第11回 海底の財宝、香水の香り
正直な話、『マイマイ新子と千年の魔法』という映画は制作予算が潤沢に恵まれていたわけではない。『アリーテ姫』よりもかなりマシ、といえばそのとおりだが、『アリーテ』の場合は、ありがたいことに、仕上げ、撮影など社内で作業するデジタル関係の費用は4℃がほとんど被ってくれていた。今度はそんなわけにもいかないし、でありつつ、「絵を描く人たち」の厚みをできるだけ分厚くとりたい。
スタッフ編成を考えるプロデューサーが、
「演出助手、どうしますか?」
と、問うてきたのだが、そこはそれ、
「いらない。自分でやるから」
と、答えてしまった。
演助の主な仕事がカメラワークと撮出しであるとして、それなら通りなれた道。ずいぶん手馴れたものだ。監督兼脚本兼演助でもなんとかなるだろう。
と、そこまで考えてふとひとつの台詞が頭をよぎった。
「教師生活25年!」
そうか。『ど根性ガエル』の町田先生よりも長いこと撮出ししてきたことになるんだなあ。
振り返って、1981年12月。
もぐりこんだテレコムで『名探偵ホームズ』の演出助手をすることになった。
「演助、って、何すればいいですか?」
と、隣の席の富沢信雄さんにたずねた。富沢さんは『ホームズ』で演出をしていた。
「さあ。僕らみんなアニメーターだしね。この会社、演出出身の人、誰もいないからなあ」
宮崎さんにもいわれた。
「演出の育て方って、経験ないからなあ。知らないんだよなあ。パクさんとかどうやったんだろうなあ。まあ、自分で何かやってて」
とりあえず研修プランとして、作画はともかく、制作、仕上、美術と各セクションを3日くらいずつ回ってみるか、ということになった。
制作の下っ端になって最初にやったのは、仕上の協力先にしていた某プロダクションへはもう発注しないことになったのでこちらから出してあった特色の絵の具ビンを回収してこい、という微妙な説明のされ方の仕事だった。制作進行の山路さんの車に乗って練馬区まで行った。仕事を断ったのだか断られたのだか息が詰まるような無言の空気の中、絵の具ビンの箱を受け取ってライトバンに積み込んだ。これはドキドキした。あとは、制作部の棚の整理くらいで、制作体験は終わり。
次は、制作・作画とは隣のビルにあるテレコム仕上部へ。仕上のチーフは山浦浩子さんはうわさに聞く、テレコムで一番えらい人、だ。
「仕上はいろんなことの帳尻が最後に回るとこだからね。みんな気を遣ってくれるのよ」
ここでは、とりあえずセルに色を塗る練習。
「トモちゃん、この人に道具一式出してあげて」
「はい」
「すみません。最初にいっておきますが、セル絵の具の扱い、ものすごくダメです」
「いいから。はい、塗ってみる」
絵の具はボタボタ垂らす、塗ればはみ出る、かすれる。ろくなことはない。
実際に塗ってみた。ひどいなあ、これは。
「ほんとだ……。ものすごく忙しいとき、最後の最後にみんなに彩色手伝ってもらうこともあるんだけど、あんたは戦力外だからね」
最後は仕上げの隣にあった美術。
「といって、背景描かすわけにはいかないからなあ。まあ、ヤマちゃんのうしろに立っとけ」
と、宮崎さんからいわれ、じっと山本二三さんのうしろに立っていた。
これはおもしろい体験だった。
「この画用紙……」
「ああ。これ、ワトソン紙。普通の画白紙より洗ったときの調子がいいの。ほら」
山本さんは塗りかけのパネルをもって立ち上がると、水道の下にもっていって、絵の具を洗い流してしまった。けれど、わずかに紙の繊維のあいだに染み込んだ色が残っている。
「これを何回か繰り返すと、いい感じに色が重なるんだよ」
このあとも、美術の人のうしろには何度も立つことになった。大野広司さんはいきなり画用紙に紙やすりをかけ始め、男鹿和雄さんは俯瞰の町並みのたくさんの家々を描くためにまず消しゴムで屋根のスタンプをせっせと作っていた。人様々、それぞれに職人らしい業があっておもしろい。
最後は、外に出て、撮影の外注先・高橋プロの見学。
「撮影台、はじめて見る?」
と、撮影監督の高橋宏固さん。
「いえ。大学にもありましたし、だいたいの機能はわかります」
「っていっても、こんな7分割の線画台じゃなかったでしょ」
