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第105回 脚本が8本できた幻のアニメ
『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の脚本は大勢の人が書きかけて使わなかったプロットも多かった。
原案・シリーズ構成の僕は、それぞれのライターに、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』がどんな作品なのかを、一から説明しなければならず、正直、くたくたに疲れた。
書きかけの小説もあったし、半年ほど、アニメの脚本は休みたかった。
しかし、現実はそれを許してくれなかった。
脚本も含めてだが、アニメ関係のギャラは安い。
月1本書いていたのではまともに生活はできない。
人並みの生活をするには、月に2本は書かなければならないだろう。
それでも、脚本家は恵まれているほうで、作品が売れると、DVDなどの二次使用で、わずかだが印税が入ってくる。
印税の単価はわずかにしろ、その作品がヒットしDVD等が売れれば、かなりの額にはなる。
脚本家の中には、最初から脚本のギャラなど当てにせずに、売れそうなアニメの印税目当てで、シナリオを書いている人もいるという。
もっとも、脚本家が印税を取れるなどということは知らなかったと、すっとぼけている制作会社もいるから、必ず印税が入ってくるとは限らない。
だが、その印税も作品が売れればの話で、肝心の脚本代は、ここ10数年、上がったという噂を聞かない。
制作会社側も、脚本家には印税が入るから脚本代を上げる必要もないと考えているふしがある。
余談だが、制作会社も当然、DVD等の二次使用が売れてほしいから、世の中に知れ渡っている小説やコミックやゲームをアニメ化したがる。
最近は、子供が見ていないような深夜に放送しているアニメが多いが、アニメやコミックで育ち、DVDを買えるようなお金を持った大人になった人を狙った二次使用目当てのアニメがほとんどだと言っていいだろう。
したがって、原作のない、これから先、売れるか売れないか分からないオリジナルのアニメの数は少なくなる。
それが、オリジナルの脚本を書けるライターが少なくなっている原因につながっていると思うのは僕だけだろうか。
正直に言って『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の「海モモ」が終わった時、僕の経済状態はすっからかん。
随分、他の人の書いたミンキーモモを手直ししたが、共作者としてのギャラは取らなかった。
それを取ったら、手直ししたライター達のギャラが減り、彼らの生活ができなくなってしまう危険があったからだ。
『魔法のプリンセス ミンキーモモ』のビデオやDVDがどれほど売れるか、その時点では不明だったし、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』を担当した時の収入は、わずかなシリーズ構成料と小説から得た収入だけだった。
都合がよかったのは、体調が悪く、医者から酒と煙草を禁じられていて、特に酒は一滴も飲むなと言われていた事だ。
特に酒については、「どうせ止めろと言っても無理でしょうけれどね」などと言われていたから、むきになって飲まないでいた。
パーティなどで、酒を勧められても飲まなかったし、飲み屋の前は駈け抜けて通り過ぎた。
煙草も極力控えた。
酒も毎日のように飲んでいると、飲み代だけでも馬鹿にならない。
大酒飲みの人は、2、3ヶ月、家計簿をつけてみるといい。
飲み屋の支払いや、酒屋の支払いが、生活費の半分以上を占めているのに愕然とするだろう。
それでも酒を止められないのが、大酒飲みのつらいところで、アルコール依存症にでもなると、まず、自力で禁酒は無理である。
その酒を強引に止めたのだから、なんとか酒代が浮き、僕だけの生活は維持できた。
しかし『魔法のプリンセス ミンキーモモ』を書いた人たちの中には、将来有望な人もいた。
この人たちに脚本の仕事がなくなると、折角芽生え成長してまだまだのびていくだろうライターを潰す事になる。
有望な脚本家になるには、なにより書き続けることが大事なのである。
