β運動の岸辺で[片渕須直]

第49回 誰だって、1ヶ所くらいは勝ちたい気持ちあるじゃん

 『うしろの正面だあれ』の美術監督にははじめ違う方が予定されていたのだけど、本番では小林七郎さんに代わった。
 はじめに予定されていた方はファンタジックでふわふわした世界をもっておられる人で、1枚だけ夕方の本所の風景のボードを描いてきたのだが、
 「どう思う?」
 と有原さんに聞かれて、正直、この方向じゃないのでは、と答えてしまった。キャスティングというのはいつも難しい問題だが、この人のよい面と作品の目指すものが一致しないように思えてしまったのだ。
 有原さんは「うーん」といっていたが、それからまた別のベテランの方のところへ有原さんとふたりでスイカをぶらさげてお願いに赴いたりし、さらにまただいぶ経ってから、「美監は小林さんにお願いすることになった」と聞かされた。
 「小林さん、って、七郎さんですか」
 「うん」
 おっかないことになったな、と思った。

 小林七郎さんは、『MIGHTY ORBOTS』でもお世話になっているはずなのだが、まあ、駆け出しのにわか各話演出では直接お目にかかる機会もあろうはずがない。
 小林さんとの出会いはその後にあったのであって、それは自分も共同監督として参加するはずだった大塚康生監督版『NEMO』の美監が小林七郎さんだったのだ。『NEMO』のとき、大塚さんに連れられて行った飲み屋で小林さんと引き合わせられた。何せ、『NEMO』ではレイアウト担当演出をする話になっていたので、自分のところを通過した原図が次には美術に回るはずで、この辺の関係は大事だった。
 席上、小林さんは、この少し前に完成していた作品の背景を取り出し、その作品の監督(大物である)がいかにレイアウトに自分の手を加えて修正してきたか、しかし、自分はいかにそれを上回る原図再修正を施し、画面をものにしたか、そういう話をされた。プロっていうのはそういうものだ。鷲のように強烈な視線でそういわれた。
 ドキドキ、ドキドキ……。
 そんなこといわれて、俺はどうすればよいのだ?
 結局、その『NEMO』は我々の手を離れ、小林七郎さんと組む機会は失われていたのだったが、今またそれが巡ってきてしまったわけだ。

 とにかく日本家屋をたくさん描かなければならない。原画マンが描いてくるレイアウトは、なんだか室内の広さがちょっと違うような感じがした。それから、屋根の傾斜が急角度に過ぎるような気がした。
 実は、和室の広さほど計算で割り出しやすいものはない。90センチかける180センチとサイズが定まった畳が床に敷き詰められているのだから。別に畳部屋でなくとも板の間とかでも同じで、柱が何間とかの単位で立ってるのだから、それを基準に割り出して登場人物の身長と対比させればよいのだ。そうやって自分でやり直してみると、たいていの人が部屋を広めに描きすぎていることがわかった。自分で適正と思える広さに描き直してみると、なんだか小津安二郎の気分になってきた。小津の撮る日本間はまことにこぢんまりして見える。いや、さすがに小津みたいにカッキリした画面は作れませんが。
 みんなが部屋を広めに描いてしまうのは、これまで漠然とした洋間的空間を想定することばかりやってきたからなのかもね、などと思ったりもしたのだが、屋根の角度が急すぎるのも同じかもしれなかった。絵本で見る西洋家屋の屋根にちょっと似ていた。
 その日から、スタジオの窓から外に立つ家を眺めたりする日々となった。昼飯を食いに出ては、その辺に建つ家の軒裏を眺め回しながら歩くことにもなった。屋根の構造(小屋組)の一部が露出しているのだが、その組み方だとか、あらためて「こうなってるんだ」とか見物していたわけだ。屋根といっても切妻とかいろいろあるしね。

 『うしろの正面』には途中から入ったので、初期の分で自分のチェックを経ていないレイアウトもいくつか流れていたのだが、そうしたものは屋根が急傾斜だったり、屋根裏がちょっと空想的な構造になっていたりしたようだった。で、しばらくすると、そうしたレイアウトが美術のほうから戻されてきてしまった。
 「家のカタチがオカシイ。こっちの人の絵はまだちゃんとしてるから、こっちの人でレイアウトは統一してほしい」
 でもって、その「こっちの人」というのが、自分だったりしてしまったのだ。それはまたたいへん光栄な話でもあったが、ええっと、それはほとんど全カット、レイアウトを描けということになるのでは?

