β運動の岸辺で[片渕須直]

第89回 往きて還りし物語

 幼稚園児だった頃に犬に膝小僧を咬まれたことがあって、以来ちょっと犬が苦手だった。このときは大きな秋田犬で、名前を「クマ」といった。大きくなって(?)アニメーション映画を作るようになった時、同じ名前の秋田犬を作中に登場させて、主人公にひっくり返させては意趣晴らししたりしてしまうのだった。
 けれど、どうも物心つく前に子犬をもらったことがあったらしい。幼い自分はたいそう喜んだらしいのだが、まったく覚えていない。たぶん、1歳くらいだったのではないか。ところがこの子犬が、飼い始めていきなり、誰かに盗まれてしまった。この話は親や親戚の思い出語りを聞いて知っているだけだ。彼らの言葉の中では、世にもかわいらしい子犬だったらしい。
 しかし、せっかくの子犬がいなくなってぎゃあぎゃあ泣き喚いてしまったのだろう。かわりに犬のぬいぐるみを買ってもらったらしい。それも大小ふたつ。このぬいぐるみのことははっきり覚えている。小学生になってもまだ家にあった。古びてとうとう耳が取れてしまったときに悲しかったことも覚えている。中につまっていた藁や針金がはみ出してきて、奇妙な感じがしたことも。それまで自分がずっと人格というか、キャラクター性を感じてきたものが、急にただの物体に戻ってしまった空疎感。

 それから十姉妹を飼うようになり、セキセイインコを飼うようになりして時が過ぎ、やがて大人になって犬を飼うようになったのはここ数年のことだ。
 『名犬ラッシー』の当時はもっぱら猫を飼っていた。あの頃飼っていた赤猫は、もともとは長男が拾ってきた子猫だったのだが、大きく育って面魂もふてぶてしくも雄々しい雄猫になっていた。
 で、ここに子どもたちがまたしても子猫を拾ってきた。こちらはまた、いつも鼻ちょうちん膨らませてる間抜けな顔の子猫だった。蚤もいっぱいたかっていて、風呂に漬けたら、わあーっと逃げ上がってきた蚤が水面上に出てる顔に集まってたいへんなことになった。それこそ、『どうぶつ宝島』か『名探偵ホームズ 海底の財宝の巻』で船が沈むところみたいになってしまって、蚤も子猫もともに哀れ、という惨状だった。
 この子猫が、たまたま横になっていた先輩雄猫の腹を枕に寝てしまったことがあった。見るもふてぶてしい先輩雄猫はどうするだろう、と思って眺めていたのだが、子猫が寝ている間じっと我慢してそのポーズを維持していた。ときどきこちらと目が会うと、「俺は困ってるのだが」という表情を寄越すのだったが、その我慢強さは賞賛に値すると思った。自分の中のこいつの格づけはさらに向上してしまうのだった。
 このことを、『名犬ラッシー』の2話を締めくくろうとしているときにふと思い出してしまったのだった。ちっちゃな子犬のラッシーがどこかにいなくなってしまい、捜してみたらサンディの家の大きなオールド・イングリッシュ・シープドッグの腹を枕に寝ている。先輩シープドッグのほうはじっと我慢してくれている。
 ちなみに、あのオールド・イングリッシュ・シープドッグは、幼稚園児だったころに訪れた大磯の伯父の家に飼われていた犬を思い出して登場させたのだった。モクという名前で、一度しか会わなかったのにずいぶん記憶に残っていた。あとで、車にはねられて死んだ、と聞かされた。

 さて、子猫に枕にされてしまった面構えの雄猫は、ここはもはや自分がいつまでも愚図愚図しているべき場所ではない、といかにも雄猫らしく悟ってしまったようだった。旅に出てしまったのだった。さすがに自分は内田百饟の『ノラや』みたいなことにはならないのだが、かなり寂しかった。
 ところが、この雄猫はそののちずいぶん経ってから帰ってきた。1年以上経っていたのではないかと思う。唐突に猫用の出入り口から入ってくると、全身ぼろぼろになった体をごろんと横たえた。毛並みだけでなく、皮膚病にかかっているのか、あちこち肌が擦り切れて血だらけで、痛痒そうで、見るからに痛々しかった。そもそもこいつを拾ってきた張本人である長男は、しかし、この猫を自分の布団に入れて一緒に眠った。
 この猫がどれほどの冒険を積んできたのか、だれにもわからない。けれど、以前そうあったように、今は日常に戻って安らいでいる。その安らぎは何にもまして得がたい。
 雄猫の帰還が『名犬ラッシー』より前だったのかどうだったのか、よく思い出せない。しかし、この作品のラストで描きたいイメージはここにあったのだと思う。

 往きて還りし物語。出発点も帰着するのも「日常」。

第90回へつづく

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(11.07.25)