ほんとだ。密着マルチ何段組めるんだろう、これ。
高橋さんは、この7分割の線画台を使ってあんな撮影もやった、こんな撮影もやった、あんな無茶な要求にもこう応えた、という数々の撮影技術者的武勇伝を話してくださった。
新人の演助に撮影台を見せておくのは、遠からず始まる『青い紅玉』の撮出しを任せられることになっていたからだった。
「撮出し、って何するんですか?」
という情報収集からまずはじめなくてはならない。
「うーん、よく知らない」と、富沢信雄さん。
「今までのテレコムの作品は誰が撮出しやってたんですか?」
「ああ、『新ルパン』だとかは宮崎さんが自分で。小山田マキの目のハイライトとか、セルを自分で直してたみたいよ」
「ハイライト直すって、どうやって?」
「ああ、はい」
と、富沢さんは「マッキー極細」を取り出した。
マジックでヒロインの目のハイライトのいびつな部分を整える。それが撮出しの仕事なのか。
山本二三さんにも聞いてみた。
「『死の翼アルバトロス』のときね、宮さん、撮出しするのはいいんだけど、ラストカットの背景、わざと逆向きに使うんだものなあ。ああいうことしちゃダメだからね」
宮崎さんは、そのほうが効果的だと思ってそうした、という話だった。
要するに、撮出しとは、完成したセルと背景を組み合わせ、最終的な画面効果を確認したのち撮影に回す仕事、ということのようだった。
最初の『青い紅玉』の撮出しは、まあ、それなりに無難にいった。
途中でラッシュが上がってきて、肝心の宝石のブルーの発色が鈍いのが問題になって、ラッシュを担いで高橋プロに走ったりもした。高橋プロの映写機にかけて、撮影スタッフに見てもらう。
「おっかしいなあ」
「フィルムの発色特性のせいですか?」
うかつにそう聞いたら、高橋さんは名言を残された。
「こんなブルー、EK(イーストマン・コダック)やフジじゃなくても、アグファでもゲバカラーでもちゃんと発色するはずでしょ」
結局、周囲のカラーライトスーパーのシアン系の発色の色に、セル絵の具の発色が負けてしまったのが原因のようではあった。
次の『海底の財宝』の撮出しをしていると、宮崎さんがのぞきにきた。ちょうど、水雷艇のカットを見ているときだった。
「こういう軍艦とか、ブラックのカゲが必要なんだよな。ちょっとマジック貸して」
宮崎さんは、セルに覆いかぶさると、水雷艇の見張り台の裏だとかカゲになる部分を、マジックで黒く塗りつぶした。
「この方が重量感出ただろ」
しばらくして、友永さんがやってきた。雨中にたたずむ戦艦のカットで、戦艦に赤錆の汚しを入れたいのだけど、やらせて、という。テレコムには「特効」という部署がなかった。筆タッチは仕上げ部が、セルにブラシを吹くのは美術の山本さんがやっていた。そして戦艦の汚しは希望するなら原画マン自ら行う。
なるほど。
そういうことか。
しばらくして、冒頭部に登場する海底の財宝のカットが撮出しに回ってきたので、そういうことか、と、つぶやきながら、ここぞとばかり手を加えてやった。黒マジック、赤マジック、青マジック、グレーのコピック、ホワイトの修正液。セルにのるものなら何でも使って。宝石にハイライトを足し、カゲを足し、可能な限りきらびやかに工夫した。それが何より大事だと思った。
ラッシュを見た宮崎さんは、少し唖然としていた。
「こんなディズニーみたいなお宝にしやがって」
まあ、いい。
自分自身としては今でもあの一連のカットには満足している。
それから26年後。
貴伊子が戸棚に香水瓶を戻すカットを撮出ししている。きらきらと透明でありつつ、その内からうっすらと香水の香りが漂ってくるような微妙な色合い。そういうものをなんとか表現しようと。
『マイマイ新子と千年の魔法』は本編1016、エンディング24、合計1040カット。そのすべてにコテコテと手を加える。
道具はフォトショップに変わったが、やってることの中身は変わらない。
それを行うのが自分自身の手と勘であることも。
第12回へつづく
●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp
(09.11.16)