書く仕事がない時は、日記でもブログでもいいから、何かを書く事である。
書く事を続けないと、何かを書きたい時に、文章力が確実に落ちている事に気がつくだろう。
毎日、何かを書く習慣をつける事は、物書きにとって必ずその筆力をあげることになる。
インターネットのブログなどを書き続けている人は、書いている持続力があるだけでも、プロの物書き候補だと言えるかもしれない。そういう僕自身も、事情があって今は止めているが、ブログをやってみて、そのことを強く感じた。
ブログの場合、個人的な日記と違って読み手を意識せざるを得ないから、なおさら、人に読ませる文章として、色々工夫しなければならない。
文章力を育てるにはもってこいだと思う。
ブログの話はさておき、「海モモ」で成長期に入ったライターに仕事がないと、元の木阿弥になってしまう。
「空モモ」を書いてもらったライターのほとんどが、「海モモ」当時、現役で活躍しているだけに、「海モモ」からも、そんな脚本家が育ってほしかった。
つまり、彼らが活躍できるアニメ番組が欲しかったのである。
そんな時である。
『魔法のプリンセス ミンキーモモ』を終えてほっとしているはずの葦プロダクションが、企画が欲しいと言ってきた。
内容は『アイドル天使 ようこそようこ』のような歌の入った芸能もので、ロックグループをメインにしたもの、という注文があった。
この手のアイデアは『アイドル天使 ようこそようこ』で、エピソードは作ったものの時間が間に合わず制作されなかったものがいくつもあったので、そのアイデアを元に、3日ぐらいの日数で企画書を作ると、何の意見もなく、すぐ脚本を書いてくれという。
第1話と第2話を書くと、南極二郎に『アイドル天使 ようこそようこ』のグループ版じゃないかとは言われたが、ともかく、先の脚本が欲しいと言われ、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の有望なライター達に先の脚本を発注した。
最低でも26話以上ということで、おおまかなあらすじを書いたが、なによりほっとしたのは、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の脚本家達に仕事ができた、ということだった。
だが、奇妙な事に、その時点でキャラクターデザインも、いちばん大事な音楽もできていなかったのである。
その時点で、音楽を制作する会社も決まっていなかったのだ。
『アイドル天使 ようこそようこ』のように、BGMに歌詞をつけようとしても、BGMを作曲する音楽家どころか音楽を作る会社すらも決まっていなかった。
アニメ制作会社は「音楽なんてなんとかなるよ」と気楽に考えていたようだが、歌の入った芸能ものとしては、音楽がなければ、脚本の書きようがない。
そんな間にも脚本はでき上がり……と言っても音楽の必要な作品の脚本に音楽がないのだから、決定稿とは言えない。
「早く音楽を作ってくれ」「もうちょっと待ってくれ」で、時間が無駄にすぎ、とうとう脚本は8話までできてしまった。
「音楽なしでこれ以上書けません」
僕は、脚本の休止を申し出た。
音楽なんて気にせず、ギャラを貰って、どんどん20話ぐらいまで書いちゃえよ……という声もあったが、ミュージカル風音楽アニメを作るつもりの企画である。
音楽なしで脚本を作るのは、あまりに無責任である。
その後、この作品は、キャラクターデザインなどでトラブルがあったらしく、結局、1本も制作されなかった。
当然、音楽も作られなかった。
制作されなかったアニメに、8本も脚本ができていた、というのは、結構すごいことである。
僕が止めなければ、最終回まで脚本ができていたかもしれない。
あきらかに制作会社が、脚本ができればアニメができるとふんで、先走りしたとしか思えないが、その作品『レイは元気(仮題)』は『アイドル天使 ようこそようこ』を別の主人公にして続編を作ったようなもので、作品的にもけっして悪くなく、制作されなかった事がいまだに残念である。
なお、無駄になった8本の脚本のギャラだが、シリーズ構成料も含めて、きっちりと制作会社は出してくれた。
もしも、僕が脚本を続けて書いていたら、脚本のギャラ代は増え続ける一方で、制作会社にとっても、かなりの損害だったろう。
