第14回 ホームズ遺聞
『LITTLE NEMO』の話に移ろうと思ったが、それはあまりに苦しい記憶であり過ぎる。
いましばらく、『名探偵ホームズ』の思い出が甦るままにしておきたい。
「青い紅玉」はオールラッシュができてから、宮崎さんが「ラストカットをやり直したい」といいだした。コンテでは、歩くホームズとワトソンのカットの次に、海から這い上がるモリアティ一味のカットがただあるだけだった。いったんはそのとおりに画面になり、完成していたのだった。
だが、編集してみたら、全体で尺足らずになり、少し尺を伸ばす必要が生じた。さらにいえば、幸福を得たポリィの姿も欲しかった。そこで、ラストカットを「橋の上を歩くホームズ、ワトソン、ポリィ。そこからパンダウンして、海から這い上がるモリアティ一味」と変えようというのだった。
新作しなければならないホームズ、ワトソン、ポリィは宮崎さんが原画を描いた。
「だけど、ラストカットって、空へ向けてパンアップして終わるもんだよな。パンダウンして終わっていいのだろうか? そういうの、許されるのだろうか?」
宮崎さんは、そういう映像文法なんかについては、まるで原理主義者のようだった。高畑さんにはこう教わったのだけど、という話をよくしていた。
「うーん、パンダウンで終わっていいかどうか、パクさん(高畑さん)に聞いてみようか」
などと、ひとしきり逡巡した末に、いいや、やっちゃえ、となった。
このとき、編集で切り落としたポジフィルムは、記念に手元にもっている。というか、我が家の納戸の奥に今でも眠っているはずだ。
「海底の財宝」ではあまりコテコテやりすぎてしまい、セルをいったん掃除しようとエタノールで拭いてしまい、マジックどころかセル・ベースまで溶けてきて台なしにしてしまい、「すみません」と持ち込んだ仕上方面に「もーっ」と渋面作られたりもした。
「この原画のつけPAN目盛作って」とはじめてのことをやらされたりもした。
その次の「ソベリン金貨の行方」は、もうひとりの日芸映画学科脚本コースの学生の手によるものだった。「青い紅玉」と同じとき試験的に発注された中から生き残ったもう一本だった。
この回で、宮崎さんが、
「ちょっと」
というので行くと、絵コンテのとあるページを示された。
「このカット、原画描いてみて」
という。モリアティが地下トンネルを掘り進んで出た土の量をホームズが計算するところの、動く説明図みたいなカットだ。
「中身、コンテと変えちゃっていいから」
と、説明されたので、自分の机にもって帰って描いた。学生の頃から自主制作アニメの同人グループ「グループえびせん」とかにも入ってゴソゴソやってたから、このくらいの作画ならなんてことない。
一応、クイック・アクション・レコーダーにかけて大丈夫そうなのを確認後、宮崎さんのところにもっていった。宮崎さんは、眼鏡をオデコに跳ね上げてパラパラ眺めていたが、
「これ、中1枚ずつ入れたらちゃんと動くな」
といわれた。ポンチ絵なので6コマ中なしだか、8コマ中なしでシートつけといたのだった。
「ソベリン金貨の行方」には金でできた巨大な銅像というか貯金箱が出てくる。作監の近藤喜文さんが、金に見えるようカゲやハイライトなど数色使って塗り分けを作っていた。
「ちょっと仕上げ行ってこれ塗ってきて」
と、宮崎さんにいわれたが、セル彩色は鬼門だ。その上、何色に塗っていいかわからない。
「そこは任すから。まあやってみて」
つけPAN目盛にしたって、黄金像の色にしたって、万事が手探りだ。色トレスなんかやってたらえらいことになるので、実線だけマシンかけたセルに直塗りした。しかし、金って何色? 黄色とか山吹色に塗るのはなんだか紋切りというか、おもちゃっぽいようで、気が引けた。
山浦さんと色彩設計のことで相談してた宮崎さんが、「できてんなら見せろ」というのだが、見せるのはもっと気が引けた。
「すみません。金に見えません」
黄色になんて塗りたくなかったのだが、かといって適当な色がなかったので、それらしい絵の具瓶を選んで塗っていたら、彩度の低い黄土色になってしまっていた。
「カレーだな、こりゃ」
「すみません」
ハイライトは明るく輝かそうとしてうかつに白っぽいクリーム色に塗ったのが、カレーシチューにクリームを垂らしたみたいに見えていた。
山浦さんはそんなクズみたいなものには取り合わず、彩度の高い黄色系でちゃんとした色彩設計を鮮やかに決めた試し塗りセルを作ってきた。実にちゃんとしていた。そうか、彩度が高くないと輝いて見えないのか。何色もの塗りわけのうち、1色だけ黄土色に塗られていたのは、ひょっとしたらこちらの意図を汲んでもらえていたのだろうか。
もっと何年後かのことになるが、山浦さんはいろいろな試し塗りをするごとに、こちらのことを呼んでくれるようになった。
「ノーマルがこの色で、でもこのシーンはアブノーマルでしょ。美術のボード、こんな色だから、アブノーマルに塗ったセルはこんなのと、あとこんなのと。どっちがいい?」
と、試された。セル絵の具のカラーチャートももらえるようになった。山浦さんにしてみれば、宮崎さんがそうであったような「仕上に理解のある演出家」を作り出そうとしていたようだった。東映動画初期以来の仕上のベテランに訓練されていたという、これ以上の幸運はない。
そのうちに、「この変なメカみたいなもの、塗ってみて」と色彩設計の真似事みたいなこともさせられるようにもなった。そういうことをやっていると、「透明なガラスをヌリで表現すると何色にすればよいか?」などと自分で考えるようにもなる。喫茶店の自動ドアの透明なガラスを見て「O—30」などと、絵の具の番号に見立ててみたり。
さらに後年、スタジオジブリで仕事するようになった最初のうち、色彩設計の保田道世さんから「どこのウマの骨だか」と、軽く見られてしまっていた。そのうちに山浦さんが保田さんのところに遊びにきて、何か話していたかと思うと、直後から保田さんの態度が和らいだ。そのうち、保田さんからも、試し塗りのセルを見せてもらって、いろいろ相談してもらえるようになっていった。
自分で監督した『アリーテ姫』では、金でできた魔法の宝物、巨大な金色の鷲などが出てくる。「ソベリン金貨の行方」の昔に戻って、あまり彩度の高い黄色を使わずに「金」を表現しようと、挑み直してみた。今度はデジタル彩色なので、絵の具のころにあった色数の制限がない。実用上ほぼ無限ともいえる色調が作れるので、今回はうまくいったと思う。金というのは、表面に周囲のものが反映しているわけだから、見えるアングルが変わるのに合わせて色調を変化させてやればいい。『アリーテ姫』の金色表現はあまりうまく行き過ぎて、CG的なソフトウェアの産物のようにさえ見えてしまう。だが、実のところ、人の手で塗って作った色なのだ。
こういう色彩表現を考えるのが楽しいと思える自分がいるのは、若輩者の意見を辛抱強く聞いてくださった山浦さんや保田さん、日本アニメの小山明子さんのような方々のおかげだ。
第15回へつづく
●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp
(09.12.07)