β運動の岸辺で[片渕須直]

第110回 絵コンテの紙

 お正月休みが2週挟まってしまって、なんだか気分が変わってしまって、前回書いたものとうまくつながるものを書ける自信がなくなってしまった。
 今やっている仕事は、おおむね脚本が片づいてきて、そろそろ絵コンテに入ろうとしているところなのだが、肝心の絵コンテ用紙がなかなか注文したとおりに刷り上ってこず、そのあいだ、リサーチに勤しんでしまったりしていた。考証というのは現実と格闘することでもあり、夢物語みたいな映画作りとはちょっとズレたところがあってしまうものなのだ。
 絵コンテ用紙は実は年頭当初に一度できてきていたのだが、注文と違ってなんだかツルツルした紙に刷られてきてしまった。
 ザラザラの紙でないとさらっと引いた鉛筆の粉がうまくひっかからないで、ガキガキグリグリやることになって、またひじが痛くなってしまいそうだ。
 昔の絵コンテ用紙は、今のものよりもっと透けてる感じだったのだが、あれは青刷り用の原紙の紙を使っていたのだという。自分が仕事に携わりはじめたのは、絵コンテも青刷りコピーではなく、白黒刷りに変わっていた頃だったので、正直、それ以前のことはよくわからない。ただ、透けていてザラザラした紙が、絵を描くにしても字を書くにしても、筆圧薄く鉛筆を走らせやすくって楽だ。

 『アリーテ姫』のときは、シナリオの改稿を待たずに、冒頭の方から絵コンテに手を着けてしまったような記憶があるが、ぼんやりしている。ただ、そんなふうに仕事を進めるのがふつうだったように思うので、たぶんそうだったのに違いない。
 この時期、さらに並行して『ちびまる子ちゃん』の絵コンテ、演出もやっている。なんだか、やたらと右ひじが痛かったのははっきり覚えている。
 この頃の『ちびまる子』はいわゆる『ちびまる子ちゃん[1995]』というやつで、つまり1995年以来今もずっと放映が続いている第2シリーズであるわけで、須田裕美子さんが監督だったのだけど、第1シリーズで監督だった芝山努さんの名も「監修」とクレジットされて載っていた。
 監修の芝山さんは別に何かしてくれるわけではないのだけれど、最初の時点で芝山さんが敷いた、この作品ならではの手法は、少し緩和されながらも活かされていた。最初の方の『ちびまる子』はまったく「ななめ」というのが存在しないレイアウトで、カメラは真正面か真横にしか入らないし、パースもまったくついておらず、全部がほぼ直角だった。『ちびまる子ちゃん』は本来、ものすごく実験的でデザイン的な表現をやっていたわけだ。これはカッコいいと思っていた。
 人物の振り向きも「中2枚以上は絶対に入れないこと」みたいな注意書きが設定に書き込まれていて、引き続き第2シリーズでも使われていた。斜めから見たアングルの顔はまったくないわけではなかったのだけれど、基本的に真正面か真横の顔ばかりでできている。ということはどういうことになるかというと、演出チェックのときにちょっとした微妙なニュアンスを何とかしようと原画を足すことを思い立ちでもしたら、真正面か真横の顔を延々引き写すことになる。これをやってるうちになんだか腱鞘炎っぽいことになってしまい、その上、絵コンテもずいぶんやったので、治る暇もなかった。
 ただでさえ、これ以前には「量で仕事する」という方針を自分で立てて色んなことに臨んできており、そろそろ田中栄子さんから「高野豆腐みたい」といわれるほどにヨレヨレになっていたわけで、ゆえに、これからはもうちょっと作品らしい質的なところで仕事しようかと思っての『アリーテ姫』だったわけなのだが、その『アリーテ姫』の絵コンテはひじが痛くってもうだめで、ほんとうによれよれになってしまった。それでもいいから描きとばしてしまうことが肝心、と思っていた。丸にちょんちょんの目鼻でいいから、もう、絵なんて最低限わかる程度に描いてあればいいじゃん、という絵コンテ。それでも、なんとか一歩でも二歩でも映画の中身の地歩を固めてしまいたいという気持ちが先走っていたのだと思う。

 映画ができてから、「絵コンテを出版してやろうか」などといってくれる奇特な人もあったのだけれど、絵コンテ実物を見て「ああ、こりゃだめだ」といわれてしまっている。ほかの仕事の絵コンテはそれほどひどい評価でもなかったので、『アリーテ姫』の絵コンテはきわだって絵が(字も?)メタメタだったようだ。
 それだもので、『マイマイ新子と千年の魔法』は絵を清書してもらったりして万全を期したつもりだったのだけれど、生憎、誰もこれを出版しようともいってくれない。
 うまくゆかないものだと思う。

第111回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(12.01.16)