β運動の岸辺で[片渕須直]

第51回
ただ信じたいだけなのかもしれない、彼女がそこにいるのだと

 2010年10月2日。
 『マイマイ新子と千年の魔法』の野外上映が行われた。この映画が野外で上映されるのは2度目なのだが、今回の会場には特別な意味がある。山口県防府市国衙という土地を舞台にし、千年前そこに広がっていたかもしれない周防国府へ想像の翼を広げる少女たちを描いたこの映画が、まさにその場所、国衙の中心地、政庁があったかもしれない広大な史跡保存地に立てた巨大なスクリーンに映写されたのだった。
 映画の上映スタッフ、音響スタッフの技術はもはやすさまじいといえるほどで、これまでどの映画館でも実現されなかったクリアな画面と音質が実現されていた。専門の録音スタジオで音響作業を行ってきた自分自身、初めて耳に聴こえた細部の音もあったくらいだった。
 映画の中で少女たちが星空の下を駈ける。スクリーンの中の闇は、スクリーンの外の闇にまでつながり、無限に広がっているかに見えた。
 少女たちがそこに住む世界を取り巻く山々の形は、その土地の人以外に名を知られていない山であろうとも、ひとつひとつ山の形を個性と捉えて画面に表現するように心がけていた。その甲斐あったことがトップから2カット目で明らかになった。画面に映し出された多々良山、矢筈ケ岳は、そっくり同じ形をしてスクリーンの背後にそびえていた(映画序盤ではまだ周囲の空は若干の明るさを残していた)。その瞬間、「なんでそんな山の形までこだわるの?」といわれかねなかった、制作当時のスタッフ一同の苦労が満たされたような気がした。
 千名ほどの観客の中には、初めてこの映画をご覧になる方々もあった。客席にいたファンの方からあとでうかがったのだが、スクリーン上に今から55年前の防府の町のあちこちが映るたびに、初見のお年寄りたちが喜びの声を上げていたという。自分の知っている土地の、かつて知っていた時代の姿だ、と。

 その夜、そのあとは遠方からわざわざ訪れて下さったファンの方々を招いての懇親会となった。関東、関西、四国、中国、九州の各地からやってきて下さった観客たちをあだやおろそかにできない。
 席上、参加者を紹介するにつれて、この映画の観客はさまざまに広がっていておもしろいということが明らかになった。色々な方面からこの映画の上に描かれていることに興味もってくださっている。
 中には「アニメや映画にはまったく興味がない」という人までおられる。この方は色鉛筆の蒐集家なのだが、『マイマイ新子と千年の魔法』という映画には昔の色鉛筆が出てくるらしい、という話をインターネット上で読み、それを見るためだけに映画館を訪れ、しまいには、こうして東京から防府までわざわざやってきてくださるまでになってしまった。
 「それにしても、そんなことをちゃんと描いてもそれに惹かれてやってくるお客は自分くらいしかいないだろうに、なんでそんな苦労を?」
 そのほかにも、農業水利の専門家の方が、映画で描かれた水路のことを話された。
 「それにしても、そんなことをちゃんと描いても……(以下同文)」
 みんなが、それぞれの興味から、それぞれの観点から、映画のディテールを捉えている。

 翌日は、「マイマイ新子探検隊」と名づけられた催しに参加した。俗にいう「聖地巡礼」、映画の舞台となった場所を巡るツアー、というか遠足なのだが、引率して説明するのが、不詳監督である自分と、主催者である防府市文化財課の吉瀬勝康課長の役目だった。
 吉瀬さんには、制作当時も文化財課に保存されている写真を見せていただいたし、その後も防府を訪れるたびにご自宅(地元では「忍者屋敷」と呼ばれている凝った家)に泊めていただいて、大変お世話になってしまっている。
 吉瀬さんは文化財郷土資料館の館長も兼ねておられ、何より防府市の歴史を調べ、土地の表面をめくって、地下に埋もれる埋蔵文化財、遺跡を発掘するまでがその仕事だった。ふと、土器のかけらを拾ったとしよう(実際にそういう場所があってしまう)。1センチ×1センチくらいのその小さなかけらを、吉瀬さんは何世紀のどういう用途の土器だったのか見抜いてしまう。そういう人なのだった。
 2人で交互に参加者の前で説明しつつ、ロケ地を順に巡っているうちに、気づくと映画の監督である自分の方が、「千年前ここはどうだった」だとか、この場所の歴史的背景を喋ってしまっていることがあった。そうした意味合いが映画の具体的な表現につながっていたからだったのだが、ふと気づくととなりに専門家が並んで立っておられたことに気づいて気恥ずかしい思いをする。
 「いや、この映画は教科書にしたくらいだから、いいんです」
 吉瀬さんは、どういう意味でか、そういってくださった。
 「発掘してできてくる柱穴からニョキニョキと柱が延びてくるカットがありますが、我々の復元作業というのはまさにそうしたものなのです」
 みんなが、それぞれの興味から、それぞれの観点から、この映画のディテールを捉えている。

 かつて『アリーテ姫』を作ったとき、心理学の教授から「まるでうつ病の治療プログラムをそのまま映画にしたような」といわれてしまったこともある。今また『マイマイ新子』でも、少女たちの関係の最終的に行き着く先をどう描いたかを、また別の心理学の先生に説明して、『いやあ、アニメーション作る人の洞察力ってすごいんですなあ』などといわれてしまったりもした。

 以上、途方もない手前味噌の数々を並べてしまった。
 「みんなが、それぞれの興味から、それぞれの観点から、映画のディテールを捉えてくださっている」
 という話がしたかった。
 ただ映画の内容に正面から相対していると、わからないこと、わかりたいこと、わかっておくべきだと思われることが数々出てくる。そうした様々をできるだけ埋めようとあがいていると、上に書いたような多方面にわたるディテールのリアリティにつながってしまうのだった。あるいは、その結果得られてゆくのは、作中人物の実在性を作り手である自分自身が信じてしまいかねないということだったりする。自分が理想と思える存在が、よりリアルに実在していると信じられるなら、それは実に心強いではないか。

 元々はそんな感じではなかった。法螺を吹くようにエンターテイメントを楽しんでいればいいじゃないか、という考えが主だったはずだ。この職について、最初の10年が過ぎる頃までは。
 その途中でちょっとしたつまずきがあり、自分はそこから回復しなければならなくなった。
 『魔女の宅急便』が完成公開されて半年経たない1989年1月、家でとっていた新聞の1面の下のほうに並んでいる出版広告の中から、1冊の新刊本の広告に目を留めてしまっていた。広告を読むと、その物語の中ではアリーテ姫という名の人物が、降りかかってくるこの世間の世知辛い困難をこともなく全ていなしては、自分自身の道をきちんと全うして生きているようだった。ああ、自分もそういうふうでありたいものだ。そのときはそう思った。
 この先の10年、この人物とつきあってゆくことになる。

第52回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(10.10.04)