β運動の岸辺で[片渕須直]

第63回 ベトナム便り

 これを書いているのは、現地時間で2011年1月13日夜。
 「現地時間」というのは、ここが日本ではなく、ベトナムだからだ。

 日本の文化庁主催の「平成22年度アジアにおける日本映画特集上映事業」のうちの「発見! 日本アニメーションの魅力」のためにハノイに来ている。
 この「平成22年度アジアにおける日本映画特集上映事業」では、昨年秋に「日本アニメーションの潮流」という上映特集を韓国ソウルで行っている。ソウルでのときは、韓国では日本製アニメーションが比較的多く上映公開されているお国柄ゆえ(『マイマイ新子と千年の魔法』もちゃんと劇場公開が行われていた)、あまり新作長編にこだわらず、日本のアニメーションを歴史的な体系として提示する試みが行われたとのことで、手塚治虫の作品集から、高畑勲『太陽の王子 ホルスの大冒険』、りんたろう『銀河鉄道999』、宮崎駿『ルパン三世 カリオストロの城』、押井守『機動警察パトレイバー THE MOVIE』、大友克洋ほか『MEMORIES』などの定番的ラインナップに始まり、久里洋二、古川タク、山村浩二、加藤久仁生、それからもっと若いアート・アニメーション作家たちの短編作品など、ひじょうにバラエティに富んだ上映が行われたのだと聞いた。
 一方で、今回のハノイでの日本製アニメーション紹介上映では、デジタル上映は技術的に避けたほうがよい、ということになったらしく、結果的に、比較的新作に近い劇場用長編だけで構成されることになった(と、聞いた)。
 すなわち、『Colorful』『マイマイ新子と千年の魔法』『昆虫物語みつばちハッチ 〜勇気のメロディ〜』『千と千尋の神隠し』『千年女優』『MINDGAME』『サマーウォーズ』『REDLINE』の8本が、1月12日から16日にかけて上映される。そのうちの数本の監督を現地に呼んで、紹介も行う。『Colorful』の原恵一さん、『みつばちハッチ』のアミノテツローさん。
 でもって、片渕も現地で『マイマイ新子』のイントロダクションを行え、というお話をいただいてしまい、ベトナム旅行となった次第。『千年女優』監督の今さんは昨年亡くなってしまったので、マッドハウスの丸山正雄プロデューサーがそれを行う。

 成田を発ったのは、昨日1月12日の朝なのだが、実は、11日夜は自分が監督する『BLACK LAGOON』第28話のV編、つまりすべての作業を終えて完成に持ち込むためのオンライン編集の当日だった。で、そのさらに前日10日にはラッシュ・チェックを盛んに行っていなければならなかったのだが、なぜか9日以来ときならぬ腹痛に見舞われてしまい、あとは細かいリテイクが直っているかの確認作業だけになっていたので、思い切って家に帰って布団で寝かせてもらっていたりもした。なんというか冬の寒さにとても弱い人間なので、年に1回くらい、寒波の襲来を受けて腹を壊したりしてしまう。
 「ハライタイ」「ハライタイ」とTwitterでつぶやき続けていたら、そのうち、丸山さんから、「本当に調子悪いんなら、無理するに及ばず。ベトナム行きはやめるか?」という連絡を受けてしまった。別にサボっているわけではない。本当に調子は悪かった。なのだが無常、物事はいつまでもその姿を保ち続けるわけでなく、いつかは腹痛も治る。11日には、まあ別段仕事に差し支えないくらいにはなっていたので、明日はもっと明るいだろうと踏み、「行きます。大丈夫です」と楽観的に返事しておいた。まあ、今に至るも重大事態となっておらず、本人はかなり元気なので、本当に大丈夫だったのだろう。何より、日本にそのままいても、『BLACK LAGOON』第29話のレイアウト・チェックに忙殺されてキツいだけで、休めるわけではなかったのだし。

 成田からハノイまでの飛行距離2310マイル。テイクオフ12日11時35分。ノイバイ空港ランウェイへのタッチダウン16時10分。時差2時間だから、まあだいたい6時間弱。こういうときに、どうしてか「窓側」と座席の注文をつけてしまうのである。どうしてもトイレに行きたくなったときそれでは不便だろう、などと自分の体調を考えないから愚かなのだ。
 飛行中は特にこともなし。ノイバイに到着して、外へ出たところで、待ち受けていたイベント・スタッフ、同じ飛行機に乗り合わせながら顔を合わせないままここまで来た原さん、アミノさん、アミノさんのお嬢さん、それに主催者である文化庁文化部芸術文化課の課長さん以下4名と合流する。と、芸大の岡本美津子教授の顔が突然出現した。昨年の東京国際映画祭(TIFF)で、『マイマイ新子』のロケハン術についてのシンポジウムを行っていただいたとき、司会をしていただいてお世話になった方だ。
 「あれ? 岡本さんも、ですか?」
 「実はわたし、今回のキュレーターを勤めさせていただいてまして」
 ということは、上映作品の選定に『マイマイ新子』も加えていただいた「張本人」ということになる。お礼を述べる。
 「いえ、ソウルのとき短編アートアニメを選ぶのに働かせてもらったんですが、今回は順当なだけだったので」

