(前回までを思い返しつつ)どーでしたか、“動画マンの1日”は? 大ざっぱにザッと月6〜7万円あれば東京でも1人暮らしはできます。動画1枚200円として、
なので、月350枚(1日15枚前後)描けば、板垣くらいの暮らしはできるわけです。けして贅沢ではないけど人並みの生活ですよね? 実写の映画界や舞台の役者さんらが普段まったく本職と関係のないアルバイトで何とか食いしのいでる新人時代を
“1日中好きなアニメの絵を描いてて、何とか食っていける”
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アニメ業界って、あらゆるエンタテインメント産業(?)の中でもかなり恵まれてると思いますがいかがでしょう?
次に自分がアニメ業界で好きなところ。それは、
てトコ。実写や舞台の方々もそうでしょうが、アニメの現場もそれらに負けないくらいいろいろな人たちと、お友達もしくはお知り合いになれます。俺みたいにあちこちブラブラしてればあたり前だと思うでしょうが、ひとつの会社(スタジオ)に居続ける人でも作品ごとに出入りする監督やキャラデザの方々と簡単に世間話ができるんです。
あらゆる事に関して飽きっぽさなら自信のある板垣が今までやってこられてるのも、その業界全体の“風通しのよさ”あっての事でしょう。
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アニメ業界に興味をお持ちの方々は試しに自分の好きなアニメを作ってる会社(スタジオ)に電話して見学を申し出れば案外簡単にOKされるでしょうし、その社内にはスーパーアニメーターや超監督や板垣までもがゴロゴロしてますよ。
ま、そんないろーんな人たちと知り合いになるのが大好きな俺がお近づきになれたいちばん最初のアニメ人が『ハイジ』『三千里』のキャラデ・作監――小田部羊一先生です。その小田部先生にこの間の日曜日(6月15日)久々に……1年ぶりに会ってきました。
なんか、話が逸れ気味になりますが開き直って順番に説明します。
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小田部羊一・奥山玲子夫妻は自分が通った東京デザイナー学院アニメーション科の講師をされてて、卒業してからもちょくちょくお会いしてお茶したり、食事したり近況報告したり……大変お世話になったんです。コラム第4回で描いたように小田部・奥山夫妻はとても仲がよくいつも一緒。小田部先生と食事の約束をすると必ず横には奥山さんがいました。おおらかで優しいどこか天然な小田部先生の横にハッキリとした物言いでいつもカッコよくオシャレな奥山さん――失礼な表現かもしれませんが――とても“具合のいいコンビ”で微笑ましいかぎりでした。テレコム入った時も、俺が「小田部さんが〜」と話題にすると大塚(康生)さんなどは「どっちの? 男? 女?」と聞き返すくらい、“小田部”と言えば“小田部先生と奥山さん2人の事”だったようです。
ところが去年の6月……頃のこと。『Devil May Cry』の監督でマッドハウスにいた時、夕飯を買いに荻窪の商店街を歩いていると小田部先生が“1人で”ブラブラ歩いてました。
小田部先生(以下小)「あ、板垣君! 何、ちょっと太ったんじゃない?」
板垣(以下板)「成長したんですよ(笑)。先生こそ髭はやかして、今何やってんですか?」
小「今は、見てのとおりブラブラしてる(笑)。任○堂も辞めてね〜」
板「え? そうなんですか!」
小「板垣君は今、何してんの?」
板「ええ、そこのマッドハウスでTVシリーズの監督やってんですよ」
小「おお、凄い!」
板「先生、今日は何でココに?」
小「うん。僕はちょっとOH!プロに用事があってね」
板「そーですか。じゃまた電話します」
小「そうだね。またメシでも……」
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と、この時は“1人で髭モジャ”という違和感は感じつつも普通の会話で別れたんです。
そしてその時の違和感の理由を、それから3ヶ月後に届いた小田部先生の手紙で知りました。
――と。そう。自分が先生に会った時はすでに奥山さんはお亡くなりになられていたんですね。奥山さんが生前言っていたという「いつの間にかいなくなっていた……そういうのいいな」の思いを尊重し、9月まで公表しなかったのだそうです。“いつの間にかいなく〜”はいつも凛とした奥山さんらしい表現だし、その希望を聞いてあげようとする小田部先生もカッコいいと思いました(後に大塚さんは「僕も聞いてなかったし、宮崎も高畑も知らなかったんだよ」と)。
この場をお借りしてご冥福をお祈りします。
で、この間の日曜日(6月15日)は
に行って、小田部先生に会ってきたというわけです。それは次回に――