β運動の岸辺で[片渕須直]

第64回 遠い国・近い国

 ベトナムにハリウッド映画は入っているのだろうか?
 と、考えるまでもなく、今回の会場である国立映画センター(といいつつ、実は普通のシネコン)の前に「トロン:レガシー」の看板が出ていた。という話までは前回にした。
 「ハリウッド映画といってもあまり興行料金の高いものは入ってきません」
 でもって、そうした外国映画は「弁士」つきで上映されるのだ、という話も前回した。
 実は、前回原稿を日本に送ったあと、ベトナム滞在最終日となる1月14日、国立映画センターの喫茶コーナーで文化庁の佐伯調査官たちとベトナムコーヒーをすすっていたら、「今やってますよ」と耳打ちされた。
 「え?」
 「例の弁士です」
 「あっ。それは観たい聴きたい!」
 日中は日本のアニメーションが上映されていた客席にそーっと入ってみると、アメリカ映画がかかっていた。前に聞いた話とちょっと違ってたのは、ちゃんとベトナム語の字幕が出ていたことだ。振り返ってみると映写機のとなりに窓があって、その中のブースにマイクと人影が見えた。「弁士」は女性で、まるでアナウンサーのように、抑揚も感情も交えず、淡々と字幕を読んでゆく。弁士の声がよく聞こえるように、原語の音声はボリュームが下げられていた。ということは、効果音も音楽も全部絞られてしまっていることになる。
 そこそこに客席を離れ、外へ出ると、
 「うーん、あれは……」
 「あれはどうかと思いますねえ」
 と、日本人たちは首をかしげた。
 だけど、こちらの人にとってはまったく当たり前な光景なのだ。映画の映し方ひとつにも「文化」は存在する。

 その1日前、13日には『マイマイ新子と千年の魔法』の上映があった。
 上映前に監督の挨拶、上映後に観客とのQ&Aを行う、というスケジュール。
 前夜の『Colorful』で、エンディングが始まると同時に観客たちが一斉に席を立ち始めたのを見ていただけに、上映後のQ&Aなんて成立するのだろうか、という不安があった。横で司会を務めてくださる佐伯さんも不安そうで、
 「もし、お客がいなくなってたら、僕が質問しますから」
 と、いってくださっている。あまつさえ、『マイマイ新子』はクレジットバックにも画があって、表現が続いている映画なのだ。まあ、フランスで子ども相手に上映した経験もあったので、ここは、上映前の舞台挨拶でこんなふうにいってみることにする。
 「この映画は、違う文化の国から来た映画です。今日は、ベトナムとは違うよその国の文化そのものを楽しんでください」
 でもって、エンディングにも表現があることも「世界にはそういう映画作りもあるのだから」と、しれっといってみる。
 今回の日本アニメーションの紹介上映では弁士は使われない。ベトナム語字幕だけなのだが、上映中は驚くほど細かいところに観客席からリアクションの声が上がる。「そんなふうに思ってしまうのは思春期だからかな?」などという新子のトンチンカンな台詞の、「思春期」という微妙なニュアンスの言葉に笑いが起こるのだ。だったら字幕だけで全然大丈夫、観客に伝わるということじゃないか。
 ベトナムの人は、とにかく映画を観てよく笑う。細かい仕掛けどころのひとつひとつに、きちんと引っかかってくれる。せっかく映画を観にきているのだから、笑わなければ損だ、というように。この辺は、むしろ日本人のほうが世界的に見ても特異な部類に入るのかもしれない。スイス・ロカルノでもフランスでも、観客はよく笑っていた。ただ、ベトナムの笑い声はやや控えめで、しかし、実に細かい要所要所を全てに漏れなく笑うのだった。
 上映後、エンディングに差しかかると、案の定わらわらと席を立って出てゆく人がひっきりなしになる。「文化」ということでは、こちらの予想は上回られていた。上映開始後だいぶ経ってからもどんどんお客が入ってきていたことだ。
 「まあ、昔の日本の映画館もそうだったけどねえ」
 「同時併映何本がけの時代ですよね。懐かしいなあ」
 などと、あとで食事時に話したものだったが、それはともかく、このあとから入ってきた観客たちは、「また上映後にQ&Aでお目にかかりましょう」というせっかくの監督舞台挨拶を聞いていなかったのだ。ずいぶん出ていかれちゃったなあ、と思いつつ、フィルムが終わり場内が明るくなって振り向くと、驚くなかれ、たくさんのお客さんが客席に残っていてくださった。個人的にはちょっと感動ものだった。だって、上映開始前よりもはるかに多くの席が埋まっていたんだもの。上映中は本当に満席に達していたに違いない。
 Q&Aも予想に反して順調で、はにかんで手など上がらないのではないかと思われていたところが、たしかに少し躊躇する間はあったけれど、ちゃんと手は上がり、女子学生と思われるお二方から質問をいただいた。気がつくと、客席のほとんどはうら若き女子学生で占められているようだった。
 「高校が休みの期間なので、女子高校生たちなのだと思います」
 なるほど。
 「監督、あの、このあと、外でサインなど受けていただけますか?」
 まあ、5人くらいも来ればいいか、と思ってOKを出したところ、この大勢の女子高校生たちに殺到される渦になってしまった。少なくとも『マイマイ新子と千年の魔法』のイベントで、こんなにも若い女性の大群に囲まれたことは、これまでにはなかった。
 「ベトナムでは、男子学生は勉強できなくて、女子のほうが好奇心旺盛なんですよね」
 あ。そこは日本と同じなんだ。