 迎えの車2台。1台のワンボックス車にスーツケースなど荷物だけを詰め込み、人間は残るもう1台のマイクロバスに乗って出発する。ハノイ市内の目的地まで、おおよそ1時間半くらい。
 片渕と丸山さんにとってベトナムは2回目ということになる。このふたりは、2005年1月に『BLACK LAGOON』のロケハンで、ホーチミン市(サイゴン)とハノイを訪れている。『BLACK LAGOON』の舞台は本当はタイなので、その前年の12月にタイにロケハンに行くはずだったのだが、丸さんの予定が忙しくなり、1月に延期になった。ところが、2004年12月26日にスマトラ沖大地震が発生し、タイの沿岸部、プーケットなどは大津波に呑まれて死屍累々の惨状となってしまった。
 「ほんとうはね、26日にはまさにそのプーケットにいたはずだったんだよ、前の予定では」
 などという経緯があり、結局2005年1月のロケハンは、復興途上のタイには踏み入れずに終わっている。主に見たのは、ベトナムだった。『BLACK LAGOON』の舞台はタイ領内にあってフランス植民地の遺風を残す地域という設定だったので、取材自体はそれでも事足りた。
 今回は、以来6年目に再び訪れたベトナム、ということになる。
 車の窓から見える宵闇迫る道路は、2人乗り、3人乗りのバイクで埋め尽くされ、けたたましく警笛が鳴り響き続けている。文化庁の皆さんは目を丸くしていたが、こちらにとっては、勝手知ったる、という感じ。先乗りして我々を待ち受けていた、この催しの実行部隊ジャパン・イメージ・カウンシル(JAPIC)の相原さんは、時計と睨めっこして、
 「ちょっと押し気味です」
 と、気がせいた顔をしていた。道路が混みすぎていて、予想以上に車が進まないのである。相原さんは時々携帯電話に向かって、現在位置を報告したりしていた。開幕式の開始時間が迫っているので、遅れるとまずいのだ。
 と、マイクロバスが道路端に寄せられ、停車した。
 「ええーっ、パンクした?」
 一同、歩道に降りてみると、右前輪が見事なまでにぺちゃんこになっていた。

 もう1台、荷物専用の車があったのは、この際僥倖だった。これに全員10数名が詰め込まれた。ギュウギュウに詰めて、なお1人分くらい座席が足らなかったが、やむを得ない。
 ベトナムでは日本のアニメーションといえば、ジブリ作品が上映されているくらい。その他の劇場用アニメーションほぼ紹介されていない状況なので、当初は、ベトナム人の観客はほとんど来ず、在留邦人が祖国の空気を嗅ぎたくてやってくるくらいになってしまうかも、などという悲観的な予想もされていたのだが、蓋を開けてみれば、予約受付開始からわずか2日で全日分が満席札止めとなってしまった、という。ちなみに、日本国政府がお金を出して行う事業なので、入場は無料、ただ、予約だけが必要ということになっていた。
 ナショナル・シネマセンターが見えてきた。国立のシネコンである。この国は社会主義国なので、民営のものは存在せず、シネコンといえどもすべて国営ということになる。映画館の表には、「トロン・レガシー」などの上映中の映画と並んで、8本の日本製アニメーション映画の画像が掲示されていた。
 「ハリウッド映画も上映されてますが、この国の常識は、外国映画は『弁士』を使う、ということです」
 字幕なし、ベトナム語の吹き替えなし。ただ1人の弁士が、すべての台詞を1人で喋る、というシステムになっているのだという。
 「そ、それは」
 「さすがにそれではなんなので、今回の上映作品は全部ベトナム語字幕をつけてもらうことにしました」
 そのほかにも、この国的な映画の常識というものがあり、まあこれはありがちな話だが、エンディングクレジットが始まると劇場内に電灯がともり、観客はさっさと立って帰り始めてしまう。
 事実、このあと1本目の上映となった『Colorful』がエンディングクレジットに差し掛かったとき、劇場内に電灯がともり始め、観客はざわざわぞろぞろと立ち始めてしまった。と、また電灯が消えて暗くなった。
 「今回だけはエンディング・クレジットになっても電気つけないでね、と頼んであったのに、ついいつもの習慣でつけちゃったのね」
 うーん、エンディングのクレジットバックが黒味でなくて、映像表現がある『マイマイ新子』ではどうなってしまうのだろうか。

第64回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(11.01.17)