第9回 四つの署名
あとで聞かされたのだが、提出された映画学科の学生ストーリーを作監クラスで回し読みしてみた中から、丹内司さんが「こういうの、やりたいですよね」と推してくれたのだという。
日芸の池田さんからは「アンタ、絵も描けるとこアピールしなくちゃ。絵も描いてもってきなさい」といわれていたので、別に自信などなかったが、翼手竜型飛行機のスケッチも描いてもっていった。宮崎さんに見せると、「うーん、機体が大きすぎるな」といわれた。すでに、頭の中でイメージが動き始めているようだった。この絵はそのままイメージボード、ストーリーボードのスクラップブックに貼り込まれ、あとでアニメージュ文庫の『青い紅玉』の裏表紙に使われた。
宮崎さんからの改稿注文がいくつか。
- ポリィは男装の少女にする。これは、進行中の第4話『小さな依頼人』のマーサとの関係から。
- Aパート最後の追っかけは、プテラノドンとロンドン地下鉄トンネルはやめてスチームローラーにする。イメージボード段階では蒸気機関車的に複雑だったスチームローラーは、電車型にして作画しやすくするから。プロトベンツがどんどん狭い路地に逃げ込んで、追っかけてきたスチームローラーが二進も三進もいかなくなって追跡断念、ということに。「そこ、ニッチもサッチも行かなくなる、と書いといてくれたらそれでいいから。あとはコンテでやるから」
- ポリィの家のお茶のシーンには、サンドイッチも出す。
ほかにも細かいことがいくつかあったかもしれないが、ことのほか自分が考えたことがそっくりそのまま完成画面にまで採用されている。
前回に書いた、スリの指使いがどうのというホームズの台詞。
夜半のベーカー街221番地、徹夜でポリィ護衛の任を負ったワトソンが、拳銃を傍らにハドソン夫人が淹れてくれたコーヒーをすすって「アチチ」となるくだり。
偽ホームズ出現から、ポリィがさらわれ、追跡するホームズとワトソンが、地下室からプロトベンツを押し上げ、押し掛けでエンジン始動するくだり(これは、最初に見せてもらったイメージボードにあった友永さんのアイディアを、ここが嵌めどころと使わせてもらったもの)。
そうした細部がそっくり残っている。
そこには、痛快娯楽活劇・漫画映画の気分も。
「ああ、そうそう、『青いルビー』は3話だから」
と、罫紙に書かれた1話から4話までのシリーズ構成表を見せられた。ちゃんと載っていた。
3話の改稿と同時に、「もう1本、話を持ってきて。今度は1週間で」と2本目の注文も受けた。これもまた「題材は自分で考えて」。
2本目を考える段になって、原作を片っ端から読み返し出した。何か漫画映画的に使えるエピソードはないか。『ブルース・パディントン潜航艇』? 記憶に残っていない短編だったが、技師が潜航艇の設計図を奪われ、殺される話。ロンドン地下鉄のトンネルが舞台。
宮崎さんがこれまでの作中に乗り物をいろいろと登場させてきたのは知っているが、潜水艦は画面にしてなかったはずだ。挑戦的でおもしろいかもしれない。図面が盗まれるだけじゃなくて、それをもとにモリアティが実際に潜航艇を建造し……。
ということで、1週間後、テームズ川でモリアティの潜航艇が英帝国海軍の戦艦を雷撃する話を書いてもっていった。
「潜航艇はいいけど、あのねえ、やりすぎ。いくらなんでも戦艦はないだろ」
と、ボツを食らった。
「戦艦出ないふうに書き直してきて」
制作1本目の『小さな依頼人』のコンテができ上がった、と見せられた。へえー、っと眺めた。自分が書いて持ってきたストーリーよりいくぶんシックで古格を感じさせる印象だった。
「こういう方向性が狙い目だったのなら、戦艦はないかもな」
と、そのときは思った。かなり後日、『海底の財宝』の絵コンテができ上がってみたら、なんのことはない。こちらで最初に書いたとおりに、モリアティのアジトに突入するレストレード隊の背後に戦艦が登場し、ボカチン食らってテームズ川の藻屑となっていた。
「ああ、それから。テレコムに文芸部作る話。あれ、ナシになっちゃった」
はあ……。
「で。将来はどうしようと思ってるの?」
「もともとシナリオよりも、こういうの描く側になりたいです」
と、『小さな依頼人』の絵コンテを指さした。
わはは。と笑われた。
「じゃあさ、卒業はまだ先なんだっけ」
「まだ3年生ですから」
「じゃあ、学校通いながらでいいからさ。演出助手やらない?」
大学に持ち帰って池田さんに相談してみた。
「そんなこといって、アンタ、大学やめちゃうだろ」
うーん、まだそこまでは。でも、ひょっとしたらそんな気持ちもないとはいえないかも。
