β運動の岸辺で[片渕須直]

第16回 思弁的なハリウッド

 『NEMO』に関しては、当時、表紙に「TMS‐ルーカス・フィルム」と連名で記された企画書を社内で見たことがある。TMSとは東京ムービー新社であり、ルーカス・フィルムとは紛うことなく「スター・ウォーズ」を作ったあのジョージ・ルーカスのプロダクションのことだ。
 アメリカ三大ネットワークに売り込もうとした『名探偵ホームズ』もそうだったが、藤岡さんは、日本国内マーケットに限界を感じ、しかし、海外に打って出るならアメリカのメジャーに食い込み、世界配給を目論む野心をもっていた。食い込むには杭が必要であり、1977年に最初の「スター・ウォーズ」を、1980年に続編「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」を、1981年に「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」を発表し、まさに絶頂期にあるジョージ・ルーカスにそれを求め、『NEMO』共同製作の声をかけていたのだった。
 聞いた話では、ルーカス自身は「スター・ウォーズ」と「インディ・ジョーンズ」の新作で忙しいので「ごめんなさい」。しかし、自分の代わりに「スター・ウォーズ」2本でプロデューサーを勤めたゲーリー・カーツをそれに充てよう、という紹介を受けた由。ゲーリー・カーツのキネト・グラフィック社は、『NEMO』製作のためTMSと合弁し、キネト・TMSが興された。同時に藤岡さんとゲーリー・カーツの2人が『NEMO』のエグゼクティブ・プロデューサーに就任し、映画の内容面についてはカーツ氏が責任を持つこととなった。
 「『エグゼクティブ・プロデューサー』って、何?」
 「さあ、日本語でいうと、『製作総指揮』みたいな感じ?」
 当時のわれわれの認識はそんなものだった。

 先に上がってきたレイ・ブラッドベリのスクリプトは、このカーツ氏の意向を反映したものであるという。
 カーツ氏の考え方ははっきり表明されていて、「自分がプロデュースした『スター・ウォーズ』にしても、『ダーククリスタル』にしても、エンターティメントである表面的なストーリー運びとは別に、裏面にひとつの『哲学』をもっているべきであると考えて臨んだ。それがルーカスから得た教訓であり、自分たちが成功してきた要因である」というのだった。
 典型的なハリウッドの映画製作者から「『哲学』こそ大事」といわれると、今のハリウッド製エンターティメント映画を思い浮かべる限り当惑する向きもあるだろうが、考えてみれば当時(1982年)のほんの数年前までのアメリカ映画界では、ニュー・シネマの傾向が花咲き誇っていた。マーティン・スコセッシが「タクシードライバー」を撮ろうものなら、「われわれにだってヌーベルバーグみたいな『ヨーロッパ映画』が撮れるんだ!」とアメリカの若手映画人が勝ち誇ったという、それが最初の「スター・ウォーズ」の1年前の話だったのだから。
 そういう風潮を残しつつ、エンターテインメント・ストーリーを作ることで、われわれは成功してきたのだよ、それがニュー・シネマ以前の娯楽大作映画とも違う汎世界的な映画の作り方なのだ、ゲーリー・カーツ氏はそう述べていたのかもしれない。

 では、ブラッドベリのスクリプトはどんな内容だっただろうか。
 ウィンザー・マッケイの原作「リトル・ニモ・イン・スランバーランド」は、新聞の土曜版の週刊漫画であり、主人公の少年ニモは、眠りにつくたびに夢の世界の体験をし、だが夢は毎度毎度悪夢に変わり、ベッドから落ちるなどの目覚め方をして終わる。つまるところ絵で描いたショートショートのようなもので、縦糸になる大ストーリーが特段あるわけではない。
 ブラッドベリは「Nemo」(誰でもない者)という名が裏返すと「Omen」(前兆)という名になることに気づき、あるとき、ニモが分裂して、もうひとりの人格オーメンとして顕在化し、オーメンに導かれるように、ニモは夢の世界の深部に深入りしてゆく。そして、どんどん現実から遠ざかってゆく。ニモはオーメンを倒し、あるいは屈服させ、現実世界への帰還を果たす。そういうラフ・ストーリーを書いてきた。縦糸をそんなふうに通そうとしたのだった。
 この場合、「夢見ているだけでは駄目だ」というのが、ゲーリー・カーツ氏いうところの「哲学」であるというわけだった。

 実のところ、今となって思うに、この程度のものにそれほどの拒否反応を示すまでもなかったのではないか、とも思える。ブラッドベリが描くストーリーの細部が甘すぎるとしても、そんなところはこちらのアイディアで補って、楽々成立可能なストーリーだったのではないか。今となってはそう思えないでもない。敵の設け方といい何といい、『長靴をはいた猫』式漫画映画に根ざしたわれわれの考え方のほうが極めて「即物的」だったわけで、ハリウッドのほうが「思弁的」であろうとしていたあたりが、今現在から見返すと興味深いような気もする。
 ただ、世界配給を目論むエンターテインメント映画としてはどうなの? という疑問は当時も感じたし、これがそのために特別に用意されたストーリーだとは思い難い。それは今でも当時と同じように感じる。1本の娯楽映画全体の舞台が、1人の少年の脳内に展開する「精神世界」であるとは、いくらなんでも前衛的に過ぎないか。
 そしてまた、その「哲学」なるものがあまりに単純すぎないか。

 宮崎さんがこれまで準備してきた『LITTLE NEMO』は、「夢の世界」を現実に存在する別世界と考え、その上で少年の冒険譚を展開させようと考えられていた。宮崎案『LITTLE NEMO』は、捨てられたロボットたちの王国の話になるはずだった。眠る少年の脳裏に展開する曖昧模糊とした精神世界の話に陥らないよう、そう考えてきたはずだったのに、部分を見事に覆された格好になってしまった。抵抗感は相当なものだっただろう。
 宮崎さんは社内スタッフ集会を開き、ブラッドベリ・スクリプトに対する意見を求めたが、急にそう問われても違和感を感じこそすれ、それを言語化するのは難しく、ひとつくらい意見が出たきりで、あとは一同ポカンとした顔で終わった。
 「とりあえず、僕のほうで反対意見をまとめてゲーリー・カーツ氏に提出します」
 宮崎さんにいえるのはそこまでだった。
 この『NEMO』のチームには、高畑勲さんもいずれ合流してくることになっていた。高畑さんは、当時、東京ムービーで『じゃりン子チエ』のTVシリーズのチーフ・ディレクターを勤めておられ、『チエ』の作画の仕事は、『ホームズ』の合間などにテレコム社内にも入ってきていた。
 高畑さんと宮崎さんが共同監督として並ぶ絵もどうなの? それもこちらの脳裏を行ったりきたりする不確定要素のひとつだった。とはいえ、ブラッドベリ・スクリプトを見る限り、この場合、高畑さんが監督するほうが適任のようにも思え、だとすると、宮崎さんの立ち位置がますますよくわからないものとなってゆくようでもあり、こちらの心中の不安はますます充満してゆくばかりだった。

第17回へつづく

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(09.12.21)