第115回 色の道は細くて、長い
テストをやってみた結果得たものは、「一発では満点の正解は出せない」とわかった、ということだ。色彩だけでなく、白から黒への明度の階調も、こちらのモニターでの表示と、焼いてみたフィルムの上がりが一致していなかった。
なんだか、そういうことをやっていると、その昔、映画学科の大学1年生の頃、「技術基礎」なるコマで使うために自在曲線定規を買わされたことなどが思い出されてしまっていた。焼いたフィルムのステップをデンシティ・メーター(濃度計)で測って、そのフィルムの特性曲線を自分でグラフ用紙にプロットし、点と点の間をなめらかな曲線として引くための自在曲線定規だった。その当時助教授だった先生は、その後、学部長にまでなり、今は定年になったあとも嘱託となっていまだ教壇に登っておられるのだが、それにしても今の後輩の学生のやっていることはデジタル一辺倒で、フィルムとは縁遠くなりかけている。今では、フィルムなんてシネカリグラフの実習でしか触らない、などという学生も多くなってしまった。
などと思い出を繰り延べていてもしかたないのだが、考えてみれば、『アリーテ姫』当時だって、スタジオ4℃の社内が増勢したといっても、フィルムにはまったく縁のないデジタル系のスタッフばかりなのだった。セルに絵の具で塗ったもので作業した経験があるのは、現場では色彩設計の林さんと自分くらい。フィルムを直に触ったことがあるのは、もう自分1人しかいなかった。
ということで、ちょっとくらい基礎教育をうけたくらいの身で、ここは自分でなんとかしなければ、という不相応な自負心みたいなものを感じてしまったのだが、そうしたら林さんがこういった。
「トーンカーブだったら、Photoshopにも入ってるよ」
「へっ?」
何ゆえほとんど15年も前の話なので、自分の仕事がフォトショップ三昧の今とは違って、その当時は、自分の手ではほとんど試し程度にしか触ったことがなかったのだ。だが、Photoshopは「写真屋さん」、フィルムのアナロジーなのだから、特性曲線が仕込んであって当然だった。結局、全然ど素人の自分がいただけだった。
早速、Photoshopを立ち上げ、テストデータを開いて、調整レイヤー「トーンカーブ」を重ねてみる。色調のときと同じく、これを使ってフィルム上がりの見た目と同じになるよう、階調を調整する。例のテスト用のカラーチャートには、白から黒への明度の階調も仕込んであった。
色調については、例えば、黄色になるはずの辺縁、橙に近い黄色が赤に含まれる色になってしまい、黄緑に近いほうの黄色が緑に含まれる色になってしまう、と色そのものが変わってしまっていたりもした。この調整には調整レイヤー「色相・彩度」を使う。この中にある「レッド」「イエロー」「グリーン」「シアン」「ブルー」「マゼンタ」の6原色の色相をコントロールしてやることで調整する。
2枚重ねになった調整レイヤーで調整を繰り返し、何度かテストを踏むにつれ、モニターの見た目と、イマジカの試写室のスクリーンに映し出されるものが一致していった。
赤みがかった城の壁の石組み。そこを這ういばらの緑。そして、その花。ほとんど灰色でわずかに青みのある空。日本画的なアリーテ姫の衣装。それらがスクリーンの上で結実したときに思ったのは、この方法ならば、フィルムで撮影していた頃よりもはるかにダイレクトにこちらの色彩設計をフィルム面に定着できる、ということだった。カメラにフィルムを詰めて撮影していた頃には、一定のフィルムの感度特性によって、色調や明暗の階調がある程度「転ぶ」ことを予期し、含み合わせた上で色を決める必要があった。その昔、『名探偵ホームズ』の「青い紅玉」では、宝石の青さがフィルムに再現されなくて困ったものだったが、モニター上でほとんど誤差なく(厳密にはあって、『マイマイ新子と千年の魔法』の時に苦労することになる)色調を決め込めるのならば、これに勝るものはない。
最初のテストさえ万全にやっておけば、色調については手堅く確実なものになり、あとはこちらがいかに色のイメージを抱けるかに絞ることができる。
ついに、実用上問題ないと判断できるまでになった時に、本番のカットの作業に移行した。
最初のプランどおり、キャラクターの色調については、大まかなイメージだけ作り上げておき、あとは各カットの背景に合わせて、その都度作り出す。
そのためには、まず、背景のモニター上での見た目の調整をしなければならない。紙に描かれてスキャンされてきた背景は、階調もまばらで一定していない。光るべきところが光っていなかったり、翳るべきところが明るかったりしてしまう。この調整は美術監督の西田さんとともに行うべきなのだが、西田さんはご自分の所属スタジオの都合でこちらに常駐いただくことができない。紙に描かれた絵の上がり具合を根拠に、林さんと自分とでこれも調整することになる。
結局、ほぼ全カットの背景の調整と、全カットに渡る各カットごとの色彩設計という作業となってしまっていたのだった。
「明度ちょい上げ」
「色相ちょい右、もう少し右。少し戻して」
モニター上の見た目をたよりに、そんな感じで指示を出すと、林さんが処理をする。
林さんは時に自分の意見もきちんといい、しかし、こちらの支持にも適切に反応してくれた。だが、マウスを奪って自分の手でパソコンをいじろうとでもしようものなら、とたんに怖い顔でにらまれた。いうことはすべて聞いてやるから、自分のテリトリーは決して侵すな。そういう目だった。
ときに、背景の部分的な調整のために、マスキングが必要になったりもし、林さん1人で対応できるうちはよかったが、物量的に無理になってくると、CGI部のスタッフたちにもご協力願うことにもなっていった。
第116回へつづく
●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp
(12.02.20)