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第104回 『ミンキーモモ』「橋」から「旅立ちの駅」へ。そして……
「夢にかける橋」のアニメ化は、最初はさして難しいものとは思われていなかったようだ。
舞台は橋だけで、登場人物はさほど多いわけではない。
設定もキャラも少なくていい。
と、大方の人が、甘い予想を立てていたようである。
ところがどっこい、すでに新宿西口の道の一年を描いた『街角のメルヘン』の制作状況を知っていた僕は、そうは簡単にいかないだろうと思っていた。
案の定、制作現場は大変な事になったらしい。
舞台は橋だけだが、季節が変わっていくのである。
春夏秋冬、季節ごとに、絵や色のタッチが変わっていく。
朝、昼、夕方、夜でも当然雰囲気が変わる。
キャラの服装も季節ごとに変わっていく。
湯山氏の絵コンテは、その違いを見逃さなかった。
季節や1日の違いを表現するのに細かい注文がついていたらしい。
こうして、膨大なキャラ表と設定ボード、色指定表が必要になってしまったのである。
どうせTVシリーズに毛が生えたようなものだろうと思っていたスタッフの多くの人たちからは「こんなはずじゃなかった」「大変だよー」「だまされたー」「話が違うよー」とぼやきが炸裂したようだが、湯山氏の粘り強い叱咤激励もあり、それよりなにより、せっかく通りかかったミンキーモモの橋だ、きっちり渡りきってやろう、というスタッフの頑張りのおかげで、どのカットも隅々まで見逃せない作品になった。
例えば、橋に屋台を出しているおじさんは、春はクレープを作っているが、夏はかき氷になる。
そのかき氷がアップになるシーンなど氷部分だけで4枚の特殊効果がほどこされているそうである。
この橋のある国は、どこかの国の戦争か紛争に参加しているかもしくは当事国である。
戦闘シーンはないが、その雰囲気を漂わすシーンもある。
そこいらの表現も、派手になりすぎず、非常によくできている。
その戦死者や故人が戻ってくるというお盆の精霊流しのシーンも、西洋風なのに、そんな風習があるのかというつっこみがあるかと思ったが、すんなりアニメで表現されている。
『ミンキーモモ』の世界だからこそ可能だった、国籍性が気にならないシーンだと思っている。
ミンキーモモは、この橋では、様々なドラマの断片を見る傍観者だった。
そのままで、終わるはずだった。
だが、最後で、ミンキーモモは、自分が単なる傍観者ではなく、通りすがりのドラマにかかせない傍観者だった事を知る。
彼女は見ていただけの存在ではなく、みんなから見られていた存在だったのだ。
「夢にかける橋」に欠かせない存在だったのだ。
欠かせない主役の1人だったのである。
それが分かるクライマックスは、かなりさわやかに感動的だったと今でも思う。
『ミンキーモモ』って、どんなアニメと聞かれたら、モモ自身は魔法は使っていないのだが、「夢にかける橋」は、「『ミンキーモモ』はこういうアニメだ」というサンプルとして見てもらうのに最適な作品のベスト10には必ず入る作品だと思う。
続いて作られたOVA「旅立ちの駅」は、モモ本来のテーマ、「夢と希望」、そして魔法を描いたつもりの作品である。
この駅も日本の駅とは違う西洋の駅をモデルにした。
絵コンテや作画監督、演出のわたなべひろし氏には、「終着駅」などの昔の洋画で駅の出てくる映画のビデオを見てもらって、雰囲気を感じていただいた。
この作品には、空モモと海モモの2人が登場するが、魔法は使わない。
「自分の夢と希望、魔法は、自分で実現しろ」というテーマである。
この作品にも戦争が色濃く背景にあるが、戦場だった駅と、現在の駅を、2人のモモがタイムリープする。
そして、駅で忘れ物のように生きていた戦災孤児と出会い、孤児の絶望を救おうとする。そんなストーリーである。
このストーリーに登場する女の子のスリには、モデルがいた。
ローマで、出会ったスリの少女である。
「やられたな……」と思った瞬間、僕は少女の手を握りしめてはなさなかった。
何事かと人が集まってくる。
イタリア語の分からない僕は、英語の「ピックポケット(スリ)」の言葉を言い続けた。
英語の分かりそうな男が、語りかけてきたので、「財布にはカード以外なにもはいっていない、この子がすっても僕のカードは役に立たない」と説明した。
