第105回 姫君の塔を求めて
彼女がもともと住んでいた城の中で、アリーテ姫はどのように過ごしていたのか、原作ではあいまいにされている。生真面目な文体の邦訳からではわかりにくいが、この原作はちょっとアンバランスなブラックユーモア感がある筆致で書かれていて、いかにも「モンティ・パイソン」なんかの国の産物である感じがする。われわれにはあまり馴染みがないコンテクストの上に存在するストーリーなのではないかと思ってしまう。そうした不条理な綱渡りの上では、たいして束縛もされていないお姫様が、不思議に頑固な父王の下で、のほほんとしているのも悪くはない。なかなか客観的でもある。だけど、それはやはり、われわれに馴染み薄いコンテクストの上にあってのものなのだと思う。
ということで、ここはわれわれ、もっというと自分自身にとっての「切実さ」で語ってゆくことにする。
それで何が変わるかというと、姫君であるアリーテは「幽閉」されてしまうことになるのだ。どこへ? まさか地下牢ではあるまい。こういうときは、高い塔のてっぺんの小部屋に、ということになる。それこそ、コンテクスト的に。
さて、最上階に姫君の住まう小部屋を有する城塔とは、果たしてどんなものになるだろうか。ほっそりとたおやかな尖塔を想像してしまいはしないだろうか。少なくとも、自分はそうしたイメージを抱いてしまった。
では、それは直径何メートルになるのだろう。
まず、部屋には最低寝台を置かなければならない。天蓋つきの寝台を置ける部屋の広さを想像してみる。さすがに寝台を置いていっぱいいっぱいではなく、多少はテーブルなどしつらえられるくらいの。
ついで、それを取り巻く壁の厚みを考える。西洋の石積みの城の場合、これが馬鹿にならないのだ。壁なんてペラペラしたものだと思うのが、まず日本の感覚だ。大げさなバットレス等の支えなく、石を積んだだけの円筒をそびえ立たせようとするなら、相当な壁の分厚さが必要になる。おおよそでいうと、塔の直径の1/4くらいだ。これは色々な城の経始図を眺めたのだけど、だいたいそんな傾向であるように思われた。1枚あたり1/4厚の壁がぐるりを囲むのだから、その中に設けられる部屋の広さは塔の直径の1/2ということになる。
準備室の机の上で、寝台とテーブルを置ける広さの床面を作図してみることにする。ついで、その2倍の直径の円をその周りに引いてみる。ものすごくデカい直径になってしまう。今となってはちょっと記憶もあいまいだが、たしか、ミニマムで14メートルくらいという感じだったのではなかったか。
その数字を持って外に出てみる。六畳一間の準備室の中では、14メートルという寸法は理解不能だからだ。道路で、ここからここまでおおよそ何メートルと割り出して、それで14メートルをイメージしてみる。全然たおやかなイメージではない。ずんぐりしている。
これを、しかし、「リアル」だと思うことにする。現実はファンタジーを凌駕して、仕掛け切れない偶然性とともに存在する。うまくそれに出会ったとき、映画の神様は舞い降りてくれもするかもしれない。
ここまで考えたところで、クロアチア・ザグレブへ飛んだのだった。リュブリャナだとかドブロニクに行きたかったのも、それっぽい石造りの塔なんかありはしないか、などとはかない期待をいだいてしまったためだったりする。だが、行けていない。
ところが、ザグレブの旧市街に格好の塔が立っていたのだった。これは、6月17日に1人で街中を散策しているときに見つけたのだった。珍しく日付がはっきりしているのは、APSで撮影した写真プリントの裏に撮影日時が記録されているのを、たった今見たからだ。
それはザグレブ大聖堂こと聖母マリア被昇天大聖堂を囲う城壁の塔だった。目分量で直径14メートルぴったり。高さはかなり足らないが、それはなんとでもイメージを補正できる。中はどうなっているのだろうか。
中をのぞいてみる。その1階は、なんと教会の売店になっていた。少しお歳を召した尼さんが2人、店番をしていた。
2階を見たい。その上にあるはずの天井がどうなているのか、窓がどうなっているのか見たい。
だが、残念なことに、うまく言葉が出てこないのである。ザグレブは旧オーストリア・ハンガリー二重帝国の都市であるわけで、ここは英語よりもドイツ語の方が通じるようだった。別の土産物屋に入って何か買ったとき、店のおねえさんは明らかによその国から来た外国人であるこちらに「ダンケシェーン」と礼をいってくれた。この地での国際語はドイツ語なのだった。
ただ、格好の悪いことに、ここでの問題はドイツ語が話せないことではなく、英語ですらまったく出てこないことだった。語学についてはてんで駄目なのだ。
いずれにせよ、教会の前の塔の2階は明らかにパブリックな空間ではないようだった。なので、あきらめて退散した。
ザグレブへ来るときロンドン経由で来たように、帰りもロンドン経由となった。ロンドンでは丸1日時間があった。なので、南家さんに連れてもらって、ロンドン塔を訪れてみた。これこそ想定するアリーテ姫の時代の建築物なのだが、残念なことに塔の断面が四角い。姫君の塔は円塔にしたかったのだ。
とはいえ、ここでは螺旋階段だとか、大広間のシャンデリアだとか、その他いろいろ見ることができた。このとき写真に撮ったものも、そっくり写真のままの構図で絵コンテに取り入れてしまったものが多い。
その後、南家さんと別れて、ロンドン市内のインペリアル・ウォー・ミュージアムに1人で行って、ここにしかない往時のままの塗装を保って保存された零戦を観察し、「なんだこの色は?」と疑問を抱いて、数年後にそれを解く羽目になったりしてゆくのだが、それはまた別の話。
第106回へつづく
●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
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(11.11.28)