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第10回 「シナリオ研究所」のフリーター達
「シナリオ研究所」の授業が終わると、暇のある人は……ほとんどは暇人だが、近くの喫茶店に集まってだべるのを習慣にしていた。
一渡り、授業の感想が終わる。
「今日は疲れたなあ」「つまんなかったなあ」
自分の勉強不足を棚に上げ「観たこともない映画の話をされてもわかんないよ」と、つぶやく人もいれば、「あんな有名な映画を観たこともないのか」と、鼻でせせら笑い……と、肩をすくめる人など、どちらにしても、映画やシナリオをテーマにしての話は、ほとんどかみあわない。
「シナリオ研究所」は「俳優養成所」ではないから、美男美女の俳優が、教師をやってくれる訳でもない。それを目的にやってきた考え違いのミーハーが、何人かいたのも事実だが、それも夢と消え……。氏素性のしれない、「シナリオ研究生」は、なにをダベリングすればいいのか?
まるで川が流れるように(?)、共通の話題になるのが、何をして食べているのかに、集中してくる。
僕のように、大学予備校代わりに通っている人や、家事手伝いがお花やお茶の習い事に通うようなつもりで来ている人……いわば親のすねをかじって通っている人……も少なくなかった。思えば、七十年代が、まぢかに迫った日本は、裏に、他の国の戦争、朝鮮戦争景気やベトナム戦争景気などがあったにしろ、経済成長とやらで、意外と裕福だったのである。
しかし、そんな恵まれた人ばかりがいる訳ではない。多くは昼間が暇になるようなアルバイトをしながら、かといって、死んでも脚本家になってやるという気概に満ちあふれている訳でもなく……彼らが、授業を真剣に聞いているように見えたのは、一応、授業らしきものに参加しているから、それらしくしていようというポーズの様なものだったのである。
授業料を払う事はできるが、基本的には、ビンボーで、少しはアルバイトをしなければならない。つまり、フリーターの集団だったのだ。今、流行のニートと呼ぶのは、いささかかわいそうである。彼らには、脚本家になるというかすかな目標と、最低限の生活するためのアルバイトを、持っているのである。
勿論、アルバイトは、収入の多いほうがいい。
「シナリオ研究所」の放課後の喫茶店は、アルバイトニュースそこのけの、アルバイト情報源になった。
いやあ、本当に、世の中には、いろいろなアルバイトがあるものである。勿論、この中には、ホームレスという仕事(?)は入っていない。
皆さんも、新聞の求職案内や、今は無数にある求人雑誌を、覗いてみよう。
なにも、それを目安に就職することはない。
そこに記載されている仕事がどんなことをする仕事なのか想像してみるのである。
気になる仕事があれば、一週間ほど勤めてみるのもいい。
少なくとも、「シナリオ研究所」の授業を漫然と聞いているより、余程、役に立つと思う。
研究所の放課後のだべりの中で、今も記憶に残っているアルバイトを紹介しよう。
そのアルバイトを、僕は絶対やってない事を前もってお断りしてお話する。
それは、七十年代を目前にした時代を、よく反映したアルバイトである。
喫茶店の片隅にいた研究生が、ぼそりと話し始めた。
「今、一番、もうかるアルバイトなら、知っているよ……絶対もうかる」
一同は、その研究生の話に耳を傾けた。
「ベトナム戦争で、戦死したアメリカ兵の死体処理……」
研究生は、こともなげにいった。
つまり、見る影もなく無残に戦死したアメリカ兵の遺体を、つなぎあわせ、死に化粧をほどこし、一応お棺の中に入っていても人目に堪えられるぐらいに処理する仕事なのである。
ベトナム戦争のアメリカ軍戦死者の遺体が、日本に運ばれてくるのも初耳だったが、そんなアルバイトが成立することすら驚きだった。
「アメリカは金持ちだからね……これが、ビンボーなベトナム兵の戦死者だったら、野ざらしか、良くて、土饅頭のお墓だろうけれどね」
そう言った研究生は、妙に明るく付け加えた。
「勿論、俺はやったことはないぜ。でも、そのアルバイトがあることは確かさ」
なんとなく、大江健三郎氏の小説「死者の奢り」が元ネタのような与太話の様な気もした。
だが、当時ベトナム戦争は、激しさを増していたし、そのアルバイトにリアリティがないとはだれも言えなかった。
お金持ちのアメリカは、ベトナム以後もいろいろなところで戦争を続けている。
お金持ちだからできるアメリカ軍戦死者の遺体処理……このアルバイトが、実在するなら、世界のどこかで、今も高所得のアルバイトとして、成立しているはずである。
旅費を払って戦地にいっても、おつりがでるだろう。
自衛隊の給料よりいいかも……いや、こんなことを言って、世の中の顰蹙を買うのは、ごめんだ。
このアルバイト、やるかやらないかは、あなた次第である。
と、まあ、こんな、仕事から、キャバレーや、飲み屋のビラ配りまで、いろいろなアルバイトがあり、それを聞くだけでも、当時十八歳の僕には、新鮮な驚きだったのである。
(つづく)
●昨日の私(近況報告)
最近、あってはならないことが、起こりつつある。
一昨年前の夢の様な出来事が、再現されるかもしれないのだ。
プロ野球、阪神の優勝……。
僕は、阪神ファンである。
と、「さりげなく」書いているが、実は、熱狂の上に、放送禁止用語の「狂」が、二十個ぐらいつく、そうとうな阪神ファンである。
「さりげなく」と書いたのは、過去数十年、僕の人生のほとんどを、埋め尽くした苦汁の日々があるからである……つまり、負けっぱなし……たまに疑わしくも勝てそうで、しかし、結局は負けてしまう……。
この鬱屈した生涯が、僕の脚本に影響を与えないはずはないと思うのだが、幸か不幸かそれを指摘されたことはない。
ただ、一昨年、阪神が優勝した時、小田原の十月の海に落ちたことがあり、失礼なことに、警察はそれを、自殺未遂と処理した……寒い海に飛び込む理由が、本人にも分からなかったからである。……ここいら、イギリスの浜に流れ着いた、やたらピアノの上手な記憶喪失の男に似ていることもないが……僕が海に落ちたのは本当である。
その時、もうひとつ、噂が沸き上がった。
大阪では、阪神が優勝すると、道頓堀に飛び込むファンが続出する。
そこで、阪神ファンの首藤は、遠い大阪の道頓堀に飛び込む代わりに、小田原の海に飛び込んだというのである。
そうかもしれないなあと、否定できない、自分の阪神ファン度が、かわいい。
で、今度の神がかり的阪神好調度である。
これを言えるのは、2005年8月初旬の今のうちかもしれない。
だから、今のうちに書こうと思う。
もしかしたら、僕より数倍、阪神を熱愛しているかもしれない脚本家がいるのである。
アニメ通ならよく御存知であろう女性の脚本家である。この人のことを書けるのは、阪神好調の今のうちである。あわてて、急いで、次回に書く。
本当に、これを書けるのは、8月中旬までの今のうちかもしれないのだ。
阪神ファンの胸の内は、今も不安で、いっぱいなのだから……。
■第11回へ続く
(05.08.03)
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編集・著作:
スタジオ雄
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