第54回 空に重なる花火
どうも話が行ったり来たりしてしまって申し訳ないこと極まりないのだけれど、やはり、虫プロを辞めてすぐに保谷の4℃に机を置いていたような気がしてきた。
記憶が定まらないので、とにかく頭の中身のサルベージをし直してみなければならない。
4℃にははじめの頃は、まだ原付でではなく、所沢からひばりが丘まで電車で通っていたのだった。そういえば、この通勤の電車で読むために、アゴタ・クリストフの『悪童日記』なんかをひばりが丘の本屋で買ったんだったけ。
何より、最初の頃、4℃に「出勤」すると、畳の上で佐藤好春さんが寝ていたことを思い出した。好春さんを起こさないようにそーっと、ではなく、ここは積極的に起こして差し上げなければならないのだった。なぜなら、その当時、好春さんはジブリに通っており、しかし、ジブリではスタッフの出社時間が遅くなってきていることに対し遅刻厳禁命令が出るようになっていたのだった。そんなふうに遅刻を思いっきり嫌う作品とは、宮崎さんのものに違いなく、好春さんはこのとき『紅の豚』に携わっていたのだった。そこまで思い出した。
前にも書いたかもしれないが、最初の頃のスタジオ4℃というのは、田中栄子さんがこの間まで住んでいた普通の平屋の家だった。いずれにしても、好春さんに起きてもらわなくては、自分が自分の動画机の前に座ることができなかった。
奥のほうには黒沢守君の机があって、オモチャでいっぱいになっていたが、好春さんもオマケに入っている大きなソフトビニールの鉄人欲しさに『鉄人28号』のレーザーディスクをボックス買いして、いざ届いてみたら、鉄人28号のハナの部品が欠けていて、なんとも情けない顔をしていた。
「鉄人の鼻が〜」
などとそんな会話を朝の短い時間に交わしつつ、好春さんはジブリに出勤してゆき、自分は自分の絵コンテを始める。そんな日々がしばらく続いていたのだった。
この平屋の普通の民家であるスタジオ4℃では、監督/キャラデザイン・森やすじ、演出/作画監督・佐藤好春で、『おおかみと7ひきのこやぎ』という作品も作っていた。
これは童話や民話を元にした何本かの児童向けのシリーズの1本で、日本アニメーション製作のものを、4℃が下請けして実制作を行っていたのだった。このシリーズのほかの作品では、福島敦子さん、山本二三さん、小林七郎さんたちも演出していて、いかにも田中栄子プロデュースらしい意欲的なシリーズだった。本当は、自分も虫プロ時代に1本やらないかと誘われていたのだったが、どうせならこういうときこそ美術的な作品が見たいし、それなら小林七郎演出なんていうのもありじゃないか、と提案してみたら見事に実現してしまったりもした。
演出の好春さんはジブリで『紅の豚』をやりつつも、本家の4℃のほうでも『おおかみと7ひきのこやぎ』が少しずつ進められていた。同じ家の中で作業されているものだから、森やすじさんの絵コンテをチラチラのぞいてみたり、上がってきていた原画を眺めてみたりもした。『魔女の宅急便』当時は動画マンだった尾崎和孝君の原画なんかもあって、実に楽しそうに描いてあるのが微笑ましかった。森さん自身は日本アニメーションにいて、4℃に来られることはなかった。
自分が新人の面倒を見るため再びジブリに通うようになったのは、それより後のことで、好春さんがジブリを引き上げるのとほとんど交代するような感じだったはずだ。
その頃にはもう、この家の台所、すなわち制作部で、田中栄子さんから、『アリーテ姫』の企画をもらっていたのだった。近い将来手がけることになるだろう『アリーテ姫』を心に抱いた状態で、ジブリに出稼ぎに行っていたことになる。
そうして、8月の暑い日に開かれたジブリの新社屋竣工パーティで森さんの姿をようやく見ることができたのだが、9月に入って、今度は訃報を耳にすることになる。
アニドウのなみきたかしさんからは、「森さんのお通夜を手伝って」という電話があった。
手伝って、っていっても……。
「いや、お焼香の人を写真に記録する係でいいからさ」
お寺は自分の家から比較的近いところだったので、それが一番早いか、と思って原付で出かけた。前回の原付の話は、実はここに続くのだった。
すると、大塚康生さんも喪服で原付を飛ばしてきておられた。高畑さんもいて、宮崎さんもいて、小田部さんや、奥山さんや、ひこねのりおさんほか東映長編以来のベテランの方々の顔があった。
自分など何するほどのこともできず、ただ、自分自身の人生最初の記憶が『わんぱく王子の大蛇退治』にまつわるものだったがために、それが今こうして働いている職業にまでつながっているというだけの縁で、森さんのお棺を拝んだ。
「パクさんはどこいったの? もうかえっちゃったの?」
と、いなくなった高畑さんの姿を求める声がした。
「明日読む弔辞の原稿書きに帰った」と、大塚さんが答えた。
すると、ベテランたちは口を揃えた。
「ああ、パクさんは詩人だから」
「そうよね。パクさんは詩人だから」
「じゃあ、ちょっと」と、また大塚さんがいった。「パクさんちに行って、冷やかしてくるかな」
「邪魔しちゃ駄目よ」
「邪魔しにいくんだよ。どうせ、パクさんは徹夜で呻吟するんだからさ」
さっきまで「森さんまで亡くなったら次は自分の番だから」といっていた大塚さんが、原付の爆音を撒き散らして走り去っていった。
表へ出ると、お寺の背後で西武園の花火が上がっていた。
いくつも重なる大輪の花火。
まるで、漫画映画のような。
夏の終わりの花火。
後日少し親しくなってから、ご長男の森淳さんにそのときの花火のことを話したら、ああ、それはよかったです、自分は忙しさに紛れて見られなかった、とあたたかい眼をしておられた。
淳さんは実写の映画監督で、しかもイギリス映画の監督として活躍しておられ、自分が携わった『この星の上に』の英語字幕を作っていただくことになる。
第55回へつづく
●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
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(10.11.01)