはあくまで先生個人の理念の問題。少なくともHは“宿題をやらなくてよい権”を手に入れたわけで……、全文書きとりを真面目にやってたクラスの皆のそーとーやりきれない理不尽な思いが教室一杯に広がったんです。俺はその時思いました。
中学生の時、俺の学校には学生服に学帽が校則でした。ところが1年生の時は8割、2年生になると4割、3年生にもなると自分と生徒会長の2人しか学帽かぶってませんでした。自分は決して真面目・不真面目程度の話ではなく、守るのにそんな苦痛が伴うわけでもない校則ぐらい守ったら? っていうだけだったんですが、おかげ様で「真面目君」と呼ばれかなりの確率で不良にからまれた中学生活だったある日、小学生の時からの友人にこう言われました。
ボンタン(不良がはく太いズボン)を買いに行きたいからついて来てくんない?
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つまり「長いものには巻かれろ」「〜郷に従え」です。半分以上が不良だった俺らの中学では「そこそこ不良っぽい」方が平和に過ごせるんでしょうね。その友人はその後当然のように学帽もかぶらなくなって、
……と言いました。ふざけるな! 見損なうな! と思ったりもしましたが、そうした「中途半端不良」も受験前になると面接用に学帽買ったり、ちゃんとしたズボン買い直して無事高校合格していくわけで、なんの報いも受けません、世の中では。
高校はそこそこ同じ知能を持った者同士が集まってたぶん、そういった理由で心を乱す事はなかったので、
と思って上京、専門学校卒業後、アニメ会社に就職しました。が、さらにそこでも前述(コラム第35回)のように、結局“正義”に対し、かなり不信感を抱いて辞めたんです。
フリーになったら「もうこんな思いしなくてよいだろう!」と今日まで頑張ってきたんですが、最近になってますますアニメや特撮で言ってるほど“正義”は強くなく、いやむしろ案外弱いんだという確信ばかり深まってゆく日々なのはなぜでしょう?
アニメを観てくださるお客様ならばまだしも、アニメを作る側の人間が、現場でどー見ても監督(キャラデ・総監督の場合もある)不適合者に、何度も何度も懲りずに仕事が続いてくるのはなぜなんでしょうか? マンガ原作の手柄をまるで監督(キャラデ・総監督の場合もある)個人の手柄であるかのようにスポットを浴びせては、また次の仕事を振るという極悪スパイラル! 現場からことごとく評判の悪い人物でも……いや、視聴者からの評判が大してよくない人物でも会社は仕事を振らなくてはならないのですよ。会社員だからという理由で! 高い給料払ってるんだしね……。
もう、“正義”なんて大嫌いだ!
悪い奴になってやるぞ、俺はっ!!
社員アニメーターになって高い金
もらってもやりたくない仕事は しないんだぁーっ!!
プロデューサーにゴマすって 仕事もらう…… |
――ん?
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まてよ……でもなあ〜、俺も人の事は言えねーかあ。
結局、自分も矢吹先生やCAPCOM様の恩恵を受けて監督とかやらせていただけてるわけで……。
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ここはやっぱり、
何度裏切られても“正義を愛する”しか俺にはできないようですね。たとえそれが俺の一方的な片想いであっても!!
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そして必ず作るのだ、誰もが“板垣作品”だと認める作品を!