β運動の岸辺で[片渕須直]

第127回 2週間の時限要塞

 不勉強な映画学科の学生もいたもので、黒澤明の映画に注意を払うようになったのは、大学の「映画鑑賞批評」のコマで、『羅生門』を観てから、やっとだった。
その頃は、『影武者』が撮影中だった。黒澤監督の補佐に入っていた本多猪四郎監督が同じ学部の大先輩だった縁から、学生にエキストラの動員がかかったこともあった。同級生たちが撮影現場で陣笠をかぶり、緑の鎧を着て、槍を持って並び立っていたりするときも、加わらずにボーっとしていた。もっともこのときはちょっとした風邪っぴき状態だったので、御殿場に送られたりしたら周囲にえらい迷惑をかけていただろうとも思うのだが。
またある同級生が、砧の東宝スタジオで、本番撮影中に車の通行止めをするアルバイトをしていて、たまたま勝新太郎と黒澤監督のあいだでひと悶着あった日に出勤していて、なにやらピリピリする雰囲気を感じ取った、などと話すのも、ヘーっと聞くだけだった。
 アニメーションの仕事で給金をもらうようになって、スロースターターな自分でも、さすがに演出だとか脚本だとかで身を立ててゆく道を考えなくては、と思い始めて、何か方法論が得たくなって、まあ、宮崎さんのやり口はだいたいわかったわけだし、別の映画作家のやり方を眺めてみたくなって、そう思うと黒澤明などという人についての書物はたくさん出ていた。中でも『全集黒澤明』という脚本集は集めやすかった。

 黒澤明関係の著作権管理は黒澤プロダクションとその代表である黒澤久雄プロデューサーが行っていたので、まずはその意向をうかがうために、栄子さんの車で横浜郊外まで来てしまった。
「黒澤監督の遺稿だと思って、それを完成させるつもりにならないでほしい。これを材料に自分なりのものを書くつもりで望んでほしい」
というような要望、または要求は、前もって今回の企画者の人から聞いていたのだが、そうした意向の出所は、直接お目にかかって話を聞くと、どうも黒澤久雄さんであるらしかった。
そしてまた、黒澤久雄さんは、今回の企画の端緒である「3DCGアニメーションで映画を作る」ということには、疑問を抱いているらしかった。その辺は自分も同じだった。これは今から10年以上前の話なのだ。CGでモデリングされた人物の表情、感情表現がそんなにうまく得られるとは考えにくく、表現の完成度がどれほど得られるのかというあたりで懐疑的にならざるを得ないと思った。やるなら自分にとって手堅いセルアニメか、さもなくば実写ではないか、と思った。
 席上、そんなあたりで黒澤久雄さんと同調することになってしまい、ともかくもCGであることはまず前提としないで脚本を書いてみる、ということで方針立った。

 何ゆえ『アリーテ姫』の制作中であり、原画の演出チェックはほとんど終わっているのだが、まだまだしなければならない仕事が詰まっている。あまり『アリーテ姫』以外のことに時間を奪われたくない。
 なればこそ、いっそ2週間と時間を限ることにした。2週間は『アリーテ姫』からすべて離れ、集中して長編の脚本一本書き切ることにする。結果的にそのほうが早く『アリーテ姫』に戻れると判断した。
 その間、『アリーテ姫』のすべてから遮断されるよう、制作には徹底してもらうことにした。スタッフから監督への質問など一切行わないように念を押してもらう。スタッフ各位のほうからすれば、なんとも迷惑きわまりない話だが、いかんせん生来の不器用者なので、そうでもしなければ、いずれもっと迷惑なことになってしまいかねない。
自分を缶詰にする場所が欲しい。『アリーテ姫』の制作を行っているひとつ上の階で4℃の別班が別作品を制作していたのだが、これが終わったばかりでフロアが空いていたので、そこにひとつの要塞を作ることにした。
誰も座る人のない動画机を寄せ集めて、自分が作業する机を完全に取り囲み、誰も入れない一角とする。自分も出られないのだが、まあ、朝晩の出退勤とトイレのときには、防壁にしている動画机を、うんしょ、と動かして通路を作る。それ以外は通路も無くしてしまう。
 この完全隔離の場所に、ワープロと(パソコンは当時まだ個人的には持っていなかった)プリンター、問題の「遺稿」と資料若干をもって篭ることにした。
1日の作業時間は8時間で区切る。それ以上は、集中力が下がって能率が落ちるだけだ。
その8時間のあいだは誰も寄せ付けず、ひとりだけで過ごす2週間。毎日、誰とも口をきかない2週間を始める。

第128回へつづく

●『マイマイ新子と千年の魔法』公式サイト
http://www.mai-mai.jp

(12.05.21)