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第8回 役に立つのかシナリオ学校?
いきなり、挑発的な題名にしてしまったが、実は僕自身にとって「シナリオ研究所」の講義は役に立たなかった……というのが言い過ぎなら、ほとんど役に立たなかった。
だいたい、入学の挨拶のお偉方の言葉が、ひっかかる。
「この生徒達の何人かが、未来のシナリオ界を背負う人材になることを心から期待します」
とても期待しているように見えなかった。
半年に一遍、研究所に入ってくる生徒に、毎度同じ事をいっているに過ぎない決まり文句にしか聞こえなかった。
それでも、周りの生徒達を見ると、希望に胸を膨らませているように見えて、どこか切なかった。
やがて、「シナリオの基礎知識」という授業がはじまった。その時の教師は、今も著名な某シナリオ学校を経営している、その筋の有名人である。
ということは、この人の「基礎シナリオ講座」は四分の一世紀たった二十一世紀も通用しているということになる。
しかし、僕には、全然向かなかった。その他のゲストで来た現役シナリオライターや、現役映画監督の、人生論的講議も「初心者相手だと偉そうなこといいやがって……自分が書いたり監督した映画は、そんなにすごい傑作だったのかい?」と、突っ込みを入れたい気分だった。しかたがないから、ろくにききもせず机の下で漫画をよんでいたが、たまたま僕が見たひどい日本映画を作った監督がゲストに来た。
その監督は、撮影の苦労話を延々したうえで生徒に聞いた。
「君たちはあの映画をどう感じたかね」
僕は、思わず手を上げてしまった。
「いったいあの映画、何がいいたいかった映画なんですか」
監督は沈黙した。予想しなかった質問だったのだろう。しばらくして答えた。「私は現代を描きたかった」
生意気な僕はいった。「この教室だって現代の一部ですよね。どこに先生の描いた現代があるんです?」
他の生徒達からもくすくす笑いがもれた。
「大切なのは現代を見る作家の視点なんだ」
いささか青ざめて監督が答えた。
「その作家の視点って、東宝の支店ですか、日活の支店ですか、松竹ですか……」
ついに、監督は、怒りをあらわにして「私の視点だ。きみたちがあの映画を理解できるのは十年早い」
と、胸を張ってでていった。
ちなみにその作品は、その年の日本映画のベスト三十にも入らなかった。
監督の名は、映画マニアなら知る人は知っている人で。その脚本は、今現在、テレビを見なくても知っているだろう有名な脚本家の作品である。
今、評価するなら一流の脚本家といっていいだろう。
だが、その脚本家が書き、監督が現代を描いたとうそぶいて、僕らに誇った作品は、僕にとっては見るに堪えないスカタンだった。
さらに、現代にも通用しているらしい「シナリオの基礎技術」は、全く僕にはついていけなかった。
その技術を活用して、脚本家志望者を育てている学校(たぶんいくつもあるだろう)や、その学校で真剣に脚本家志望を目指す人たちから、すさまじいバッシングを受ける事は予想できるが、僕本人は、気にしないつもりだ。それでも口に出した以上、多少の責任も感じるから、渋谷の巨大な本屋にいった。で、いわゆる、脚本技術論から、お気軽にシナリオライターになれるハウツー本。アメリカアカデミー脚本賞を取れる方法にいたるまで、あまりの数に驚き、立ち読みでは失礼だから、片っ端から買っていった。段ボール一箱ではすまず配達してもらった
正直に言おう。僕はこの手の本をこの歳になるまで読んだことがなかった。人から勧められても、最初の数ページを、ペラペラとめくっただけだった。
「人と同じものを参考に真似てもしょうがない」
……生意気な十八歳だったのだ。
かくして、五十の手習い。勿論あまりの本の数に斜め読みではあるが、膨大な時間を要して読み終えた結論は……少なくとも僕の結論は、脚本家をめざす初心者はこの手の本は読まないほうがいい……脚本評論家になるのならべつですし、あいつの書くシナリオは誰かのパクりだらけといわれても平然としていられる大人物は別ですがね。
このことについては追々書いていくつもりです。
でも、次回は、「シナリオ研究所」の授業は無駄だったけれど、そこに集まった人々との交流は、決して無駄、いえ、とても役に立ったことを話しましょう。
(つづく)
●昨日の私(近況報告)
びっくりした。おどろいた。僕が四半世紀前に書いた連続アニメテレビが、DVDのセットで七月の二十二日に発売されるんだそうである。「名曲ロマン劇場 巴里のイザベル」全十三話……この作品のエピソードは、もっと後に詳しく書くつもりだったが、本人も知らない間にいきなり発売されちゃうんだからあきれる。簡単に説明すると、当時「ベルサイユのばら」というフランス革命を舞台にした作品がはやっていた。華麗で勇壮で、涙、涙の“どらま”である。ちょうどそのころ、クラッシックをBGMした少女ドラマを作ろうという企画が、別の会社で起きた。
僕は早速、企画を立てた。ショパンのピアノ曲に乗せて繰り広げられる愛と冒険の革命ドラマ。
スタッフは、その気になった。ただし、革命はフランス革命ではなく、世界最初の労働者革命とか共産革命とかよばれているパリ・コミューンという事件にした。フランス近代史最大の悲劇ともいわれる事件である。
それを知っているのは、スタッフのごく一部だったはずである。ストーリーとテーマがぶれるのがいやで、全編を僕一人で書いた。
そして、誰も文句も言わずに放送は終わった。愛もロマンも冒険もあるが、結局 主要登場人物の中で生存者がただ一人という悲惨なドラマである。たぶん、これに似たアニメは、その後一本も作られていないと思う。
冗談まじりに、プロデューサーから、こんな話になるとは、首藤にすっかりだまされた……と苦笑された。
パリ・コミューンが勃発して悲劇的最後を迎えてから百年以上が経った。フランス史の中でもその評価は様々である。
今、ごらんになる機会がある方がいれば、感想を聞かして欲しい作品である。
なお、主人公のイザベルは、当時、声優としての才能の頭角を見せだした小山茉美さんだった。
音響監督とプロデューサーに、デモテープを聞かされて、小山さんの顔も見ずに(見てもしょうがないが)イザベルの声は、小山さんでなければ駄目だと、他の候補者をしりぞけて、強引にスタッフを説得したのは僕である。
ただし、その後、小山さんがアニメシリーズ「ゴーショーグン」の女性主人公レミー役になったのも、初代の「ミンキーモモ」の声になったのも別のスタッフの推薦があったからで、勿論即刻、僕は了解したが、あのイザベルが、レミーで、ミンキーモモになったというのは、偶然以上の何かを感じる。
今でも、もっとも信頼できる声優のひとりである。
今はナレーターの仕事が多いようだが、昔、アインシュタインのドキュメンタリーのナレーションを聞いたときは鳥肌が立った。
ついでながら、アニメにおいて、他の声優さんも含めて僕は運のいい脚本家だと思っている。
なお、「巴里のイザベル」では、ショパンのピアノ曲もお聴きのがしなく……。
近況報告のつもりが、「巴里のイザベル」のPRもどきになってしまった。誰かの原作でない、僕のオリジナル作品としての過剰な愛着をゆるしてください。
■第9回へ続く
(05.07.20)
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