 結局、何カット描いたのだろう? 900カットくらい?
 最大多いときで、1日40カット描いた。原図だけじゃなくて、必要なところには、芝居のラフも入れつつ。 
 途中から、原画の割り振りが間に合わなくなってきて、上がってきたレイアウトをチェックするのでなく、最初からこちらで先回りして描いたほうがよいようなかんじになってきて、そうした。
 絵コンテで背景の場所があいまいになっていたところには、思いつく範囲で実在の場所を描きたかった。沼袋から見える中野方向は家がどれくらい焼けてるのだろうか、と戦災図をなめ回したりもした。ついつい、この辺では水が見えるといいだろうなあ、などと不忍の池のほとりだかを描いてしまったのだが、上がってきた背景では、池が土で埋まって稲が植えてあった。小林七郎さんの添え書きがあって、「不忍の池は戦時中は田んぼになっていました」とあった。やはり、当時のことを直接に知る方にはかなわない。
 そんなことをやりつつも、根が演出家なもので、「ここ、ちょっとカット足してもいいですか?」「このカットとこのカット、こうつないで1カットにしてしまってもよいですか?」などと、監督の有原さんに意見具申してしまって、しまいには、芝居もコンテもだいぶ自分流にしたところが増えてしまった。戦災で犠牲になってゆく立場の人たちであっても、ただ一方的な犠牲者であるのもどうか、と思ったので、防空演習の場面では遠くの空に陸軍二四四戦隊(調布基地)の三式戦闘機の編隊を飛ばし、登場人物たちに手を振らせたりもしてしまった。三式戦の落下タンクは、ちゃんと黄緑七号色に近い感じに塗ってもらってるはず。

 こういうことをしていると、どうしても『火垂るの墓』の表現を思い浮かべざるを得ない。高畑さんは米軍のM69焼夷筒は空中着火して、ナパームに火がついた状態で降ってくるのだ、自分はその下を逃げたのだ、といっていたのだけど、自衛隊で聞いてきたらそうはならないといってましたと報告してしまった、わが大学の同級生にして『火垂るの墓』演出助手の須藤典彦はだいぶ叱られたみたいだった。だが、自分にも正直、着発信管のはずのM69がなぜ空中着火するのかよくわからず、そこは『うしろの正面』では曖昧にしてしまった。このへんのことは、あれからだいぶ経って、最近になってようやく「こういうことかな?」という感触を掴みつつある。空中着火はあると思う。
 一方で、米軍戦闘機の機銃掃射の弾着に関しては、『火垂るの墓』はあきらかに表現不足だった。あんな、ぽわ、ぽわ、ぽわ、と小さな土煙の柱が立つような感じではない。直径12.7ミリある金属の棒が音速で突っ込んでくるのだ。以前、近藤喜文さんにそのことをいったら、「ほらあ、こういう人がいたんじゃん」といわれた。どうも、近藤さんたちもわからなくて苦労していたらしかった。
 『うしろの正面』の機銃掃射シーンの担当原画マンは当時まだ新人だったが、クイック・アクション・レコーダーを使いつつ何度もやり直してもらって、高さ3メートルの土煙柱を1コマ作画で並べ立てた。ここくらいは勝ちに行きたかったので、こちらもつい粘り強くなった。
 「いいか? 3メートルだからね! 音速の衝撃だからね!」
 その甲斐あって、迫力ある画面になったと記憶している。

 近藤さんと機銃掃射の話をしたのって、いつだったろうか。そうか『火垂るの墓』の演出助手にも自分の名前が上がっていたのか、とそのときはじめて知った。いや、でも高畑さんの相手は我慢強い須藤でよかったのだと思う。
 でもって実は、『うしろの正面』の後になってもまだジブリから電話がかかってきてしまうのだった。

第50回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(10.09.21)