β運動の岸辺で[片渕須直]

第113回 色彩を見つめる目

 色彩設計の林さんが、微妙な顔をしていた。
 「会社で使うフォトショップのバージョンが変わったんだけど、このあいだ塗った色が変わった」
 女流画家の日本画を観てきたその日に作ったアリーテの色のことなのだが、ソフトが改変されてしまったら、もう元どおりの発色でモニターに映らない、という。
 ほんのちょっとした微妙な差異なのだが、自分たちが理想とした色調はもうそこにはない。
 「もう一回作り上げるか?」
 「やってみたんだけど、うまくいかない」
 たしかに。ほんのわずかなのだが、決定的に再現できないものがある。再チャレンジしてしてみたのだが、やはり同じようには発色させられなかった。

 色のことに神経を集中し始めると、ものすごく鋭敏になる。
 後日あるとき、作監の尾崎君、林さんでトランプのババ抜きをしていたことがあったのだが、どれがババなのか、人が手にしているトランプの背中を見ているだけでわかってしまった。ほんのわずか、使用頻度の低いジョーカーのカードが、ほんのわずか他のカードより色褪せておらず、ほんのわずかにだけピンクの色が鮮やかなように思われたのだ。そのカードは避けて、ほかのを引いてゲームを終わらせてみると、最後に1枚残ったそいつがやっぱりババだった。
 「色が違う」
 「ええー、わからない」
 と、尾崎君はいう。
 「そういわれると確かに」
 と、色彩設計の林さんはさすがに敏感だ。
 それくらいの目でもって色の仕事に臨んでいた。

 ところで、モニターに映し出された色は、その後どうなって映画館のスクリーンに投影されるところまでたどり着くのだろうか。
 プロデューサーの田中栄子さんが精力的に企画書を持って歩いたおかげで、この頃には製作スキームがある程度固まっていた。スタジオ4℃、4℃の前作『SPRIGGAN』の縁で、小学館、電通、イマジカ、というのがそれぞれ出資を行う製作委員会が設けられ、4℃がその幹事社ということになっていた。以前、3000万円だとか、3800万円とかの自己調達予算で映画を作れるだろうか、などと栄子さんと話していた頃とは格段に違う状況がすでにセッティングされている。
 このうち、イマジカには技術も提供していただくことになる。
 セルと画用紙の背景をカメラで撮影すれば、自ずとフィルムはできあがるのだが、パソコン上のデジタル・データの場合は、それをRGBの3色の信号に分解し、その信号でパソコンのモニター(この頃は当然CRTだ)の中の電子銃に電子ビームを放たせ、蛍光面上の3色のターゲットを撃って発色させる。この電子銃をRGB3色のレーザーに置き換えて、それでフィルムのエマルジョン面をスキャンしてやると、デジタル・データがほぼダイレクトにフィルムに転写できる。これをこなすのが、フィルムレコーダーなる装置だ。
 ところで、同じ信号を送ったからといって、モニターとフィルムは同じに発色するのだろうか。この問題は前に『MEMORIES』でも相当苦労したのだが、両者の発色特性は当たり前のように同じではない。発色させる原理がそもそも違うし、フィルムひとつとってみても、イーストマン・コダックの各製品、フジフィルムの各製品、様々な発色特性のものが作られている。さらに、その間に介在する装置がまったく同じにデータを受け渡ししてくれるように挙動してくれるはずもない、とも思う。
 「それじゃ、テストね」
 折りしも、西田さんの美術ボードが上がってくる。アリーテのキャラクターのカラー・デザインも、最初のものの完全な復元こそできないが、しかたないからこれで行こう、というものを作り上げてある。これを組み合わせてコンポジットし、イマジカへ持ち込む。

 できあがった、という知らせを受けて五反田のイマジカの試写室まで赴く。
 試写室の電灯が落とされ、真っ暗になる。いつもそうなのだが、ドキドキしてしまう瞬間だ。
 映写機が動き出す音がして、スクリーンに映し出された映像は、4℃に据えられたマスターモニター上で見たものと決定的に発色が異なっている。この最初の第1回目の発色を正確に覚えているわけではないのだが、肌色からしてすでに肌色でなかったような記憶がある。
 いつもならば、セルに絵の具で塗ったキャラクターを持参するのだが、今回はそれがない。基準にするものがない、というのも厄介な点だ。幸い、西田さんの美術ボードは、画用紙にポスターカラー描きだったので、これは持ってきていた。それをイマジカのカラー・タイマー平林弘明さんに見ていただく。
 「なるほどー。こりゃあ……」
 どうやって調整してゆくか。
 調整してゆくにしても、基準になるのは、林さんと自分の目と勘があるだけだ。それだけを持ち駒に何とかしていかなければならない。

第114回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(12.02.06)