実は、前の年、ひとつ上の学年の池田ゼミの学生・佐藤順一さんが東映動画に演出に採用され、中退していたことがあった。
「2年連続はマズいんだよな」
たしかに。それでは大学から現場に学生を斡旋などできないことになってしまう。
「単位は、とにかく出席を重視しない科目ばっかり狙って、試験だけで取る」
「はい」
「どうしても出席が必要なのは?」
「語学です。ドイツ語が残ってます」
「じゃあ、ドイツ語のときだけ大学に行かせてください、という条件出してみなさい」
池田先生はとても「運用」が上手な人だ。
話はそのとおりテレコムに聞き入れられ、冬休みに入った時点からスタジオに出社することになった。そのあいだにさらにストーリーを何本も考えてくることになった。だんだん切られる期限が短くなって、江古田の日芸と高円寺のテレコムのあいだを歩いて通う頻度が高まっていった。終わりの方は、打合せ場所も、2階の畳部屋ではなく、3階、作画のメインスタッフコーナーの脇の小さな応接テーブルに変わっていった。テレコムでは3時半頃がコーヒータイムになっていて、動画チェックの小林弥生さんにコーヒーを出していただいたこともあった。
シリーズ構成も立ちつつあった。必ずしも放映順とかストーリーが進む順に制作するわけではなく、各話には放映話数と制作話数がダブルで振られていた。
放映 |
制作 |
|
第1話 |
『四つの署名』 |
未定 |
第2話 |
『まだらのひも』 |
未定 |
第3話 |
『青い紅玉』 |
第2話 3・4階班 |
第4話 |
『小さな依頼人』 |
第1話 3・4階班 |
第5話 |
『ミセス・ハドソン人質事件』 |
第5話 3階班 |
第6話 |
『ドーバーの白い崖』 |
第6話 4階班 |
第7話 |
『ソベリン金貨の行方』 |
第4話 3階班 |
第8話 |
『海底の財宝』 |
第3話 4階班 |
第9話 |
『バスカビル家の犬』 |
第7話 3階班 |
第10話 |
『白銀号事件』 |
第8話 4階班 |
このほか、自分でつけたサブタイトルは忘れてしまったけど、テームズ河畔に巣食う浮浪児たちが、自分たちの家でもある廃船を再び動かそうと、プロトベンツのエンジンを盗んでしまう話なども書いた。これは放映13話予定だったはずだ。簡単なあらすじレベルのものならば、共同製作会社であるイタリア・RAI1への提出用に、26話までのものも書かれていた。ゆくゆくはモリアティ教授のおっかないおじいちゃんであるモリアティ大佐なんかが出現してくるはずだった。
永田ビルは2階が制作と経理、会議室(和室)、3階と4階が作画・演出になっていた。この3階(作画監督・近藤喜文)と4階(作画監督・丹内司、友永和秀)をそれぞれ一班とする作画班ふたつを社内に編成し、将来的にはオープロ班も作って3班体制でシリーズ制作に臨む、というプランだった。制作1、2話はパイロットフィルムの扱いなので、3、4階合同で作画されていた。
宮崎さんは、はじめのうちは3階と4階の両方に机を持って、作業のたびにいったり来たりしていたが、そのうち面倒になって3階の近藤さんの隣に居つくようになった。
新人演出助手の席は演出補・富沢信雄さんの隣、動画チェックの原恵子さん、小林弥生さんとカット棚を挟んだ背中合わせの、こぢんまりした窓際の机だった。
ずいぶんあとのことだ。
宮崎さんは自分の机の中からひと束のコンテ用紙を取り出すと、
「こんなものがあるんだけど。見ろ」
と、差しだした。
『四つの署名』。Aパートしかないけれど。
この話が存在することは、スクラップブックのストーリーボードで知っていたし、放映第1話予定であることもシリーズ構成表で知っていた。それにしてはなかなか制作に取りかかられない奇妙なエピソードだった。
鉛筆描きのコンテのページをめくった。
ワトソンのナレーションから始まる。
——「私の名は医学博士ジョン・H・ワトソン。アフガニスタン戦線に従軍せる大英帝国陸軍軍医である」
名探偵ホームズ譚のそもそもの冒頭。
ワトソンは母国に帰還する途中、ブリストル海峡を越える外輪船の渡し船に乗り込む。船上、外国から奇妙な「馬なし馬車」を持ち帰る途中の無口な青年と出会う。そのほか同じ船中に乗り合わせた乗客たち。切なさを駆り立てるように立ち込める霧。少女と少年水夫。怯える男。ついに霧の中から追っ手の船影が現れる。発砲。水柱。
「そこまではやってあったんだ」
「なんでこれは没になったんですか?」
「それは、おまえがあんなの書いてきたからだ。スリのポリィの話」
……はあ。
第10回へつづく
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(09.11.02)