β運動の岸辺で[片渕須直]

第19回 最後の畳部屋

 会社が中野区野方の環七・大和陸橋付近の貸しビルから引っ越すことになる、という話があった。西武新宿線新井薬師駅そばの建物を買い取って、『NEMO』の企画を管理する東京ムービー新社と、制作現場であるテレコム・アニメーション・フィルムを、ひとつ建物に収容するのだという。今まで隣のビルに分かれていたテレコムの仕上と美術もこんどは同居することになるし、『NEMO』の撮影を担当する東京ムービー撮影部も同じ建物内に移ってくる。『NEMO』関連をすべて一ヶ所に集めることになるわけで、まあ、よい話に聞こえた。
 元は家政科学校だった建物なので、廊下に沿って教室が並ぶ作りになっており、うなぎの寝床みたいに長細く奥行きのある建物だという話だったが、その4階建ての建物の中央の2階と3階がテレコムの作画(演出も含む)になるのだ、そう聞いた。宮崎さんも、引っ越して現場の環境がよくなるだろうことに期待してる顔をしていた。『NEMO』のストーリーについての提案をカーツ氏に払いのけられたのにもかかわらず、スタジオのカタチがよりまっとうな方向に進むことについての期待感を声にして示すことで、まだしも前向きな態度を表していた。

 ところが、その宮崎さんが、ある日、何かに憤慨しているのにぶち当たった。かなり憤った真っ赤な顔をしていた。
 「作画は屋根裏部屋みたいな4階に押し込める、っていうんだ」
 「誰がですか?」
 「会社がだよっ」
 「2階か3階じゃなかったんですか」
 「違うっ。2階、3階には社長室とか役員室を入れるから、お前たちは4階にまとめて入っとれ、そういう話だ」
 宮崎さんは、目の前で制作の外線電話を取った。
 「専務に抗議する」
 さすがに、スタッフみんなの目のある自分の机からだと掛けにくい電話だと思ったのだろう。
 「ああ、おはようございます。宮崎です。……ああ、ええ、どうも。その……引越し先のことなんですが……」
 頭に血が上った赤い顔で「抗議」といっていたわりには、上司である専務に向かっては、いつも激昂したときのようにまくし立てるわけでなく、丁寧な言葉で話していた。節度があるというより、まくし立てていないぶん、明らかに言葉数が少なく、気弱な感じで迫力もなかった。
 「駄目ですか。……はあ。……ええ。そうなんですが」
 段々消え入るようになっていって、しばらくして受話器が置かれた。
 「どうしても駄目だってさ。外からの来客があったりして、対応しなけりゃならないから、どうしても新社が4階に行くわけにいかない、といってる」
 「どうするんですか」
 「うん……まあ」
 その先に言葉はなかった。

 そのほんの数日後のことだったと思う。高畑さんが来社した。
 宮崎さんは高畑さんと2人、会議室兼試写室兼休憩室兼宿泊室である畳部屋に篭って、何時間も出てこなかった。心配になるくらい何時間も篭っていた。
 しばらくして、自分1人が呼ばれた。
 内線電話で呼ばれて、3階の作画部屋を出ると、階段を下った。2階には制作があって、経理がある。その奥が畳部屋だった。この扉は開けたくなかった。

 「ああ。来たか」
 畳部屋のテーブルの灰皿には2人が吸った煙草の吸殻が異様なまでに山盛りになっており、2人が言葉と気持ちをぶつけあった厚さをあからさまに示していた。
 ずっと説得していたのか、鬱憤を受け止めていたのか、高畑さんはそれまで分厚く黙り込んでいた。
 宮崎さんは眼鏡を取って、テーブルに置いた。涙をにじましたような赤い目をしていた。
 その瞬間、これはもう駄目だ、と思った。
 「会社、辞めることになった」
 「……はい。その……『NEMO』はともかく、そのあいだほかの企画、とかで続けてることは駄目なんですか」
 「そうはいかないんだ」
 そうかもしれない。『ルパンの娘』『もののけ姫』『風の谷のヤラ』。これまで会社に提出した企画は軒並み取り上げられていなかったのだから。
 「あとのことはパクさんに頼んだ。お前のことも頼んどいた」
 「……はい」
 宮崎さんの向かいで頬杖ついていた高畑さんが、こちらに目をくれた。
 「うん。まあ」

 宮崎さんの送別会は、高円寺のガード下の、いつもの居酒屋の2階になった。
 ちょっと明るい感じの宴のあと、最後に宮崎さんは集った若い者たちに説教めいた言葉を残した。
 「なぜホームズが犬であることに疑問を抱く奴が誰もいなかったんだ?」
 話がそこに戻ったことに、ちょっと意表を突かれた気がした。
 しばらくして、会社が引っ越した。宮崎駿のいないテレコムが始まった。

第20回へつづく

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(10.01.25)