まだデジタルな話。前回の項を読んだ友人・知人からいろいろ意見を聞きました。
と言ってくれる人もいれば、
「相変わらず業界にケンカ売ってるね。お前の言いたい事はわかるけど、手描きがまったくなくなる事はないと思うけどなあ」
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って言う人もいたり。ま、手描きがなくなるなくならないは未来の話なのでこれ以上書くつもりもなく、今回は現在のアニメーター教育の問題点について!(あくまで板垣から見た……って事で)
アニメーターには原画と動画の2種類あるという事は、もはや業界人でなくとも知ってる人は多いと思います。しかもココはアニメスタイルのコラム、あまり詳しい説明は必要ないでしょう。早い話、芝居・アクションの動きのポイント……キーになる部分を画にするのが原画で、その原画を清書して間の画を埋めるのが動画の役割ってわけです。
でも、原画・動画の区別なく「よいアニメート」の条件は
――なんです、結局。小田部先生も大塚さんも田中(敦子)さんも友永さんも皆さん俺にそう教えてくださったし、今現在アニメやっててその確信は深まるばかり。つまり、
(1) かかとから足を着き
(2) (3)で蹴るためにふんばって
(3) 地面を蹴る!
――の「走りのメカニズム」とかを説明して、素朴に
「はあ〜、確かに人間ってこーやって走ってる! 面白い、面白い!!」
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と興味がわいた人――本来、アニメーターの才能を秘めてます!(本当に)
ここからが「手描きアニメ」の問題点なんです。いや、「手描きアニメーター育成」の……ですね。いまだに日本のアニメーターのほとんどは動画を何ヶ月〜何年やった後、晴れて原画マンに出世する(?)というのが普通なんですよ。て事は、動画をやらないと原画マンにはなれないわけで……。じゃ動画マンに問われるのは何? と言えば、本来アニメーターに必要な「動きのセンス」ではなく、
なんですよ。確かに「線は画の命!」という考え方もあるし、自分もソコ信じてます。でもそれは「アニメート命!」ではないはずで、「線の綺麗・汚い」などはアニメーション本来の魅力である「動き」の中に所詮は埋没してしまうもんなんです。
そのはずなのにアニメーターの第一歩……動画マンは「動きのセンス」ではなく「線の質」でふるいにかけられてしまうのがアニメーターの教育だって――
この、いまだに大半のアニメ会社(スタジオ)で行われている「線至上主義」教育は1997〜2002年あたりでその姿を消した、トレスマシン(鉛筆で描いた線をカーボンでセルに転写するマシーン)によるものかと思われます。説明すると、このトレスマシンって機械は結構微妙なヤツで、鉛筆の線がただ濃けりゃいいんじゃないんですよ。筆圧が均一で動画用紙をヘコまさない線で、なおかつ機械の整備・メンテナンス・掃除を月イチで行い、やっとの思いでセルに貼りつく線は全体の8割。残りの2割(線が欠けた部分)は仕上げさんがハンドトレス(セル絵の具をペン先につけて線を引く)で埋めてもらってたんです。
ところがデジタル仕上げになるとセル・トレスマシンは消滅し、動画はスキャンされ、デジタル彩色になり、
はっきり言ってトレスマシンほど線の質は問われなくなった!
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にもかかわらず、動画指導の伝統(?)とでも言わんばかりの「線」教育。その、意味もなくキビシイ「線」教育な上、
の食えない動画マン。そのおかげで本来アニメーターセンスはあったはずの新人が、
事だってあったはずだし、このままだと後を絶たないと思います。つか、アニメーター志望も減るでしょう。
これで原画・動画に分業せず、物理法則・運動メカニズムを直接新人に指導するシステムができれば、
線を引く事がストレスな人……いやいや、もっと言うと画を描くのが苦手な人までが、「動かすセンス」さえあれば誰でもアニメーターになれる!
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かもしれないんですよ。俺個人はそれ、素敵な事だと思います。
注)アニメーターとは作画マンのみの呼称だと思われてる方々、それは間違いです。だって、かつてコマ撮りの人形アニメや粘土(クレイ)アニメで1コマ1コマ少しずつポーズに変化をつけていく役職……その方々たちの事もアニメーターと呼んでたんですから。
じゃ、3Dは?
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