β運動の岸辺で[片渕須直]

第98回 千姫の銀の腕輪

 『アリーテ姫』については、氷川竜介さんがアーサー・C・クラークやラリー・ニーヴンなどのSFとの関係を説明してくださっている
 しかし、最近とある本を読み直して、そうか、あの頃もたしかこの本のことを思い出していたのだったなあと、もっと奇妙な方面からの刺激があったこともよみがえってしまった。
 それは、SFなどとはかなりほど遠く、合戦についての時代小説、司馬遼太郎の「城塞」だったりしてしまうのだった。
 自分の寿命が尽きる前に豊臣氏を始末してしまいたい徳川家康がいて、立ち向かうためそれぞれの理由をもった武将級の牢人たちが呉越同舟、巨大な大坂城に集まる。「七人の侍」が遥かに巨大にスケールアップされた姿だ。人格的に結束の中心となる後藤又兵衛がいて、耐え忍ぶ頭脳である真田幸村がいる。彼らに教育され、感化されて、まだ若い木村重成、豊臣秀頼、あるいは近習の若侍たちは成長してゆく。限られた時間と空間の中でせっかく築けた関係をいとおしみ、互いのことをいつくしみ合い、ただ運命にあと一歩足らず、ほとんどの者が滅んでゆく。
 ちょっとした愛惜感を覚えてしまう小説なのだが、そうした自体は本質的に『アリーテ姫』とは何の関係もない。ただ、この小説の冒頭に近いところで、家康の孫娘・千姫が登場する。
 政略結婚。千姫は6歳にして、10歳の秀頼に嫁すことになり、以後、この名目的な城主の単なる名目上の妻とされて、大坂の巨城の奥深く住むこととなる。何せ6歳なのだから、まったくの無垢なるままに。千姫は婚儀の日を過ぎると、秀頼の姿などほとんど見ることもなく過ごすことになる。彼女の身に自由はない。なぜならここは敵方の城内なのだから。
 この大坂から山ひとつ超えた大和の国には大きな仏がおわされます、と侍女が城の外に広がる世界のことを語ると、千姫は、巨大な仏がゆっくりと歩き回る国を思い浮かべる。そうした千姫の想像は愛らしい。
 あるいは、『アリーテ姫』の世界観は、中学の頃からの愛読書であるこの小説のこの場面を、何度目かに読み直した瞬間、定まっていたのかもしれない。
 城の奥深く幽閉される姫君のイメージは、『アリーテ姫』の原作である「The Clever Princess」には存在しなかったものだ。原作のアリーテ姫は何の制約もなく闊歩できているようだった。だが、閉じ込められるからこそ、外界への想いが果てしなく募るのだと、この千姫はいう。
 アリーテが目標とする巨大な金色の鷲は、千姫が思い描いたそぞろ歩く長谷の御仏を原型としている。「The Clever Princess」に出てくるちょっと大きなくらいの鷲ではない。徹底して巨大である必要がある。何も知らない少女が空想する奈良の大仏と同等のイメージでなければならないのだから。それらが棲む「外界」は閉じ込められた少女たちのいる場所からは遥かに遠く、今は差し伸べる手すら持ちえない。

 やがて、秀頼は城内で千姫を「発見」し、恋をする。障壁となるのは徳川方を忌避する生母・淀殿であり、彼は「妻」に近づくため、忍んで来なければならない。小説のこの前後で城大工・中井大和守などが登場しており、城には秘密の抜け穴がつきもの、というイメージがなぜか去来することになる。
 ここで脳裏に登場するのは、アーシュラ・K・ル=グウィンの『ゲド戦記』2巻「こわれた腕環」だ。
 この世界では、チベット仏教のダライ・ラマよろしく、先代の聖なる巫女が死ぬと、その生まれ変わりと思われる子どもが見つけ出され、まだ確たる意思もないその幼い女の子を神殿の奥深く収容して、特殊な環境の中で育て上げることになる。女の子アルハはその名を捨てさせられ、巫女テナーとして育てられる。しかし、彼女は自分1人の心の秘密として地下の神殿のトンネルを歩き回り、そこで自分の正体を取り戻させてくれる魔法使いと出会う。
 重要なのは、失われたアイデンティティと、闇に彩られた地下の迷宮だ。
 こうして、原作とは違って城の奥深く幽閉されたアリーテ姫は、これも原作とは違って、城の地下深く張り巡らされた秘密の抜け穴の迷路を遊び場としていることになる。
 問題は、アリーテ姫の魂だ。それは、千姫のように、アルハのように、以前のアイデンティティを捨てさせられ唯唯諾諾と過ごしているものではない。いや、別にそうであってもよいのだけれど、そこから始めると、物語が映画に許容された尺を遥かに超えて長いものになってしまうだろう。
 したがって、アリーテの迷路は、アルハのそれとは違い、すでに出口が見出されていることになる。象徴的な意味でも、表層上の意味においても。暗くはあるが、彼女は迷宮を支配しており、どこに出口があるかもきちんと知っている(完成した映画では、出口がいばらのとげの下にあったのがまた象徴的なのではあるが)。

 もうひとつ問題の置きどころは、すでに「出口」の姿を知っているアリーテ姫は、映画の冒頭において「孤独」なのか、ということになる。彼女に「秀頼」は存在しないのか。あるいは、原作の邦訳版「アリーテ姫の冒険」(英語原文に対し内容の改変がある)ではそう名づけられていた「ワイゼル」は存在しないのか。
 結果的には「孤独」であることを選ぶのだが、失われた「相棒」を求めて『マイマイ新子と千年の魔法』やその先にまで至る道を歩むことになる。だが、それはまた別のお話だ。
 アリーテに心の上で寄り添う「秀頼」は、3番目の騎士「シル」と名前をつけて、脚本を逡巡するあいだずっと存在することになる。「ワイゼル」もいつか原作に出てくる老婆の魔女から離れて、アリーテ自身と同年代の少女のイメージになって、彼女をアリーテ姫の侍女とする案、別バージョンのストーリーを最後まで抱き続けていた。

第99回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(11.10.03)