第126回 割り込んできた話
実は『アリーテ姫』の頃のことは、相当すっとばして書いてしまっている、作画のことも、アフレコのことも、ほとんど置き去りにしてしまっているのだが、にもかかわらずこの作品のことだけで相当な連載回数になってしまっているような気がする。
前回、音楽の録音のことを書いたのだが、音楽を録ったら次は、その音素材を組み合わせてトラックダウンすることになる。ここも基本的に千住さんの仕事なのだが、「映画全体の監督」という立場上、この現場ものぞかせてもらい、口も挟ませてもらったりしている。思い出すのは、そうした作業の合間にも千住さんが気遣いや優しさを発散されていたことだったりする。
「監督、ちょっとここ座ってみません?」
と、モニターする千住さんの席に座らせてもらうと、そこは立体音響の中心だったりした。
仕事の合間に、「長男が通う中学校に至急連絡してくれ」などという物騒なメモが、4℃経由で回ってきたりして、何事かと担任の先生に電話したら、息子が友達とふざけあっているうちに、ふとしたはずみで意識が落ちちゃって病院連れて行った、とかで、「なんていうはなしでした」とその場の人々に報告した自分がちょっと安心してない顔をしてしまっていたのかもしれない。すると千住さんが、
「中学生頃には僕らもずいぶんそれやったなあ」
などとニコニコして見せてくれる。大丈夫、大丈夫、と。
トラックダウンの途中では、大貫妙子さんの歌の録音も行った。歌のトラックダウンには大貫さんは自前のスタッフを連れてきていて、
「このあいだは僕はすることないんですよ」
といっている千住さんがいたりした。
そうだ、千住さんの劇伴の方の音楽録音のミキサーさんも、ずいぶん年季の入ったベテランの方だったけど、ずいぶんとケース何箱も自前の機材をスタジオに持ち込んでおられたなあ、これでないといい音が出ない、といって。
音楽ができると、次は画面を完成させ、ダビングすることになるのだが、その前に割り込んできた仕事のことを話さなくてはならない。
正確にどの時期のことだったのか、記憶が緩い。ただ、画面完成前だったのは間違いないので、残り数カットで画完パケ寸前までいっていたダビングよりも前の頃の話だ。ひょっとすると、音楽録音よりも前のことだったのかもしれない。
栄子さんが、こういう「次の仕事」の話があるのだけど、とその件をもってきたのだった。
3DCGの劇場アニメーションの企画で、「黒澤明原作」のものをやりたい、というプロデューサーが相談に来たのだ、という。
「黒澤原作って、そんなあなた、『七人の侍』をモジって『宇宙の七人』を作るみたいなそんな……」
「それがそうじゃなくって、黒澤明で1本未完成のストーリーがあって、それを完成させてほしいというんだけど。あたし、片渕さん以外に思いつかなくって」
「はあ……」
そもそもの企画者の方に来てもらって話を聞くことになった。
「これです。コピーはよろしくないので、読後焼却でお願いします」
と、重々しい口調とともに目の前に出されたのは、一部が「四騎の会」のペラ(原稿用紙)に、また別の一部は、たぶん黒澤さんらしく藁半紙に鉛筆で書いたのだろう、何人か別々の人物の手で書かれた不揃いな一連のもののコピーだった。
「これは、黒澤さんが東宝離れたあと、『トラ・トラ・トラ!』前後……」
「そうです。海外と合作用の企画です」
それは、次のような短い一文から始まっていた。
「私達はドラフトというもの書いたことがありません。いきなりシナリオにとり組み、場面と人物を具体的に書きはじめ、その必然的な動きにしたがって人物を掘り下げながらシチュエーションを組み立てていくのです」
しかしながら、今回はドラフトという様式で書かざるをえなかったのでそうしたのだが、真価はシナリオで確立されるものだと考えている、というようなことが書かれていた。この前文に添えられた執筆者の氏名は、
「黒澤明、小国英雄、橋本忍」
以下に続くのは、物語の冒頭部分のイメージ、時と場所の設定、そして「梗概」が長く続いていた。
「いや、いったい、これをどうしろと?」
「黒澤監督流に仕上げてくれということじゃないんです。片渕さん流に、全然別のものになってくれて構わない。むしろ、そうあってほしいわけです」
「はあ……」
「とりあえず、お考えていただけるようでしたら、この原稿のそもそもの出元は黒澤プロですし、次は黒澤プロで黒澤久雄さんを交えて、お話を」
それからしばらく経った日、いまだ作業中の『アリーテ姫』からその半日だけ離れ、栄子さんの車で2人、東名高速を一路、横浜郊外の黒澤スタジオに向かうことになってしまっていた。
第127回へつづく
●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
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(12.05.14)