だからこそ、なぜ、制作会社が8本まで脚本をGOさせたのか、いまだに僕は首をひねっている。
だが、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の脚本家に仕事をさせたいという気持ちは、8本の完成しない作品だけでは当然解決がつかなかった。
つづく
●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)
最近、脚本家も含めて芸術関係の方が亡くなる。
団塊の世代が定年する歳を見透かすように、
「若すぎた。もっと活躍できた人なのに……」
などと、その人の死を惜しむ弔辞が多い。
だが、現実にアニメの脚本家が「若すぎた。もっと活躍できた人なのに……」と惜しまれるのは何歳ぐらいなのか……。
同年代の脚本家たちと話した事がある。
「いいところ50歳前後かな」
40代にかなり売れていた脚本家がつぶやいた。
脚本家を指名するのは、制作会社や局のプロデューサーが多い。
彼らは脚本家がよほどの大御所で、自分の制作する作品にぴったりくる脚本を書ける人でなければ、なかなか自分より年長の脚本家を選ぼうとしない。
世代が違うと話があわないし、自分より年長だという事で、色々気をつかったりするのがおっくうだ。
脚本を直してもらうのも言いづらい。
それなら、気心の知れた同年代か、何でも注文がつけられる若手の脚本家が使いやすい。
僕も20代後半からシリーズ構成をやっているが、自分より歳上の方で脚本を書いてもらったのは数名しかいない。
歳上の人に、ああだこうだと指図するのが気づまりというか、うっとうしいのだ。
それに、歳上の人は歳下の人に対してなにかとがんこである。
だから、歳上の脚本家に仕事を頼むのが面倒だという気持もわかる。
ついでに言えば、むさくるしい脚本家おやじより、物腰の柔らかい女性脚本家のほうが、同じ程度の脚本を書くのなら気持ちよく仕事ができるに違いない。
早い話が、プロデューサーにとっては、同年配か歳下の脚本家のほうがつきあいやすいのである。
僕個人は、若いプロデューサーと仕事をした事が多いほうだ。一方で、年配のプロデューサーからも随分かわいがられ、色々な仕事をさせてもらった。
ところが、その年配のプロデューサー達が制作現場から離れ、TV局や制作会社から退職するようになると、確かにその方達からの仕事はどんどん減る。
かわりに現役でプロデューサーをする人は、30代後半から40代の人が多い。
当然、その人たちは自分と同年代か歳下の脚本家と仕事をする。
子供の頃、いや大人になっても、TVアニメやゲームにまみれ、携帯電話でメールを使いこなす彼らは、50代の僕らとは感性が違う。
違う感性の脚本家相手に、年齢を気にしながら仕事をするのは、プロデューサーにとっても監督にとっても、あまり望ましいことではない。
「50過ぎたら、めっきりアニメの仕事は少なくなった。ま、しょうがないけれどね。今さら小説家に転職するのはしんどいし。本の編集だって若いやつらばかりだろうし……」
つまり、アニメ脚本家の寿命は、どんな売れっ子でも、油の乗り切った30代から40代の円熟期から、自分を使ってくれた歳上のプロデューサーが退職していなくなる50代の初めで、終わりであるということになる。
70歳過ぎて、「惜しい人をなくした。もっと活躍してほしかった」などと、植木等氏のような弔辞を読まれる人は、脚本家にはほとんどいないだろう。
つまり、アニメの超売れっ子脚本家といっても、売れている時期は30代から50代前後の20年ぐらいしかないのである。しかも、安いギャラで、いつ仕事がなくなるかもわからず、老後の保証は何もない。
それを考えると、結婚も子供もできなくなる。
それでもあなたはアニメの脚本家になりたいですか?
もっともそれはアニメに限らず、ドラマを含めて全ての脚本家にいえることなのだが……。
だが、それでも、脚本を書く仕事は楽しいこともある。
そのことについて考えてみようと思う。
つづく
■第106回へ続く
(07.06.27)
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編集・著作:
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