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COLUMN
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第5回

 では、反省しつつ僕の話をしよう。
 ほとんど全員が、シナリオ研究所の研究生になっていることで、僕はあせった。
 両親にほとんど全員が合格したとは言えないし、なにしろ両親は僕が東大に入ったぐらいに喜んじゃったのである。
 これまた余談であるが、僕の家は、駒場東大のすぐそばにある。小学生や中学生の時は、東大のグラウンドでよく遊んだものである。
 気分は本気で偽東大生だった。
 両親としては、東大もいいが、シナリオライターも悪くないと思ったらしい。
 都合のいいことに、僕の父は映画が好きだったのである。
 ただ、今は、息子がこんなシナリオライターになって、「わしが映画が好きだったのは、一生の不覚……息子がこんなあわれな仕事をするようになったのは、映画を見せすぎた、わしの責任だ」と嘆くことしきりだ。
 ちなみに、父の職業はいわゆる高級官僚である。
 僕自身は尊敬している父であるが、僕は高級シナリオライターになる気もなかった。それでも、職業に貴賤はない。
 僕は両親に言った。
 大学に行く費用を、シナリオ研究所の費用に使いたいなどと豪語してしまったから大ボラもいいところである。
 「なるほど……人間は好きな仕事をやるのが一番だ」
 親は甘かった。涙が出るほど良い両親である。
 実は、その甘さには、父の人生観によるものがあったのだが、18歳の僕には思いもつかないものだった。
 それに気がついたのは、僕が30歳を過ぎたころだった。その話は、僕が30歳になったころのエピソードとしてお話したいと思う。
 ともかく、18歳の僕は、ほとんどの人が合格したシナリオライターの一員として、(つまり、だれでもシナリオ研究生)ちっとは本物っぽいシナリオライターになるために、その後、いい加減ながら、適当に、苦労するはめに追い込まれることになったのである。


●昨日の私(近況報告)

 小田原の女子高生のことを書いたから、公平に渋谷の女子高生のことも書いておく。
 ここ10年以上、渋谷駅の西側……つまりハチ公側、センター街、東急文化村通り、公園通りの近辺には地元の……要するに東京の女子高生の姿は、ほとんど見なくなった気がする。女子高生が歩くには危険な街になりすぎているのである。それでも、地元高校生がいるとしたらごめんなさい。彼女達にとってそれは大冒険のはずである。もっとも、彼女達の必要なものが気軽に見つけられる東急ハンズもこのあたりにあるから、渋谷の女子高生がいないと言い切るのは暴言かもしれない。しかしここでその年頃の女の子を見たら、その子達は、ほとんど東京以外の女子高生と思って間違いとは言えないだろう。
 つまり渋谷、原宿をガイドブックで知ってわざわざ遠出してくる渋谷観光目的の女の子達である。他の目的の危ない女の子もいるらしいがその目的は僕の趣味範囲の外にあるのでここではあえて触れないでおく。
 では渋谷を本家とする女子高生をどこで見つければいいか……渋谷駅ハチ公の逆側、東口のバス停をさりげなく歩いてみよう。
 登下校の時刻になるとあなたは仰天するほどの制服姿の群れに出会うことになる。しれも渋谷の東にある数々の有名女子高の制服の集団である(渋谷の白鳥)。自他共に認めているらしい有名女子高生達もここのバス停を利用している。
 元々、このあたりは女子高制服ウォッチングの拠点として知られていたらしいのだが、さすがの僕も高校生のセーラー服を鑑賞するためだけにこの近辺をうろつく暇はない。
 数年前からひと月からふた月に一度、そのバス停から日赤という巨大な病院に検査治療で通うことになり、いやおうなしにこのバス停を利用することになったのだ。
 今回はここまで。後は、この次に続く。
 この近況報告……ろくでもないことばかり書いていると思われる方も多いだろうが、「誰にでもできる脚本家」の意味合いにおいてはもっとも参考になる内容かもしれないので、そのつもりで読んでください。僕はこの近況報告を結構まじめに書いているので。
 

■第6回へ続く

(05.06.29)

 
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