前回後半で触れた内容をもう少し(?)付け加えようと思います。
けっこう近いうちに、アニメの主流は3DだのCGだのになります!
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――と。こう言うと、
「板垣程度のアニメーターが何を偉そーに!」
「手描きのよさがわからねーのか、板垣はっ!?」
「最低アニメーター! それでもテレコム出身か!?」
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などと同業者からならまだしも、作画マニアの方々からも怒られそうですが、そう思われてる方々、考えてもみてください。仕上げも撮影も美術もデジタル化したのに作画だけ手描きで残る事の方がリアリティないと思いませんか? あ、念のためダメ押し(?)しますが、俺が言ってるデジタル化は、“紙でなくタブレットに描く原画や動画”って意味じゃなく、原画や動画がモデリングされた3D(CG)に置き換わるって言ってるんです……もちろんキャラも!
「3D(CG)のキャラなんて動きが硬い!」――って?
「表情が死ぬ!」――って?
「キャラが可愛くない!」――?
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順を追って説明しましょう。
板垣がアニメ業界に入った時は、ギリギリ「セル」というモノが存在してて、もちろん仕上げさんたちは筆と絵の具で塗ってました。筆と絵の具の仕上げ職人が問われた技とは
セルが幾重に重なろうと撮影時カゲが落ちない(当時、絵の具の厚みの分キャラと背景の境い目にカゲが落ちたもんです)くらい薄く、それでいて下の絵が透けない塗りのテクニックとか、色線(ハンドトレス)を綺麗に引くテクニック!
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でした。ところが仕上げのデジタル化により、塗りも色トレスもクリックひとつで誰でも簡単にできるようになった今、仕上げさんたちに問われるようになった技は「どんな色を塗るか!?」 つまり――
という色屋さんとしては至極当たり前の技に落ち着いたわけです。「アニメ作り」にとってはよい事ですよね?
次に撮影。これも「セル」時代の撮影職人に問われていたのは
シートどおりに1コマ1コマ間違えずに撮る集中力であり、素材がガタらないスライドであり、セルカゲが落ちないライティング!
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だったハズなのに、デジタル化によりタイミングは数字を打ち込むだけでよくなり、素材のスライドがガタったりセルカゲが落ちるなんて100%なくなった今、撮影さんは「素材をどうカッコよく美しく撮るか?」という本来の絵作り――
が問われる事になったんです。これも「アニメ作り」にとってはプラス要因でしょう。
美術も、1枚1枚描くより、ひとつの建物を3Dでモデリングして配置する事によりカメラワークにあわせて見える角度が変わる、
が可能になりました。もともとある程度センスを要する美術職に
が見えてきますよね?
――で、作画は?
アニメーションという表現手段の都合上、カメラアングルを指定すれば、どのアングルでも描ける(?)3DやCGといった技術は、むしろ本来は
に置き換わるべくして発達したはずなんです。違いますかね? そう、
「手描きでしか実現しないアングルがある!」
「手描きの作画は“あたたかみ”がある!」
「手描きの女の子の方が可愛い!」
「手描きの……」
「手描き……」
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程度の言いわけで、アニメーターだけが都合よく
わけないんですよ、はっきり言って。だって、今ある3DやCGの問題点は
数年後(遅くとも10年)で確実に解決するんですから!
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前回書いた「マイコン」の時代から20年でここまできたデジタル業界(?)です。向こう20年でどれだけ人間の技を盗み取るか、その発展に命をかけてデスクトップに向かってる人たちがいる以上、
手描きのアニメートの内、真実に「センス」が必要とされる部分以外は確実に3Dに置き換わります。いや、その「センス」の部分すらも問われるのは「3Dをどう操るか?」になるハズ!
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だから(前回とかぶりますが)、今のうちに手描きアニメを楽しみたいんです、板垣は。そして、今アニメ会社から高額で拘束されてるアニメーターの方々、家でも車でも買えばいいでしょうが、その栄華がいつまでも続くと思わないでください。3Dがもっと安く使えるようになったら、わざわざ気ムズかしい手描きアニメーターに頭を下げて描いてもらいたがる制作さんなどいなくなるんですから……。これは板垣自身にも言える事だと思ってますよ。
俺の原画やコンテが要らない! と言われたらどーしようか?
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――と(でも、何か創る仕事は続けるんだろーなあ。……陶芸?)。