と、いきなり少女は、服を脱ぎだした。
10歳前後の女の子なのに、赤いブラジャーをつけ、それが鮮烈だった。
そして、おそらくイタリア語で「私じゃない」と叫び始めた。
芝居ががっていて、なおさら怪しい。
「いや、きみがスリだ。財布は役に立たない。返せ」
僕は引き下がらなかった。
すると、少女は、ズボンまで脱ぎかかった。
その時である。
さっきまで、少女のそばにいた弟のような少年が、僕の財布を出した。
いつのまにか、財布は少女から少年に移り替わっていたのである。
僕は、財布の中身を確認してから……「OK」といった。
英語で話しかけてきた男が、「万事解決……OK、OK」
よくあることなのだろう。僕たちの周りにいた人達は、サーッと街の雑踏に消えていった。
少女は上着を着ながら、ジーッと僕を見つめていた。
僕も見返していた。
ガラスのような、表情のない目をした女の子だった。
やがて、女の子は、弟のような子の手を取って走り出し、さっきの人たちと同じように雑踏の中に消えていった。
見た目はとてもかわいい10歳前後の少女だった。
あの子はこれからも、スリを続けながら生きていくのだろうか……?
なんとなく暗澹とした気分に襲われた。
そして、その子をモデルにした話を色々考えていた。
「駅」のストーリーを考えた時、まず浮かんだのがこの子のことだった。
そんなわけで、今でも鮮烈なその子の赤いブラジャーは、「旅立ちの駅」にも鮮烈に登場した。
なお、「旅立ちの駅」の裏設定で、海モモが1人で列車に乗っていたが、それは、ご両親のパパママの葬式の後という事にしている。
駅から岡崎律子さんの作詞作曲歌「Bon voyage」で、送り出された海モモが、今、どんな線路の上を走っているかは分からない。
今のところ、アニメ版の『ミンキーモモ』は、「旅立ちの駅」で終わっている。
その後、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』パート3の企画は何度かあり、学年誌でマンガ化された葉モモなどもあるが、それは、あくまで番外編で、本来の企画は、今も動き続けている。
つづく
●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)
世の中、今も「勝ち組」と「負け組」という言葉がある。
昔、大ヒットした作品のシリーズ構成をしていた時の事である。
その作品の脚本グループの1人から、「僕たち、勝ち組ですね」と言われ、首をひねった。
彼が言いたいのは、今やっている作品は、ヒットしているし、何年も放映が続くだろうから、生活も安定するし、お金にも困らない。つまり、それが、脚本家としての勝ち組ということらしい。
僕はその気持ちが分からないことはない。
脚本家なんて不安定な職業である。明日の仕事も決まらない時もある。
それが、長期間安定して脚本を書けるのだから、「勝ち組」と言いたい気持ちも分かる。
が、同じ脚本家として、それを「勝ち組」と呼ぶのはひっかかるものがある。
生活安定やお金を求めるなら、他の仕事があったはずである。
脚本家で、生活安定やお金を求めるのはほとんど無理、最初から金銭面で「負け組」志願であるはずである。
彼が、そのヒット番組に参加しているのは、ラッキーだったに過ぎないからではないだろうか。
だから、僕は、彼が「自分の事をラッキー」と呼ぶなら分かるのだが、「勝ち組」と呼ぶのはピンとこない。
脚本家が、自分の書きたいものをアニメにして「書いたもの勝ち」というのはあるだろう。
だが、自分の関わった作品がヒットしたからといって「勝ち組」気分になるのはどうかと思う。
やはり、勝った負けたの気分は、自分の思い通りのものが、アニメになった時に感じるのが、本当の脚本家だと思う。
今もその番組は放映され続けているけれど、その脚本家は、今も「勝ち組」意識で脚本を書いているんだろうか?
つづく
■第105回へ続く
(07.06.20)
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編集・著作:
スタジオ雄
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