β運動の岸辺で[片渕須直]

第99回 100℃的道のり


 いくら頭の中でストーリーを繰り広げ、キャラクターを動かしてみたところで、所詮は妄想に似たものでしかない。映画を作りたいといくら思ったところで、徒手空拳でしかない。ものづくりのためには、いかに現実的な足場を得てゆくかという部分を欠かすことができない。
 こういうときには、まず最初に製作資金をどうするか、という話になりそうだが、実は違う。予算規模をどれくらいの高に見積もるか。それが一番最初に踏まなければならないステップなのだ。
 最初の取り掛かりとして、田中栄子プロデューサーとまずこの件について2人で相談しあったとき、なんとしてでも映画を作る、と肚を据えたときの栄子さんはさすがなもので、普通では考えられないくらい破格の低予算を提案してきた。あまりのロー・バジェットっぷりに、度肝を抜かれた。だが、それがこちらのリアルな身体サイズに見合ったものだったのもまた確かなことだった。この予算額でどれくらいの仕事ができるだろうか、真剣に考えてみなければならない。
 映画の長さは? 作画枚数は? 期間は? スタッフの人数は? 発注単価は? それらすべてを勘案して、実現可能かどうかを考えてみる。当然ながら無理だ、という結論に達するのはたやすい。しかし、ならばこそ、さらにいっそう真剣にならざるを得ない。最低限のものを超えていけばいくほど、それはどこからか捻出しなければならない、映画完成時には回収しなければならないものになってゆくからだ。
 いかんせん困難は困難。難しいということになったら、栄子さんは次なる数字を提案した。最初のものの25%増しだ。
 この日、散々、足し算掛け算を繰り返した挙句、結局、最初の叩き台の2.5倍強まで拡大することになった。それが最低限の数字のように自分には思えた。けれど、最初の数字から下駄を履かせれば履かせるだけ、「無理」を積むことになる。だが、栄子さんは、分かった、といった。なんとかする道を考えてみる、と。こういうときのこの姐御はさすがだ。
 最終的にな実行予算はさらにその1.5倍にまでなり、それでもちょっと赤字が出てしまったのだが、それはのちのちのこと。それでも、完成した『アリーテ姫』の試写を松竹の試写室で観た丸山正雄さんから、「ほんとにそんな低予算でこの映画が作れたのか?」といわれてしまっている。

 この話の時点では、もう少し谷底に近いところで考えている。
 今の自分自身のリアルに見合った最低限度の予算で、この映画を作るにはどうすればよいか。それでも、自分が語りたいことの本質を維持するためには、どうしたらよいか。そうしたことと真剣に直面しようとしている。
 実は、これ以前、自分にとって劇場用長編を作るということは、正当な漫画映画の復権を目指すことを意味した。前々から暖めていた『アリーテ姫』にも、そうした匂いはふんだんにふくませようとしていた。魔法使いボックスがレオナルド・ダ・ビンチ的な(あるいは全日空の旧マーク的な)空飛ぶ乗り物でやってくるのは、物語中盤、アリーテ姫にそれを操縦させ、金色鷲と空中戦をさせようとしていたからだった。あまつさえ、マストが折れ、帆(というかローター)が使えなくなってからは、魔女の鍋状のそのゴンドラから着陸脚として大きなカエルの脚が生え、ピョンピョン跳ね回らせようとすら考えていた。
 そうしたドタバタこそ自分の真骨頂だと思っていた。
 後日、フィルムになった『アリーテ姫』がかかったビュワーの前で、編集の瀬山武司さんから、「当然宮さんみたいなことをしてくるもんだとばかり予想してたんだけどね」という意味のことをいわれてしまっている。そうしてこなかったんで、意表を突かれた、と。瀬山さんには、まさにドタバタ漫画映画の真骨頂である『名探偵ホームズ』以来、編集でお世話になっていた。
 今回はドタバタには向かわない。それは、それこそ2歳7ヶ月で『わんぱく王子の大蛇退治』を観て以来、染みついてきたものだったが、それよりもここでは、なぜ自分が今あらためてこの映画を作らなければならないと考えたのか、その根本を思い返してみなければ、と思った。その切実な一点に絞って、ほかは捨てる。本質さえ自分自身の前で明らかになっているのなら、それを、例えば台詞劇として表現することも可能なのではないか。
 動かせてみせることなど、今の自分にふさわしくないと捨て、自分自身と、あるいは観客自身の心と地続きなものを作ることだけを考える。それができるならば、この映画を作り始める道も開けるだろう。

 経済的なことといえば、『アリーテ姫』の予算が発生するまでの間、日々の糧を得るための仕事もしなければならなかった。
 『ちびまる子ちゃん』はこの際続けることにした。これはその当時ずっと不動の制作デスクだった小村統一さんと意思疎通もしっかりできていて、こちらが何も思い煩うことなく仕事できる態勢が整っていた。
 プラス、スタジオ4℃ではゲーム「ポポロクロイス物語2」のゲーム内のキャラクターの動きを請け負っていたので、これの演出という立場もあてがってもらえることができた。これはまあ、アニメーターも粒が揃っていたし、難しいことをいわずに済む楽チンな仕事だった。
 楽をさせてもらいながら、自分にとっての本線で何をすべきか頭を巡らしている。
 4℃本隊は映画『SPRIGGAN』の仕事をしていたはずだったが、そのスタジオのどこか片隅に机をもらっていたのだったかどうか。その辺の記憶はちょっと曖昧になっている。
 しかし、そのうちに『アリーテ姫』の準備室を開設することになった。吉祥寺のちょっと裏手の方、華やかなこの街のたたずまいとはちょっと違った感じの6畳一間(風呂なし、和式トイレ)のアパートを栄子さんが見つけてきた。棕櫚の木の庭から鉄の階段を登った2階の部屋だった。
 1998年の夏になりかけていたと思う。
 夏が来ようとも、この準備室に冷房はなかった。ひたすら暑くって、「スタジオ100℃」と思った。
 ここには机をみっつ入れた。

第100回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
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(11.10.17)