β運動の岸辺で[片渕須直]

第13回 テレパシー

 「小さな依頼人」「青い紅玉」は、海外の見本市に出品するため、英語録音版だけは作られたのだが、ちゃんとした日本語でアフレコしてもらうこともないまま、お蔵入りとなってしまった。
 一時期、宮崎さんの机には、ホームズたち主要キャラクターのキャスティング候補表が置いてあったこともあったが、それもまた、無に帰したかのようにどこかへ消えた。
 『名探偵ホームズ』がまだ仕事として動いていたとき、ときたま考えていたのは、「自分が考え出したポリィはどんなふうに受容されてゆくのだろうか」などということだったのだが、音声も入っておらず未完成なままの「青い紅玉」が試写にかかることもあり得ず、少なくともこの時点では、世間への受容など遠い宇宙の話となってしまっていた。

 ずっと後年、自分が作った『アリーテ姫』がそれほどの上映実績を上げられずに公開終了となったとき、それでもこの映画はどこかで人の目に触れるべきだ、と、いってくださったHさんという方があった。Hさんは、映画館・下高井戸シネマを借り切って、『アリーテ姫』を上映してくださった。こういう人たちと出会うことができるから、映画を作るのはおもしろい。映画作りとは人と人との出会いのきっかけを作ることなのかもしれない。それを思えば、あのときお蔵に入ってしまった「青い紅玉」の不幸のほども知れようというものだ。

 そのHさんは、やはり僕が作った空戦ゲーム「ACE COMBAT 04 shattered skies」の映像を見て、
 「アゴタ・クリストフ『悪童日記』の、省略の多い、白い文体を思わせる」
 と感想を述べられた。アゴタ・クリストフと比較などされてしまっては、穴があったら入りたい気分だが、実のところ、「ACE COMBAT 04」のゲーム内ムービーは、クリストフの小説「悪童日記」に多大な気分的影響を受けて、極端に少ないテキスト量でいかに多くのものを伝えられるかチャレンジしてみようとして作ったようなものだったから、このHさんの言葉には、何かがシンクロしている気分を味わせられた。
 ほら、やはり映画作りは人に見てもらってナンボなのである。ときに、こんなふうに作り手と受けてのあいだにテレパシーが成立してしまうことだってあるのだから。

 そのHさんから最近いただいたのは、こんな言葉だった。
 「映画『マイマイ新子と千年の魔法』は本当にゆっくりと心の中に響いてきます。記憶の中のような、夢のようなシーンの断片が、ふとした機会に結びついて行きます。どこがどうと言うのは難しいのですが、貴伊子が持つ児童書や色鉛筆、新子の家の鏡や、畦道を走って遊び回る感じがどこか私の中にある感覚を刺激するのです」
 そんな映画を作ってしまう自分は、永久に大人になれない人間なのかもしれない。そもそも、2歳7ヶ月の記憶に出発点を持つ職業にいそしんでいる身でもあったし。
 記憶。そう、ときに、すでに失われてしまった、子どもの頃に身の回りにあったディテールが、これでもか、と脳裏に蘇ってきては、その生々しさ、その大量であることに押し潰されそうにすらなる。『わんぱく王子の大蛇退治』の記憶にしても、それは映画館のカーテンの埃の臭い、布張りの座席の鋲だけが冷たかったこと、布張りから藁がはみ出ていたことなど、その周囲に密接に絡まった一群の記憶を伴っている。
 その幼い日の祖父の映画館ははるか昔になくなった。
 今となってはすべて実在しないものと変わってしまったああいったすべてのものは、どこへいってしまったのだろう……。
 自分が死んだら、この記憶もすべて灰になるのだろうな、と思うこともある。
 もし、その何分の1かがフィルムに定着できていたのなら、それはまあ……。

