第97回 まずは、とにかく一歩前に出てみたところ
原作「アリーテ姫の冒険」は1990年5月に刊行されている。新刊のとき新聞に載った広告を目に留めたのが自分のファーストインプレッションだったのだから、この時点ではそれからすでに7年ほど経ってしまっていたことになる。
男女共同参画的な観点で意味を持つこの本は、刊行から最初の数年は新聞で取り上げられることもあったが、さすがにそうした話題も途絶えていた。俗な話だが、一言でいうと、この書物を原作にとって映画化する意味は、マーケッティング的にはひじょうに薄い、ということになる。
この本をネタに一般興行用の映画を作るのはおそらく「業界的非常識」というにほかならない。
そもそも数年前この企画をスタジオ4℃に持ち込んだ人たちとも、その後何度にもわたって話をしていた。
原作「アリーテ姫の冒険」とは、本来あるべき両性が参画する社会をもたらすために必要となる基本的なものを子どもたちに伝えるべく、社会教育的な意味をもって、教育書の出版社から出された本だったわけで、そうした意味合いを映像でもっても行うためにアニメーション化をはかりたい、というそれはわかる。そうした副教材的な映像なら安価に作れる道もあるだろうし、ビデオパッケージとして作って全国の図書館に引き取ってもらうなどすれば、元はとれるのかもしれない。そうしたものならば、個人的には人形アニメーションで作るのがよさそうにも感じていた。
相手が子どもであれ誰であれ、何かを感じ取って考えてもらうことが目的なのだとしたら、むしろ映像は多くを語りすぎない方がよいように思う。その目的のためには、ホワイトスペースというか、そういうものがたっぷりある映像を作るべきなのだと思う。登場人物の表情ひとつとってもそうで、立体造形された人形は顔の造作があまりフレキシブルでないのが、この場合逆に魅力的だ、と思ったりもした。
けれど、ここへきて『アリーテ姫』を作らねばならない気持ちが自分の中に渦巻いてしまっていたのは、ちょっと違っていた。最初に新刊広告としてこのタイトルにであったときには、難しすぎてゴチャゴチャして棘のように、壁のように立ち塞がる「世間」というものを、いともかんたんにヒラリヒラリかわしつつ、自分が目的とするところにたどり着けてしまう、そんな主人公の到来を予感させられたのだった。
そして、作品作りの上で何度にも渡る挫折を経験してきた自分としては、今ここでそんな主人公の登場する作品で、自分自身が活性化されたかった。
しかし、ふと思えば、何をもってか自分自身を活性化できるのなら、大なり小なり世の中と渡り合う厳しさに直面している人はたくさんいるはずであるし、そうした人たちに対しても働きかけられる映画になれるのかもしれず、ならば世に問う意味も生じてくるというものだろう。
もうちょっというと、映画を観ている間だけ世の中の憂さを忘れて気楽になれる、という類のものにはしたくなかった。せつな的な憂さ晴らしではなく、映画を観ることで活力源みたいなものを観た人が自分の中に据えることができるようであってほしい。無謀にもそんなふうに思ってしまった。そうした本質の部分に迫ってゆけるのなら、このものづくりには意味がある、そう思ったのだった。
この時点で自分もたぶん平均寿命の半分近くを生きたのであるし、残り半分を迎えるにあたって「このまま」であってよい感じはしない。何か仕切り直しみたいなものが必要な気分でもある。思えば、昭和30年代に劇場用、TVでアニメーションが大々的に作られ始めたのと同時に物心ついた世代も、いつの間にかそんな年齢に達していたわけで。だけど、自分だけがそうであるわけでなく、当然、同世代はたくさんいるわけで。
まあ、あいかわらず無謀なのではある。何らかの意味合いを込めた映画を作れたとして、そうした相手に届くとは限らないわけなのだから。
そういうようなこともたくさんあってしまって、『アリーテ姫』の出発はここまで延び延びになってしまっていたのだが、ここへきて、自分自身がこの映画を欲する内部圧力が最大になっていたのもまた確かなことだった。
様々な難しい問題に直面してブレイクスルーしていかなければならないのが、まずプロデューサーという立場であり、その手腕、ということになる。色々面倒をお願いすることになる。しかし、田中栄子さんという人は、いったん踏み切ればキップのいい人だ。吉祥寺の喫茶店で再会し、
「そろそろ『アリーテ姫』をやりたいんだけど」
と、いったときにも、
「そう。じゃあ、やりましょう。考えなきゃならないことはたくさんあるけど、なんとかなるでしょう」
と、早かった。ここで、うなづいてもらえたことが、再出発の最初の一歩だった。それは得た。その先はおそらく何とかなってゆくのだろう。
一方で監督・脚本という立場も多くを考えなければならなくなる。この企画は、内容的な本質だけが意味を持つという作品作りになるだろうからだ。「作りたいんだけど」といっておいて今さら何なのだけれど、どうすれば自分が望む内容的目的地に到達できるのか、まるで皆目検討ついていなかった。
第98回へつづく
●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
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(11.09.26)