 14日には『千年女優』の上映があり、今 敏監督に代わってやってきた丸山正雄プロデューサーが同じく舞台挨拶とQ&Aを行った。映画の夢とともに生き、この世を離れてゆく人の物語であるこの映画を今さんとともに作り上げ、その今さんをこの夏に失ってしまったばかりの丸さんは、上映後、涙が止まらなくなって、本気で泣き出してしまっていた。泣き顔のまま立ったQ&Aだったが、客席にから質問に立った人たちも当地においてかなりの今さんファンであるらしく、質問そのものよりも自分自身の想いを述べたいという気持ちが見えた。

 このあと、このあと声優の斎賀みつきさんのトークショー&ライブなども行われたのだが、この客席も女子高校生でいっぱいで、わざわざ南部のホーチミン市から来たという熱心なファンもいて盛況となった。
 「日本のアーチストは誰を知ってますかあ?」
 というステージからの問いかけに対しては、観客席では「GACKT」「GACKT!」の声が渦巻いた。
 ああ、「クール・ジャパン」なんだ。
 そうか、「クール・ジャパン」だと思って、ベトナムの女子高生は、日本から来たオジサンたちを眺めに来てたのか。それはどうも申し訳ありませんでした。

 それにしても、と思うのは、ベトナムの人たちは普段、日本のアニメーションにどんな風に接しているのだろう、どこで日本のアニメションのことを見知っているのか、ということだった。基本的には、日本のアニメーションが大々的に移入されている状況はないのだ。
 現地在住の日本人、それからベトナムの人にもこの質問をぶつけてみたのだが、何か漠然としていた。
 「ジブリ作品は正規に入ってきて上映が行われています」
 「『ドラえもん』は、たまたま入ったハノイの店のTVで流れてました」
 「こっちのTVはケーブルなので、となり同士でも全然違うものを見ているからよくわからなくて」
 「ケーブルに日本のアニメーションの番組があって」
 「日本にいる友人にDVDを買って送ってもらってます」
 「インターネットかなあ」
 そもそもアンテナはマルチに存在しているらしかった。
 はじめは「違う文化」に見えていたものが、このあたりにきて、世界は一色に染められつつあるな、という感触に変わっていった。

 時代、ということでは、今回われわれが泊まったホテルの真向かいが、アメリカ大使館だったことにも感じてしまった。
 日本のアニメーションを紹介するというこの催しは、来年度以降もアジアのどこかの都市を舞台に行われてゆくことになるらしい。

第65回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(11.01.24)