 Hさんの言葉は続く。
 「唐突に感じられる『苦み』もビクトル・エリセやマジッド・マジディを思わせます。諾子の独り遊びは1000年と50年を足して現代の問題を表しているのかな、とも考えてしまいました。40の中年になっても、こうやって考えてしまうのが『千年の魔法』の本質かもしれません」
 ビクトル・エリセとは。
 「悪童日記」に引き続き、またしてもいい当てられてしまった。Hさんの慧眼には頭を下げざるを得ない。
 『マイマイ新子と千年の魔法』の中には、「ミツバチのささやき」からの引用として、蒸気機関車がやってくる線路に耳を押し当てる、目の前を列車が轟音を上げて通過するなどのイメージがある。
 ビクトル・エリセの映画「ミツバチのささやき」とは、子どもが「死」をどうイメージするのか、子どもの心が捉えた「死」のイメージを羅列したものではかったか、そう思う。人体解剖模型、人に死をもたらすという毒キノコ、その毒キノコが父の靴に踏み潰されて死ぬ。フランケンシュタインに殺される子ども、逃亡兵の射殺、死んだふりをして自分をからかう姉がほんとうに一度死に、甦って再びここにいるようにしか思われない違和感。

 実は、高樹のぶ子「マイマイ新子」にも同じような側面があるように思っている。
 この「日本の赤毛のアン」と謳われた小説は、その実、26章のひとつひとつに、なんらかの形での「子どもの目から見た死」を抱え込んでいるように思われてならない。
 それは、映画にも流用したようないくつかのエピソードであったり、おばあちゃんの弟が原爆で死んだ話、病院の霊安室であったり。おじいちゃんの義眼、偽傷痍軍人の義足というパーツの形をとった「死」には、「ミツバチのささやき」の人体解剖模型に近いものを感じてしまう。

 

そういう話をスイス・ロカルノ国際映画祭の記者会見でしようと思ったのに、「ミツバチのささやき」の原題を忘れしてしまっていたので(エスピリトゥ、すら出てこなかった)、外国の方にうまく伝えることができなかった。けれどまあ、エリセだって決して何本も作ってないのだから、ミツバチが出てくる、というだけでわかりそうなものなのに、という思いも抱いた。アゴタ・クリストフの話を、「ACE COMBAT 04」を見せつつ、フランスでしようと思ったら、誰も知らなかったのだったし。

 とはいえ、そうした「死」のイメージに関することは、自分として原作をこう読み解きました、というに過ぎないもので、それが自分の作った映画の中心要素ではない。実は、そこから映画『マイマイ新子と千年の魔法』の成立に至るまでは、もういく段かの過程を踏んでいる。原作が「死」を表現しているならば、自分はその先になおも存在する未来を求めようとして、足掻いている。
 また別のHさんという人がいる。どうも、ここのところ出会う人のイニシャルがHであることが多いのだが、先のHさんとはまた別の方だ。この人はこういっている。
 「昭和何年だろうが、1000年前だろうが、僕らはただ、世界の集積の中にのみ生きている。そうした遺跡発掘のような、『マイマイ新子と千年の魔法』の多重構造を、もっと理解したい。昭和42年生まれの僕らも、膨大な堆積層の一部に過ぎない。僕らは、新子たちのように、地面を蹴って楽しむ子供たちであり、いまだ、そうなんじゃないのか」
 少なからず愕然とした。
 最初に考えた『マイマイ』のラストはまさにそんなイメージ、2009年の防府の町を、1000年前の子どもたち、500年前の子どもたち、もっとほかの時代の子どもたち、昭和30年の子どもたち、その後の少し新しい時代の子どもたちが、渾然一体となっていつまでも駈け回っている。そのさんざめくような声がいつまでも聞こえている。そんな風景だったからだ。
 この脳裏に映ったものを、Hさんはどこで感じ取られたのだろうか。
 テレパシー、というしかない。
 こうした観客に出会える醍醐味を捨て去ることなど、できようはずがない。

 話を急ぎすぎている。
 「ミツバチのささやき」を最初に映画館で見たのは、1985年。
 それは、『名探偵ホームズ』の躓きから3年ばかり先の話だ。
 その間には、足掻くような話がもう少しばかり続く。『LITTLE NEMO』のことにも触れないわけにはいかないだろう。これもまた観客を得ることができずに終わった物語の話になるだろう。

第14回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(09.11.30)