β運動の岸辺で[片渕須直]

第57回 拉致

 実際には、『アリーテ姫』は1993年時点で企画書に載せるくらいのラフなストーリは書いたが、企画が成立するためにはまだまだ色々なプロデュース的段階を踏まなくてはならず、それがなされるまではこちらとして自活している必要があった。当面は、スタジオ4℃から日本アニメーションに行った佐藤好春さんや井上鋭ちゃんたちの仕事である、『若草物語 ナンとジョー先生』の絵コンテを切って暮らすことにしていた。
 この頃はさすがにそろそろ絵コンテも切りなれてきた時期だったので、『ナンとジョー先生』では、「ちょっとフレキシブルな自分」というのを演じてみたくなってしまって、色々なスタイルの絵コンテを切ってみようなどと自分的目標を掲げてみたりしてしまった。その上でスピードもついてきていて、ほぼ1本あたり5日あれば切り終える自信もついていた。
 こと絵コンテに関しては、手早く上げたからといって必ずしも「やっつけ仕事」ということにはならず、短期間でまとめた分だけ首尾一貫した構成が実現できることがあるように思う。その反対に、TVシリーズの1本に3週間もかけてしまうともう駄目で、自分で流れがわからなくなって、混乱してしまう。
 仕事を早く上げれば制作も悪い顔をしないもので、どんどん次の仕事をもらえてしまう。結局この作品では全40本中12本まで手がけてしまうことになった。
 自分の絵コンテの1本をアニメージュに取り上げてもらったりしたのも、この仕事の思い出のひとつだ。

 この1993年の夏頃だったと思うのだが、ふだんいる三鷹のスタジオ4℃分室から、何気なくふらっと吉祥寺の4℃本隊の方に出かけた。たぶん、何かの相談をプロデューサーの田中栄子さんに持ちかけるつもりだったのだと思うのだが、そこで栄子さんの「別件」に捕まってしまった。
 吉祥寺のスタジオでは、大友克洋さん総指揮のオムニバス映画『MEMORIES』の第1話が制作中で、引き続き着手される第3話の準備も行われていた。ちなみにいうと、第2話はマッドハウスが作っていた。
 「片渕さん、たいほうの資料、持ってない?」
 と、栄子さんはいう。栄子さんの話はいつも唐突だ。慎重に話そうとするあまり、前提をどう話し出そうかと考えて、かえって突然話題が飛び出してきてしまうのだ。
 「たいほう……って、『大砲』? それはまあ、ちょっとくらいは」
 「大友さんが作ろうとしてるのが『大砲の街』っていうんだけどね、なんだか大砲の資料が必要そうなの」
 「ああ、うちにあるのから持ってくればいいのね」
 だもので、また数日後、大砲の本を適当に見繕って持ってゆく。と、また栄子さんがこういう。
 「大友さんは、カメラが奥行きのある廊下をどんどん進んでゆくようなカメラワークのカットを作ろうとしている。興味ある?」
 「ウォルフガング・ペーターゼンの『Uボート』で、カメラが潜水艦の艦内をワンカットで駆け抜けていくみたいな? あの映画のああいうカットはアニメーションじゃ作れないカットだと思うし、だからこそ自分的『目標』だし」
 「そう。それはよかった」
 「は? よかった?」
 「大友さんは、全編ワンカットで作ろうとしてる。しかも、その途中途中で、カメラが廊下をどんどん奥に進んでゆくようなカメラワークをつけながら」
 「え、え、え。ちょっと待って。それって、奥行き移動の1カット作るだけでも大変なのに、それを全編ワンカットの中に挟みこむの? どうやって?」
 「それがわからない。誰にもわからない。でも、片渕さんはそれが大変だって今聞いただけですぐわかったわけだし、元々興味を持ってたわけだし。適任者なわけだ。で、今、これからロケハンなんだけど」
 「は?」
 「羽田の全日空の整備格納庫へ。とりあえずロケハンだけでも行こうよ」
 とりあえず、という言葉は常に、別世界へ連れて行かれる罠だ。

 「大友さんの絵コンテはこれ」
 と、冒頭部分ができてるのを見せられる。
 なるほど。これは蠱惑的なコンテだ。
 「で、いちばんデカい大砲が入ってるドーム。それに匹敵する広さの空間を大友さんがみたい、っていうのね」
 「それが羽田の整備格納庫?」
 「で、今日、全日空と約束が取れてる。これから大友さんと作監の小原さんが来たら出発するから、ねえ、片渕さんもいっしょに行こう。めったに見れないよ、格納庫の中」
 「いいんですけど、僕、その、今日ちょっと本持って立ち寄るだけのつもりで来たから、足元、ゴム草履なんですけど」
 「いいんじゃない」

 やって来た大友さんと小原秀一さんとの挨拶もそこそこに、一同を乗せた4℃の車は、一路大田区を目指して行く。

第58回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
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(10.11.22)