第69回 いざというとき使う魔法
長々と「大砲の街」の話をしているあいだに色んなことがありすぎてしまい、自分でも脈絡だとか辻つまだとか、よくわからなくなってきてしまった。それでなくとも、今や世間のうしろ側では、最近の故人について「片山さんのこんな昔の写真があった」なんていうものが回覧されていて、一緒に写っている自分たちのあまりにも若すぎる姿にクラクラしているところなのだ。過ぎた日々の話にあまり頭が回らない。
強引に思い出してみる。
そうだ。まず、「大砲の街」の作画監督は小原さんがやるとして、美術監督をどうするか、ということになったのだった。それは結局、大友さんが自分で務めることになった。小原さんが自分のキャラクターデザインで描いてゆくにしても、どこかで大友カラーが入り込んでくるべきだろう、と思っていたら、大友さんはまさしく余人には使いこなすのが難しい鮮明な赤色とその補色・緑色のカラー世界に染め上げてしまったのだった。
そのほかの美術スタッフとして、石川山子、勝井和子、伊奈淳子、渡辺勉のみなさんが社内に入って大友さんの近くに机を置くことになり、「大友克洋以下の美術スタッフと小原・片渕という一団」という様相になった。「彼女の想いで」特効の玉井節子さんも同じあたりにいて、にぎやかになっていった。
なにしろカメラワークの複雑な作品なので、1枚あたりの背景が大きい。ふつうのパネルに画用紙を貼っても全然面積が足りず、ベニヤ板をパネルに大きな画用紙を水貼りして、背景を描いていた。「背景」といっても、次々と重なっては置き換えてゆく必要があるので、ほとんどがBOOKの扱いであり、となれば普通の画白紙なんかを使うと分厚すぎて、撮影台の上で照明を当てたときに段差が生じて影ができるおそれがあり、薄い画用紙を買ってきてもらってそれを使っていた。最終的に描かれたものから余白を切り取るまでが大友さんの仕事。それを両面テープで空セルに貼るのから先がこちらの仕事となった。
パネルに水貼りするのは、ピンと張って皺をなくすためなのだが、この薄くて大きな画用紙はパネル張りのテープをはがして張力が失せると、とたんに少し縮んだ。撮影用の移動目盛を作るのはこちらの仕事だったが、それは背景に描く前の原図の段階で作っていたのだが、切り出した背景のサイズが変わったとなると目盛もまた作り直しとなった。全編にわたってカメラの移動があるので、目盛もほとんど全編分作らなければならないのだが、それを原図の段階と、背景完成の段階で2回作らなければならないのだった。
「目盛ぃーず」
などと自嘲した。
撮影用の目盛は、折れ皺なんかでもうそれ以上伸び縮みしてしまったりしないように、長い巻きセルに書いて作った。撮影に回される各カットには、そんなセルの巻物みたいなものが何本かついていった。
撮影は、『魔女の宅急便』のときと同じスタジオぎゃろっぷにお願いしたが、『魔女の宅急便』撮影監督の杉村重郎さんはプロデューサーに立場が変わって現場を離れてしまっていたため、新鋭の枝光弘明さんが撮影監督となった。
今回の枝光さんの仕事は、まず先に目盛を撮影台上にセッティングし、これに沿って一度カメラを動かして、1コマずつの座標を三次元的に記録していくことからはじまる。というのは要するに、撮影台のX軸、Y軸、Z軸その他のカウンターの数字を全コマ分まず記録してしまう、ということだ。ついで、今度は本番用の素材に置き換えて同じカウンターの数字になるようにカメラを操作して撮影してゆけばよい。ただし、普通の作品だったら目盛といっても、せいぜい100くらいの数字がならぶだけだが、今回は長回しなので、うっかりすると1000を越える数字になってしまう。1000コマ分の座標を三次元分記録して、もう一度なぞらなければならないのだから、想像するだにたいへんな仕事だったはずだ。
長回しということにはもうひとつ難関があり、それは撮影用のライトだった。撮影中にライトが切れでもすれば、いくら電球を交換してもそこで色みが変わってしまう。と同時に、ワンカット撮り切るまではライトを落すこともできなかった。ダイヤルをひねってライトへの電流を絞って落してしまうと、次に再点灯する際、厳密に同じ電流量に戻らず、必ず若干の誤差が生じてしまう。これを許すと長回しのカットの真ん中でフィルムの色みが変わってしまうことになる。
ならばどうするかというと、つまり、一日の終わりには電球をつけっぱなしにして帰宅し、翌日またその状態から作業を再開するのだった。
ただでさえ薄い紙に描かれた背景は、ライトを照射されっぱなしにされて、乾燥してまたサイズが縮んでいった。すると、せっかく記録した目盛とどんどんあわなくなっていってしまうのだった。
「どうするんですか?」
と、枝光さんに聞くと、
「そこは勘で」
と、答えが戻った。
一度、
「撮影中に致命的に誤差が生じ始めて、カメラがうまく目的地に向かわなくなっている」
と、悲鳴に似た電話がかかってきた。
「相談したいんですが」
「とにかく向かいます!」
と返事したものの、菓子折りを持ってゆくべきか、それとも一升瓶でも担いでゆくべきかと真剣に悩んだ。なにせ枝光さんたちが毎日を相当なストレスの中で闘っていることは知っていたので。
しばらくすると、また枝光さんから電話がかかってきて、
「工夫してなんとかしました」
もう来てもらわなくていい、と。
何をどう工夫したのかは、
「それはまあ、ええーっと」
ということだった。ラッシュで見ても何の異変も生じていなかった。
撮影の人はこういう魔術を使う。大事にしなければならない人たちだ。
第70回へつづく
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(11.02.28)