第15回 宿命の仕事
『名探偵ホームズ』を制作していたテレコム・アニメーションフィルムとは、東京ムービー新社、東京ムービーの系列会社であり、3社とも藤岡豊氏が社長を兼任していた。
まだ自分が『ホームズ』などに関わることになるずっと以前、東京ムービー新社がちょっと変わったことを始めようとしていることを、雑誌「マンガ少年」で読んでいた。小松左京氏を原作者に招き、演出・月岡貞夫で長編SFアニメーションの製作を計画している、というような記事だった。『宇宙戦艦ヤマト』劇場版あたりに端を発したアニメブームの頃のことで、作ろうとしているものが、「劇場版」「宇宙ものSF」というのは、この当時ならどこにでもあったような話だが、監督に実写映画監督を招いていないのが珍しかった。実写映画監督の冠がついていないと、アニメ映画を売り込めないような風潮になっていた時代だった。監督には、『狼少年ケン』で八面六臂の活躍を見せた月岡さんを据え、ストーリーをSF界の重鎮・小松左京氏に依頼するというのは、ちょっと毛色が変わったキャスティングだった。さらに「キャラクターデザイン・モンキーパンチ」というクレジットが添えられていたのは、いかにも『ルパン三世』らしくはあったが。この企画のタイトルは『さよならジュピター』といった。
月岡さんに大学で教わるようになって聞いてみたことがある。『さよならジュピター』はどうなってしまったのですか、と。
「僕はパニック映画が大嫌いでねえ」
月岡さんの中では、『さよならジュピター』はパニック映画というくくりになっていたのだったか。いずれにしても月岡さんとのマッチングということでは、難しい話だったような気がする。『さよならジュピター』は、ずっと後年、小松左京氏が企画を引き取り、小松氏自身が監督して特撮・実写映画に作り上げることになる。
また、しばらく経って、同じ「マンガ少年」で、今度は東京ムービー新社が『夢の国のリトル・ニモ』の製作に乗り出したと報じられた。『夢の国のリトル・ニモ』は、20世紀初頭のアメリカのマンガだが、ちょっとした幻めいた雰囲気が漂っていた。その少し前にパルコ出版が抜粋版を美術書的な体裁で翻訳出版したことがあり、これが原著作権をクリアしていなかったとかで、全冊回収になったといういわくがついていた。それを長編アニメーション映画として製作し、そこで作画に当たるアニメーターはまったくの新人を募集して、育成から始めるという話だった。アニメーターの養成を行うのが月岡貞夫さんで、つまりこれがテレコム・アニメーションフィルムとなってゆく。月岡テレコムでは新人を使って『LITTLE NEMO』のパイロットフィルムを作っていた。
その後、テレコムには大塚康生さんが加わり、宮崎駿さんが加わり、月岡さんはそこから離れていた。
テレコムの棚には、「リトル・ニモ」と表紙に書かれたスクラップブックが突っ込んであり、中には宮崎さんと近藤喜文さんが描いたイメージボードが貼られていた。自分でも、それを棚から引き抜いて、ときどきページをめくっては眺めてみたりもしていた。パルコ出版のではない、本国アメリカ版の原作の一抱えもある大型本もあった。それも時々眺めた。「海底の財宝」で、潜望鏡の見た目でこちらへ飛来する戦艦の砲弾のカット、あれは「リトル・ニモ」の原作からイメージを引用したものだったのだな、などと、ひとり納得していた。
経緯をよく知らない自分にも、スタジオの主体が月岡さんから宮崎さんに移り変わったのちも、『LITTLE NEMO』の企画が残っていたらしいことはうかがえた。しかし、その企画はどこへどうなってしまっていたのだろう、と不思議に思っていた。
1982年の中頃、『名探偵ホームズ』が消滅してしまったとき、自分はまだ大学4年生だったが、『ホームズ』の仕事がなくなってもそのままテレコムのスタジオ内に居続けていた。『ホームズ』の演出助手に雇われたというより、宮崎駿の演出助手として雇われたつもりでいたから、宮崎さんがそこにいる限り自分の仕事はまだある、そう思っていた。
そんなある日、『LITTLE NEMO』が再始動されること、脚本はプロデュース・サイドからアメリカのSF作家レイ・ブラッドベリに委嘱されたこと、そのストーリー案第1稿がまもなくあがってくるだろうことが伝えられた。まるで青天の霹靂だった。ああ、宮崎さんの『NEMO』の脚本に自分が参画することはなくなったんだな、などという感慨を抱かされてしまったりもした。
やがて、ブラッドベリのスクリプトが日本語に翻訳され、宮崎さんのところに回されてきた。それを読む宮崎さんは明らかに渋い顔をしていた。
「ちょっと来て」
と、呼ばれた。
「これ読んでみて」
読んでみた。
専門の翻訳家ではなく通訳の人が訳したらしいたどたどしさがあった。それを我慢して読んでみた。
最初期のアニメーション『恐竜ガーティ』を作ったことで知られるウィンザー・マッケイ。その彼が新聞日曜版に多年にわたって連載した「リトル・ニモ・イン・スランバーランド」(まどろみの国のリトル・ニモ)は、たしかにストーリーがあいまいで、そのときどきのイメージの面白さの断片が羅列されたかのような作品だったが、ブラッドベリはそこに独自の縦糸を通すことでなんとかつなぎ合わせようとしたようだった。
だけど、その縦糸たるアイディアというのは……。それで綴られたストーリーのカタチというのは……。
「こういうことでいいんでしょうか?」
「いや。いいか悪いかといわれたら、違うに決まってる。これは哲学みたいなものではあるけど、ストーリーじゃないだろ。うーん……」
しばらくして宮崎さんはひとつの方針を出した。
これをスタジオ内のみんなに読ませよう。そして、こういうことでいいのか、みんなの意見を聞こう。
第16回へつづく
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(09.12.14)