第48回 見たことのあるあの山影、あのカタチ
『魔女の宅急便』が終わって2人目の子どもが生まれ、その後、虫プロにいる間に3番目の子どもが生まれ、『名犬ラッシー』のあとで4番目の子どもが生まれた。
産んだ本人である我が妻なる人は、そのたびごとに作画の現場に復帰して、今でもなんとかやっているどころか、『アリーテ姫』では巨大ボックスの崩壊から水が押し寄せてくるまでを描いたり、『AC04』や『マイマイ新子と千年の魔法』では全編のうちの大半のレイアウト(と、大半のラフ原画)をこなしたし、最近の『BLACK LAGOON』ではアクションシーンのラフ原画をまとめてやっている。思えば、産休中もなにやらゴソゴソとコンテストに応募する絵や文章を作っては、賞品・賞金を稼いでいたようだし、とにかく我が身内ながら恐れ入ってしまうのだった。
その妻なる人が、最近は、スキン・ダイビングに凝っていて、ときどき教室に通っていたりする。
「この夏は、仕事の合間を見つけて潜りにいきたい」
というので、どうせ、他の休日は全部働いて費やしてしまうのだから、それくらいのことをしなければバチが当たると思って、とある朝、ハンドルを握って伊豆半島南端を目指して出発した。もとより交代で運転するつもりだったのだが、帰途についたところで、こちらの目が開かなくなってきて、このままでは居眠り運転しそうな危うさになってきた。
「代わるから、寝てな」
といわれ、助手席で眠り込んでしまったのだが、ふと目が覚めると、伊豆半島のど真ん中の道を走っているはずが、左側に海が見えてきているではないか。
「道、まちがえた?」
「かなあ」
いや、明らかに間違えているのである。この2人組は、どちらかがハンドルを握っているあいだ、もうひとりが地図を見て航法についていなければ何事も覚束ない。
眠い目をこすりつつ、地図を開き、おおむねこの辺、と位置を確かめると、東名のインターへ出るための道のナビゲーションを始めた。
「右車線に入っておいて」「ふたつ目の信号、右折」「香貫山というのが見えてくるから、それを回り込んで、向こう側へ出て……」
香貫山?
……そうか、ここは沼津なんだ。
長い前置きだったが、ということで、沼津市と香貫山の周囲には以前にも来たことがあったのを唐突に思い出したのだった。
出向で出ていた『魔女の宅急便』を終えて虫プロへ戻ってくると、社内は総がかりで『うしろの正面だあれ』という長編の制作に取りかかっていた(という時系列だったと記憶するのだが)。『うしろの正面だあれ』は、先代の林家三平師匠のおかみさんの海老名香葉子さんが、自らの戦前から戦時中にかけての幼少期の体験を書いた本を原作にしていた。監督には有原誠司さんが、作画監督には小野隆哉さんがついていたが、その小野さんから、
「片渕さん、レイアウトの面倒を見てください」
といわれてしまったのだった。
「え? レイアウトのチェックを?」
「うん。片渕さん、『ワンダービート』のときもなんだかんだいってレイアウト全部自分で描き直してたでしょ? お願いしますよー」
ということで、この作品では、純粋に絵を描く立場で参加することになった。
ロケハンだとか資料収集だとかは監督の有原さんが率先して進めていたのだが、映画の後半になって出てくる沼津にはまだこれからロケハンに行くところ、というので、同行させてもらったのだった。
要は、小学生だった(失礼、当時だから国民学校ね)香葉子ちゃんが、東京の下町から親戚がいた沼津に疎開して、そのために昭和20年3月10日の東京下町焼夷弾空襲から生き延びる、ということなのだが、その沼津の親戚である海軍技術士官の住んでいた「海軍住宅」などもまだ残っていて、それが見たかったわけだ。
東京を襲うB‐29は富士山あたりを通って東に向かうので、その進路下に当たる沼津市にも当然、空襲警報が出る。香葉子は防空頭巾をかぶって避難のために香貫山へ登り、そこで東京の方向の空が赤く染まるのを見た、ということになっていた。なので、海軍住宅の背後にこじんまりとそびえ立つ香貫山も、このときの見物の対象になっていたのだった。
実際に香貫山の山頂から東京方面の空が見えるのか、ということでは悩んだ。あいだにまともに箱根の山塊が立ちふさがっているのだから。
似たような話では、戦争体験のあるベテラン・アニメーターにうかがった話として、「頭上をゆくB‐29に乗っている人が見えた」というものもあった。空襲に来た米軍機に乗っている人がよく見えた、という話は全国の空襲体験談のあちこちで見聞きする。中には、「女の人が操縦しているのが見えた」などというものまである。B‐29だって、最低でも高度数百メートルを飛んでいるはずだし、こういうのは心理的なトリックが産み出したものなのかもしれなくて、いまだによくわからないものがある。
オーラル・ヒストリーというものが陥りやすい罠なのかもしれず、かといって文書記録が正確に記録しがたい何かの反映であるのかもしれないわけなので。
結局、香貫山の山頂から見た東京の空は、絵コンテではただ茫洋と画面いっぱいベタに空が描かれていたのだったが、こちらのレイアウト修正で箱根のシルエットを描き足すなどしてしまった。この作品でレイアウトマンとして働く、というのは、こうしたなんだか抽象的でややもすれば絵空事になりかねない部分のあることを嗅ぎとって、最低限、自分がリアリティと思えるものを感じられる位置に導き直すことなのかもしれないと思った。
絵コンテにはサラサラと「紀元2600年式典用に皇居前に建てられた光華殿」などが描かれているわけなのだが、これは実際どういう縦横比で存在しているものなのか、ディテールはどうなっているのか、自分の手持ちの本からも写真を探したりして、けっこう苦労した。
それからちょっと経って、小金井公園まで乳母車を押して夫婦で出かけて、公園内の江戸東京たてもの園の入り口を見て呆然となった。
「これ、紀元2600年のアレじゃないか?」
式典用の仮設建築であるはずの光華殿が、こんなところに生き延びていたことを、そのとき始めて知った。
というより、建物のシルエットを見て気づいた。建物のシルエットのカタチが脳裏に残っていたのだった。
レイアウトマンとは、ひとつにはそうした仕事なのだった。
第49回へつづく
●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
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(10.09.13)